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セラピスト日記

2018-04-17 オステオパシーについて8〜休憩2

 さて、前回僕がなぜ手技療法の世界、またオステオパシーに辿り着いたか開業前までを書いてみました。今日はその続きです。

 半ば導かれるように整体学校に申し込みをした僕ですが、その面白さに虜になりました。人間の身体の構造がどのようになっているのか?(解剖学)、それらの構造がどのように働くのか?(生理学)、どのようになってしまうと病気や悪症状を出してしまうのか?(病理学)、座学は非常に興味深く技術練習もぎこちない中でも少しずつ形になっていきました。

 方や職業訓練学校に通ったり、資格試験を受験してみたり次の就職についても準備していました。短期的な仕事をしたりもしました。(生命保険の営業お手伝いをしていた事もあります。あれは大変ですね*1 少々は詳しいので気になっている方聞いて下さい)

 そんな中「オステオパシー」という言葉を聞きました。非常に施術効果の高い手技療法で、世界的にもその有効性が認められ、アメリカでは医師と同等資格らしい…と。倉敷の整体学校で研修を続けながらも(温泉施設などでも働いておりました!)、大阪にあるオステオパシーの学院に入学しました。当然毎日通うという形は出来ないので1ヶ月数日という授業を1年間受講した訳です。オステオパシーの主だったテクニックを教えて頂きました。

 道具(技術)はそろっていきました。そして益々手技療法の世界に引かれていったわけです。

さて、本格的就職活動をと、考えた時にやはり踏ん切りがつきませんでした。就職となると、地元でかつ出張があまりなく、ましてや転勤は出来ない、となるとなかなか難しい状況です。入院生活を送る母親の介護や手続き関連は自分で全てやると決めていました。

 それなら、いっそ自分でこの仕事を開業してみようか。楽しいし、人の役に立てる仕事はいいなあ。自営業という形だと時間的にも自分で調整できるから母親の事も診ていけるかなと考えました。

 当然、自分でお店を持って成功するなど甘い世界ではないだろうし大変だろうとは思っていたのですが、他の選択肢はありませんでした。ただ、あえて言うと英会話スクール勤務の時にお店の運営というものについて色々経験出来ていたのが少し後ろ盾になっていたかもしれません。

 正し、いきなり呉で開業するのは知り合いもおらず不安なので、倉敷で開業をして2〜3日学院の勉強会や開業ノウハウを仰ぎながら、倉敷については僕のいない日を学院の仲間のスタッフの皆様がお手伝いをして下さり、残りの数日呉に戻って自宅の一室を使ってご近所の方や呉で営業活動していくというある種無謀な形態をとりました。

 結果からいうとかれこれ6年間、倉敷と呉を行ったり来たりする生活を続けました。いわゆる「定休日」はありません。当時僕のブルーの愛車「デミオ」は24万キロ走ったところで動かなくなってしまいました…。

 長くなった(~_~;)。これちっとも休憩ではありません。まだ、現在に辿りついておりません。もう一回休憩にしますか…。終わるんかなこれ。

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2018-04-12 オステオパシーについて7〜休憩1

 今日は公言通り、休憩として「なぜ僕がこの道、それもオステオパシーに引かれたか?」について書いてみたいと思います。自分の事を書くというのは恥ずかしいものですが、この質問結構頂くんですよね。施術中でも良くクライアントさんから聞かれます。技術もそうだけどやっぱり施術者の中身が気になるんですよね。確かにそうだと思います。ちなみに今日4月12日は僕の誕生日でして、偶然ではあるのですがテーマとしては丁度良い日かもしれません。

 まず、僕は今日で45歳になりまして…、歳は重ねていきますがこの仕事には年齢を重ねた方が多少威厳も感じられて良いかもしれません。生まれは実は広島県尾道市です。海に山に開放的で、映画の舞台でも有名なように少しノスタルジックで大好きな町です。僕も自然児で泳ぎに釣りに活動的でしたが、小学校4年生の時に両親が離婚してしまいました。

 例年のお盆通り母の実家の呉に行くものと親戚の車に乗り込んだまま、尾道の実家には帰る事はありませんでした。

寂しくはありましたが呉で出来た友人も楽しい人ばかりでしたし、勉強も嫌いではなかったので広島市内の高校に進み、大学で岡山県に出させて貰いました。母一人の経済力を考えると本当に苦労を掛けたという気持ちです*1

 大学でパソコンなど習い事を始めて、こんな風に沢山の人が出入りする職場は楽しそうだな、と思うようになり、資格学校や英会話学校などを回り、ある英会話スクールに入社した訳です。

 大変ではありましたが同世代の社員が多く、今でもお付き合いさせて貰えるほど人間関係は良かったし、取り扱う商品としては悪いものではなかったので人様の応援をするという意味では悪い仕事ではなかったと思います。

 そんな折、約4年程過ぎた時職場に電話が入りました。母がくも膜下出血で倒れて病院に運ばれたという内容でした。手術をするに当たり僕の承諾サインが細かく必要で、急いで駆け付けましたが、手術後の予後はあまりよくなく結果ほぼ全身は動かない状態で介護が必要となりました。

 ご家族にご病人様がいらっしゃる方はご存じだと思うのですが、最近の病院はシステム的で急性期、リハビリ期、慢性期などで病院の移動が頻繁にあり、病院からの連絡に備えようと思うと結構大変です。仕事も休暇を頂いたりしながら粘りましたが約5年で退社させて頂いた訳です。

 介護の話などが絡むと色々な現実がある訳ですが、苦労も掛けたし自分が出来る事はやろうと思って病院に通う毎日をしつつ、ふとリハビリに何か役立てる事はないかな?と考えるようになりました。

自分自身もサラリーマン時代には体調を崩した事もあったし、身体について色々興味もありました。そして岡山と呉を行ったり来たりする中で、倉敷の整体学校に申し込みをした訳です。勿論、それがとても自分の仕事になるとは思わないまま…。

 う〜ん、長くなった、区切ろうかな。しかもちょっと内容重いかな。すみません。でも過ぎ去れば色々良い経験が出来ました。次回がある意味本題、開業〜現在です。今日はおしまい。

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2018-04-03 オステオパシーについて6〜PMや電磁波などの環境悪因子について

m-tamaki2018-04-03

 前回までオステオパシーについて日々の症例を元にお話ししてきました。続きはまだあるのですが、少し休憩しようかなと書きました。実は「僕がなぜこの世界に入ったのか?なぜオステオパシーを選んだのか?」といった話を書こうと思っていたのですが、その前にどうしても気になることがあり、急きょ別件をはさむ事にしました。

 まずは写真をみてみて下さい。自宅の呉から海田市の職場へ向かう国道31号線で瀬戸内海を挟んで広島方面が望めます。この日は雲一つない晴天の予想です。確かに晴れています。けど何かおかしい…。

雲一つないのなら空は「青空」のはずです。しかしそらは「白い」です。わかりずらいですが、晴れているのに広島方面の山々がかすんで見えません…。おかしくありませんか?

 周りの方々をみてみて下さい。花粉症の「ような」症状をもっていない人を探す方が難しいです。小さな子供でさえも花粉症だと言います。僕は今44歳なのですが小学生の頃に花粉症だというような同級生は正直記憶にありません。アレルギーなどにしても、一人一人アンケートをとって給食を区別されるなどという事はありませんでした。「全て残さず食べましょう!」これが給食のスローガンで、守られないと居残り掃除など藩で罰を受けていたりしました。

 何故なのでしょう?ここ最近、来院される方をオステオパシー検査で診ていると、脾臓や、脳などにオステオパシー的問題を感じる方が多いです。脾臓は人体最大の免疫器官です。その他関節や内臓はまるで磁石でひっつけれらているかのように、または粘土でこねられたかのように硬いです。マニピュレーション(オステオパシー的手技)で緩めようとしても、なかなか緩みません。

 僕の所属するオステオパシーの会ではここ数年でPMなどの化学物質や電磁波に対する知識とそれらに対して臨床でどうアプローチしていくか?という事についての講義が増えています。

花粉症のようで、花粉症時期でないときにおこる鼻や呼吸器の異常、目のかゆみ、原因不明の皮膚の湿疹などの症状、全身の身体の痛みや疲れの抜けない身体、めまいやボーっとしてはっきりしない思考やうつ等精神的疾患と思われてしまうような症状…。

 これら環境因子と身体の悪症状がどう関係するのか?細かなメカニズムもいずれまた書いてみたいと思いますが、のどかでは来院頂く方々にこうしたご説明もして症状の軽減がみられる方も多いです。今後より精度もあがるのではないかと思っています。

スマホテレビゲーム、電化住宅などの電磁波に囲まれ、外にでれば空は真っ白で、野菜などの栄養素は昔に比べ減少している、子供たちは治安や場所の問題で運動量が減少している…、個人的にはとても怖い時代だなと感じています。

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