恐竜エキスポ2015『ジュラシック・ワールド』

ジュラシック・ワールド』感想その2

「今の子どもたちにとって恐竜は他の動物と一緒。テーマパークを成長させるには新しい恐竜を生み出さないといけない」。この言葉がストーリーの始まりだ。科学的にも倫理的にもたぶんきっとおそらく実現不可能な「パーク」のある世界が舞台で、それを見せてもらえるってのがまずこの映画の最大の魅力。映画ってのはいつだって立入禁止な領域に招いてくれる避難場所だ。


で、そのテーマパーク描写は「スフィア」だけが子どものこだわりのように凝っていて、他は結構フリーダムで何でもいい感じ。こんな構造でこんなシステムになってますよー入口はこうで手続きはのんなんですよーっていう描写より「やる気のない店員さん」を映すことのほうが優先的にある。これ、行楽したあとの子どもの感想だよなぁと思った。楽しい!って騒いでた子どもにどれが一番良かった?ってきくと「〇〇のおじさーん」なんて素っ頓狂な答えが返ってくることあるでしょう。え、あんだけ騒いだのにキミの1日の総括それ?みたいな。子どもって平均的にはきっとそんな感じなんですよね。てか、そもそも来場者2万人って少なくない?平日のディズニーランドぐらいでしょう?島のキャパがあるのかわからんけども。まぁ、とにかくこの映画は「まるで子どもがつくったように大人が計算してつくったもの」だと思います。


これで野に出ちゃ危ない。5回に1回は死ぬ!


子どもにとって「勝利」へ導く絶対的なヒーローはあらかじめ決まっているから、その勝利ありき見せ場ありきで物語を展開していくことになる。で、肝になるのはその道のりというところにあるので、アクションシーンはラストの大立ち回りまで「タメ」の連続です。インドミナス・レックスへ向かう部隊に実弾装備をさせなかったり、ヘリコプターで突入する出たがりCEOは被害を拡大させるだけだったり、兵器として出撃したラプトルは会敵するなり寝返ってしまったり、さまざまな「抑制」のきいたバトルが繰り出されていきます。このタメが効いて、最後のがっぷり四つが活きるんですよねぇ。


展開はそうとしてキャラクター描写はどうかというと、クレアの胸に無邪気に飛び込んでいく弟くんは歯の数とか遺伝子配列とか恐竜に生き物として凄く興味のある感じ。そういやあのハグだけどぜったいブライス・ダラス・ハワードのバストへいい具合にフィットしてましたよね。「ワォ!」みたいな反応してたけど本当にびっくりしてアドリブ入ってんじゃないか?どうなんだ今のハグは?と。話がそれました。恐竜好きの弟に対してお兄さんはたぶん地元でイケてる系の子と付き合ってるけど都会へ出てみたら「あれまぁ…」みたいな。恐竜と女の子。それぞれ自分とは違う生き物に目と心を奪われるフツーの子どもとしてフツーに描かれてますね。子どもは「自分たち」のことはフツーに描いて、自分以外の存在へと力を注ぐもんだと思うんです。で、それが大人キャラクターに出ていて、ラプトルとオーウェンのあいだにあるのは、恐竜と人間は心を通わせることができるかもしれないという尊厳への展望で、ハイヒールを脱がないクレアにはアメリカで「キャリアウーマン」やるには根性いるのよ!といった女性像が投射されている。子どもから見て、自然の中を生きるかっこいいお兄さんと意外とアウトドアでかっこいいお姉さんが主役に置かれている。どうでもいいキャラクターの秘書さんがあまりに悲惨なことになる残虐性も実に子どもっぽい。


と、いうわけで、ジュラシックパーク最新作は大人による子ども目線の展開と描写が最高な大傑作サマームービーでした。今3回でもう2回くらいは見たいのでまだまだ上映回数が生き残ることを願います。マッドマックスを超えて2015年暫定ナンバーワンです。おわり