『風立ちぬ』美しさでずたずたになりながら

風立ちぬ』感想。

宮崎駿監督の「こうあってほしい」といった夢想をこれでもかとブチ込んだ夢想無双ではあると思います。でも、あれもこれも都合良く描かれているわけじゃなく、むしろ、描かれているのは矛盾ばかり。それでも、監督自身が、この物語をどうしようもなく切望しているような筆致は拭えない。といった矛盾のなかをぐるぐるさせられてしまう映画でした。

下級生をいじめる上級生を投げ倒す正義感を持っていたかと思えば妹との約束をうっかり忘れてしまったり、純粋な夢として追い求めている飛行機づくりが戦争に加担することを知っているけれど、そこまで気にかける感性は具わっていなかったりで、とにかく主人公・堀越二郎に掴みどころがないです。庵野監督の無為な声がそれに拍車をかけます。人間味を感じるのだけど何を考えてるのかわからないという矛盾した印象。この印象が映画全体に妙な雰囲気を落とし込んでいるんですが、そもそも登場人物が矛盾を抱えた人ばかりなんですね。本庄なんかは口で言うほど自覚的でしたが、一番複雑なのは菜穂子です。

「仕事をしている二郎さんを見るのが一番好き」というセリフがありましたが、菜穂子は、二郎の仕事場になんか行ったことないはず。隣で図面を描いている姿を素敵だと思っているだけと言われればそれまでですが、震災のときに助けてもらった二郎はお絹と菜穂子にとって王子様で、二人はいつの日か二郎と再会できることを夢見ていたはず。おぶってもらったお絹はきっと二郎に恋をしていたはず。菜穂子もまた同じように恋をしていたけれど、二郎を想うお絹に「譲る」ような態度を取っていたはず。でなければ、自発的な菜穂子だったらお絹と一緒に二郎の元へ行ったはずなんです(ここに説明があったならこの妄想はボツです)。けれど、そうはしなかったのは、お絹が嫁入り二日前だったから。つまり、譲った。そのことへの戒めのように菜穂子は二郎のことを探さずに泉の前で祈ることだけをしていた。けれど、二郎に会ってしまったら、やっぱり恋心を抑えられない。その目で見たことはないはずの「仕事をしている二郎さん」とは、お絹と二人で話しているときの「二郎さん」のことなんですね。そして、菜穂子に向けていわれる「美しいところだけ見せたかったのね」というセリフは、病に冒されていく身体のことだけではなく、このまま一緒に過ごせばいつかは吐露してしまうであろう心情のことをも言っているんだと思います。

「美しさ」とは、二郎が飛行機づくりをする上での信条でもありました。が、それはときに偽善やエゴイズムになってしまう。それでも、美しさを追い求めることをやめはしない。やめるかやめないかという葛藤すらないほどに潔くやめないんです。ずたずたになりながら。「創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を力を尽くして生きなさい」というセリフを宮崎駿監督に当てはめてみると、『崖の上のポニョ』(2008)、脚本をつとめた『コクリコ坂から』(2011)、そして、『風立ちぬ』という自己言及的な作品たちに流れがあったように思えます。この10年間とは、自身のルーツをたどる時間だったのか。それを終えた今どこかのスタートラインに立っているのか。「最初に会った場所」である草原の先を描くことはあるのか。そんな風な思いにたどり着くのが精一杯の映画でありました。おわり