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[記録 三松幸雄]

2018年08月13日

 アラン・バディウ形而上学なき形而上学」[翻訳]







寄稿[翻訳]:アラン・バディウ「形而上学なき形而上学」、『現代思想』2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー(青土社、2018年)

Article [Translation]: Alain Badiou, "Metaphysics without Metaphysics / La métaphysique sans métaphysique", Revue de la pensee d'aujourd'hui [Gendai shisō], Special Issue (2018).




「形而上学」の歴史的規定を経て、物自体の純粋思考、無限の実在を捉える絶対者の概念へ[220-221]。


「形而上学は、その存在(existence)の合理性を、自らの〔概念的〕装置内の未規定的な地点に帰するとき、古典的であり、または教義的(dogmatique)である。プラトン以来の古典的形而上学が数学から借り受けてきたものは、単一の概念から始めることによる存在の証明である。形而上学とはその根底において、純粋な ― つまり、経験的に検証可能ではなく、その存在(être)または内容がわれわれの知識の射程を超過するが、にもかかわらず合理的に論証可能である、という意味において純粋な ― 存在(existence)を承認することである。」


「存在(être)は、ある名のもとで哲学的に接近しうるとき ― そして、この存在を定義しうる諸述語のあいだに置かれたとしても、われわれのような人間の理解が接近しうるあらゆる述語的規定を、当の存在がまさにその本質において超過することが、明示的に見出されるとき ― 本質的に未規定的である。」[215]


「未規定なものの歴史的な自己規定〔…〕その弁証法はプラトン的な、したがって形而上学的な様式で ― ただし、誇張法によって高められた善のあらゆる超越が形而上学から追放されていることと併せて ― 何であれ思考可能なものの理念が存在することを肯定し、そしてそこに思考を結びつけるためには、適切な諸公理を選択すれば十分であることを肯定するだろう。」[222]


「有限から無限へのこの移行」 ― 「存在(existence)の数学化された体制」 ― 「この体制は、検証可能なものの領域にとって単純かつ可能な外部の実在をつくりだし、数えられるものによってのみ思考を編成する。それは、思考が思考するところの存在(être)とともにある思考の絶対的同一性である。」[217]


未規定なものが自らを歴史的に規定する。「弁証法的形而上学」の諸テーゼ[221f]。規定性の内在的な変容過程を叙述する「論理学」[220]。非単項超フィルターの無限個の族、マラルメの暗号、他。


第二の主著『世界の論理 ― 存在と出来事 II』(2006)以後の、弁証法的推論を介して〈存在と思考の絶対的同一性〉を記述する出来事の哲学。








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2018年08月11日

 ─ 閾: 声、生 … 零度の詩文、あるいは非‐詩学







【要 約】

近代国語学の周辺で定式化された〈詞/辞〉の対概念や、実験音楽におけるsilenceの位相、現代美術におけるready-madeの手法などを参照しながら、言葉の閾で不断に生成しつつある「詩」のありようを捉え、その「作品」を提示する。


【付 記】

偶然的進化の所産としての芸術システム(人類学‐生政治機械の作動圏)のうち、所与の「詩」形式を起点にとり、「文学」へと現働化されていない言語の非有機的生へと逆行する操作を経て、〈詞/辞〉の律動からなる前個体的な「声」にいたる。ことばの閾で「別に一体」(子規)の徴候を探索する。




公開研究会 「野外をゆく詩学 17」 2018年1月19日

多摩美術大学 芸術人類学研究所








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2018年03月03日

 高橋悠治 × 三松幸雄「自然について ― ΠΕΡΙ ΦΥΣΕΩΣ」




高橋悠治 [*url] × 三松幸雄「自然について ― ΠΕΡΙ ΦΥΣΕΩΣ」

講義:三松幸雄「閾・境界・カタストロフ ― 原子の逸れから(非‐)芸術へ」







エピクロスの空き地」展 連続講義 最終回 [*url] ― 講義・対話・問答など ―

日時: 2017年7月1日(土) 14:00~

東京都美術館 [*url]




自然のうちに孕まれた 偶然のわずかな偏り 落下する原子が宿す極小の逸れ そのような動きなくして 宇宙は何も生み出さなかっただろう とエピクロス/ルクレティウスに帰せられることばは語る それらを手がかりにして いま何ができるのだろう


古代原子論にひとつの端緒をもつ偶然性の哲学・存在論を経由しつつ 今日の「芸術」をめぐるいくつかのトポスに向けて 問いと対話をひらく


偶然の発生は 規則からの逸脱という意味での不自然さを帯びている そこから 自然を超えた稀なもの 予期せぬ新しさが出現することもあるだろう


芸術の閾へ 非詩 プロセスと実在 真理と贋金 「隠れて生きる」ための庭 公界のへり 移動する敷居












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2017年06月23日

 冷戦期の芸術音楽、その洞察と死角 ― 小野光子武満徹 ある作曲家の肖像』







寄稿:

「冷戦期の芸術音楽、その洞察と死角 ― 小野光子『武満徹 ある作曲家の肖像』」

現代詩手帖』3月号(思潮社) [*url]








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2017年06月15日

 三松幸雄 × 高橋悠治「道という ― 音楽、そして」







「道という ― 音楽、そして」

三松幸雄 × 高橋悠治 [*url]

水牛 サイト [*url]   銀座哲学レクチャー サイト [*url]

日時: 2016年12月17日(土) 18:30~20:30 [~21:00 まで延長]


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なぜ。どこへ。どこから。どのように。

いくつもの問い。くりかえされる試み。

切れぎれの道。先は見えない。

それでも、再び、始まりから始めるために。

二つの断片、出典のない引用:


起源はいまここにある。

起源は、

「いま」や「ここ」が顕われる前のいまここにあるもの。

生まれたばかりのこどものように、

まだ目をかたく閉じたままで、

「ここにあるものはなんだろう」


かたるのはわたしではない。

かたられるのはきみではない。

かたられていることはなにか、だれもしらない。




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問答、ディアレクティケーの庭 連句のように転じ、音源を挿みながら 聴こえない音を聴く 誰も知らない道を探して




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馬王堆帛書『老子』に関連する研究書を高橋悠治さんが当日もってきてくれたので、本を掲げて参加者に見せたりしたが、書誌情報を言ってなかった。

Robert G. Henricks (tr. & commentary), Lao Tzu: Te-Tao Ching, Penguin Random House, 1989.

http://www.randomhousebooks.com/books/78629/




同じ著者による、郭店楚簡『老子』に関する研究書(史的考察・翻訳・註釈):

Idem (tr. & commentary), Lao Tzu's Tao Te Ching, Columbia University Press, 2005.

https://cup.columbia.edu/book/lao-tzus-itao-te-chingi/9780231118163


郭店楚簡のものは現時点で最も古い『老子』の写本。正確には、馬王堆帛書と同様、『老子』という書名もない。




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