『To LOVEる』の真髄見つけたり
いい年をしたオッサンが『To LOVEる』について語る。
それには相応のリスクが伴うのである。
何よりも周囲の冷ややかな視線・或いは嘲笑を覚悟せねばならない。
仮に面と向かって「キモイ」と宣言されたり、唾や痰を吐きかけられたり、更には南方熊楠の如く吐瀉物を浴びせ掛けられようとも、*1社会的に分が悪いのはこちらと言わざるを得ない。
周囲にマンガに対する理解があったとしても、自分くらいの年代になると幾分事情は異なる。
長い期間マンガを読み続けてきたことにより目が肥えてきて、「おっぱいのマンガだろう」と一蹴したりもする。
或いは実生活で伴侶に恵まれ、わざわざラブコメに拘泥する必要がなくなる場合もあるだろう。
それでも尚、声を大にして『To LOVEる』について言わねばならないことがある。
この作品について多く語られる箇所としては、以下のようなものが挙げられよう。
- おっぱい
- ぱんつ
- 単行本化の際の湯気や乳首の修正
これらは確かに『To LOVEる』における重要な要素と言わざるを得ない。
しかしこれらに勝るとも劣らないものが存在する。
ワキの描写こそ、『To LOVEる』の真髄なのである。
幾つか実例を挙げつつ解説してみたい。
第1話、ララとリトの邂逅場面である。
全裸の美少女との、突然の邂逅。あらゆる健全な青少年のロマンである。
多くの日本男児は、程度の大小はあれどマンガにおいてこのような出逢いを経験していると推測する。
因みに自分の体験だと、それは冨樫義博先生の初連載『てんで性悪キューピッド』である。
- 作者: 冨樫義博
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同じく第1話の、まりあが全裸で登場するシーン。
そこに衝撃を受けたことは、未だ記憶に新しい。
しかし『てんで』では、まりあは腰に手を当てて仁王立ちをしている。それに対してララは両腕を上げて、ワキを露出するように描かれている。描写において、既に『てんで』と『To LOVEる』との方向性の違いは見て取れる。
だが初期の描写はそれほどでもない。
気魄がみなぎってくるのは5巻からである。正確に言えばヤミ(金色の闇)の登場以降である。
単行本5巻の表紙である。
そして35〜38話、リト暗殺の依頼を受けたヤミがララや依頼主のラコスポと戦いを繰り広げる場面である。何れのコマにも、ワキの描写に対する執着を感じさせる。
また周知のことであろうが、ヤミは矢吹健太朗氏の前作『BLACK CAT』に登場したイヴとまったく同じ容姿をしている。イヴとヤミの能力にも類似が見られ、作者の強い愛着を感じさせる。
そしてそれ以降、ワキの描写はヤミ以外のキャラクターにも伝播し、更なる洗練が加えられていく。
第69話(単行本8巻)、クラスメートで沖縄へ行く筈がララの機械の手違いで無人原始惑星へ行ってしまいサバイバル(?)を余儀なくされる回。そこでリトの想い人である西連寺春菜が木のオバケに襲われる場面である。
この描写には、単なる趣味嗜好を越えた何かすら感じさせる。
第73話、明確な妹フラグが立ってしまう回の表紙。
まだ単行本には収録されていないが、後には血の繋がりがないことまで仄めかされる。憤慨した読者諸氏が多いであろうことが推測される。
そして、やはり最後は再びヤミで締めるのが相応しいと考える。
第87話、主要キャラクターが銭湯へ行ったところを宇宙人の賞金稼ぎに襲われる回。
上の写真は、賞金稼ぎが差し向けた戦闘ロボットを撃退した場面である。そしてこの格好、一連のヤミの動きから考えると不自然なのである。
実際に確認して貰えれば明白であるが、この直前のコマにおいてヤミはロボットの後頭部に跨がり、そのまま頭部を掴んでねじ切っている。しかし本来、頭部を引き抜かなければ上掲写真のようなポーズにはなり辛いのである。
本来の自然な動きを無視してでもこのようなポーズにしたのは、ひとえに矢吹氏がヤミのワキを描きたかった為と推測する。
今一度同様の文章を書いて、拙文の締めとする。
『To LOVEる』の真髄は、ワキの描写と見つけたり。
To LOVEる -とらぶる- (10) (ジャンプコミックス)
- 作者: 矢吹健太朗,長谷見沙貴
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