スーザン・A・クランシー 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』第5回


Clancy, S, A. 『ABDUCTED』の邦訳版。

性的虐待についての”回復された”記憶の研究を行っていた研究者が、

その”回復された”記憶をより安全に研究する方法として選択したのが、

「エイリアンに誘拐されたと思っている人の”回復された”記憶」についての研究であった。


第3章は、「アブダクションが起きていないとしたら、なぜ、そのような記憶があるのか」について。

その3回目。



催眠状態のもとでは、偽りの記憶が作られやすく、また、記憶の歪みがおおきくなる。

つまり、バイアスが大きくなる。



重要なのは、記憶を呼び覚ます際には、脳はそのまま取り出してくるのではなく、

記憶の構築をおこなっているという点である。


思い出すたびに再構築がおこなわれているということである。

よって、記憶は自分で作っているといえる。



多くの人が、体験のコピーが脳に保存されており、それがそのまま取り出されると思っている。

(認知心理学者のナイサーは、再現性仮説と呼んでいる)



そうではない、ただ断片があり、断片を寄せ集めて、記憶を構築している。




さて、催眠が記憶を呼び出す手段としては、非常に危険であり、

著者も否定的立場である。


その立場は、米国医師会や米国心理学会といった専門的な学会とも一致している。

ほとんどの州は、催眠によってよみがえった記憶を証拠として認めていない。

心理学と神経医学の上級訓練プログラムでも催眠療法は記憶をよみがえられる手段として教えられていない。




なのに、なぜ、催眠は使われ続けているのだろうか。


① 科学的実験結果が、臨床心理士や一般人に伝わっていない

② アブダクティーが記憶を取り戻すための不可欠な要素だと思っている

③ 現れる記憶が本物のように感じられる
  →強烈な感情(恐怖、痛み、畏敬など)を引き起こす



アブダクションが受け入れ難い理由は、裏付ける証拠がないだけでなく、

睡眠麻痺や偽りの記憶などアブダクション以外の説明を裏付ける証拠があるからだ。



いくらアブダクティーが、「体験したのは私だ!」と言っても、それは真実ではない。

真実は、客観的事実によって、証明されるものだ。

スーザン・A・クランシー 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』第4回

Clancy, S, A. 『ABDUCTED』の邦訳版。

性的虐待についての”回復された”記憶の研究を行っていた研究者が、

その”回復された”記憶をより安全に研究する方法として選択したのが、

「エイリアンに誘拐されたと思っている人の”回復された”記憶」についての研究であった。


第3章は、「アブダクションが起きていないとしたら、なぜ、そのような記憶があるのか」について。

その2回目。



催眠療法は、役立たずである上に、”偽りの記憶”を創作する手助けをしてしまう。

そして、その"記憶"は、本物らしく見えてしまう。


催眠療法によって捜索した偽の記憶は、

目の前にいる専門家が、「正しい記憶」として認めてくれる。


そして、それは、取り戻した記憶となっていく。



つまり、誘拐されたと信じて、認めてもらって、正しい記憶となる。




著者は、実際に、新米催眠術師に催眠をかけてもらい、ものの5分で、

「実際には手に入れていないTシャツを着て、時間軸的に行っているはずのないゲームをおこなっている」という

鮮明な偽りの記憶を作る体験をしている。



では、実際に起きたことと、想像しただけのことは、どうやって区別ができるのか?

その鍵は、記憶を獲得した時の情報を、思い出せるかどうかであると著者は説明する。



つまり、本当に体験したことの記憶は、知覚を伴うディテールを含んでいるが、

一方、想像したことは、知ってはいるが、その知識を獲得した際の状況や場所について具体的に思い出せない。



逆を返せば、想像したことでも、具体的な状況をどんどんと加えていけば、

本当のことか、想像のことか弁別が難しくなっていく。



子どものとき、近くのスーパーで試食の台を倒してしまったことを想像してください。


試食を配っているおばさんは、どんな顔ですか? おばさんのつけているエプロンの色は?

何を配っていますか? どんな味ですか? 周りには何人くらい人がいますか?

周りの人は、どんなことを言っていますか? 周りの棚には何が置いてますか?




少し具体的に想像するだけで、現実か空想か分かりにくくなります。

これを催眠状態のときに行い、その空想を、「本当ですよ」といってくれる専門家がいたら、

果たして、その時、現実か空想か、区別がくつんでしょうか。

スーザン・A・クランシー 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』第3回


Clancy, S, A. 『ABDUCTED』の邦訳版。

性的虐待についての”回復された”記憶の研究を行っていた研究者が、

その”回復された”記憶をより安全に研究する方法として選択したのが、

「エイリアンに誘拐されたと思っている人の”回復された”記憶」についての研究であった。


第3章は、「アブダクションが起きていないとしたら、なぜ、そのような記憶があるのか」について。


アブダクションのビリーバーには、記憶のある人と記憶のない人がいる。

その異なりは何を意味するのか?


これに対して、著者は、催眠療法やイメージ誘導などの名称で語られる精神療法の技法を用いる

アブダクション研究者やセラピストを探し出すか、探し出されるかしていることを明らかにする。

この精神療法は、失った記憶を取り戻すことや記憶からこぼれおちた詳細な点を補うのに役立つとされている。


第2章でみてきたように、自分が考えていること・信じていることを補強し、正しいものであると保証するものを

手に入れたいと思っている場合、それを手に入れるために、催眠療法を取り入れるのは想像に難くない。


では、催眠は有効な記憶回復方法なのだろうか?

もちろん、NOである。


役立たずである上に、”偽りの記憶”を創作する手助けをしてしまう。

そして、それは、本物らしく見えてしまう。

スーザン・A・クランシー 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』第2回

Clancy, S, A. 『ABDUCTED』の邦訳版。

性的虐待についての”回復された”記憶の研究を行っていた研究者が、

その”回復された”記憶をより安全に研究する方法として選択したのが、

「エイリアンに誘拐されたと思っている人の”回復された”記憶」についての研究であった。


第2章は、『なぜエイリアンに誘拐されたと信じるようになるのか』。

著者は、まず、アブダクティーに、アブダクションの詳細な記憶はないことを示すが、

これは、著者が言い出したことではない。

アブダクティー自身が言っているのだ。

つまり、「エイリアンが記憶を消した」、「耐えられないような記憶だったので、抑圧した」と。


そこで、疑問が出てくる。


『では、なぜ、そう信じているのか?』


著者は、アブダクティー達のインタビューから、

アブダクション信仰は異常だと思えるような体験をしたあとに、生じていることを発見している。

たとえば、背中に覚えのない痣といった体の特徴から鼻血などの身体症状、記憶のない具体的現象、性格特性。


これらから、アブダクションは原因帰属(現象や行動の原因・理由をある特定の要素にもとめること)であると、

著者は述べる。


それでは、さらなる疑問。

『では、なぜ、アブダクションに原因帰属をするのか?』


多くのアブダクティーが証言する「起きているのに動けず、周囲に何かの存在を感じ、体に電流が走った」という現象は、

すでに解明されている睡眠麻痺という、誰にでも起こりえる現象である。


その他、帰属をおこなうための現象はいくらでもある。

なのに、「なぜ、アブダクションなのか?」


著者は、この問いに、

アブダクションは、"知っていると思っている"ことに一致するからである。」と回答する。


どういうことか?

多くの人は、睡眠麻痺や不安障害、性機能障害などについて、知識もなく、それらを支える科学的素養も十分ではない。

だが、エイリアンやエイリアンによる誘拐などは、すでに多くの人が知っている。

そのため、アブダクションは、原因帰属先として有効となりうる。

そして、多くの人は、体験談を証拠として見なす。

そのため、他の解釈可能な現象の原因帰属として、"証拠のある"アブダクションを選択する。


もちろん、科学は体験談を証拠とはみなさない。

厳密な客観性、つまり、測定可能性、再現可能性、普遍性、反証可能性を掲げる科学では、

虚偽可能性、つまり、"嘘のつける"体験談は、客観的事実を何ら保証するものではないのだ。



著者は、回答者の94%が知的エイリアンの存在を信じているというデータを挙げ、

その上で、知的エイリアンの存在可能性について、疑問を投げかける。


 だが、とりあえず、人間以外の生命が宇宙のどこかに存在すると仮定してみよう。
 その生物が知能を持つほどまでに進化する確率はどれくらいだろう。
 (中略)
 地球は、生命体に適した惑星で、だからこそ生命体はここで誕生した。
 (中略)
 が、知性を自覚している生物はひとつしかいない。


また、仮に、そのような知的生命体が存在したとしても、

「なぜ恒星間の距離を飛んでこられるほど高度な技術を発達させたのか」

「なぜ、そんなことをするのか」

「なぜ、とりわけ人間に興味をもつのか」

卵子や精液のサンプルを採ることに興味があるのか」

「何度も同じようなものを人間から採取するのは、なぜか」

など疑問は尽きない。


それらの疑問を提示した上で、著者は、エイリアンが

 医学的な実験や遺伝子の実験のために人間を誘拐するという話は、とてもありえそうにないだけでなく
 ―じつにばかげている

と述べる。


しかし、アブダクティー達は、"感じた"のだと言う。

"私は、体験したのだ"、と。


アブダクションが事実ではないと証明はできない。

ただ、アブダクティーやビリーバーの提出する証拠では、

アブダクションが生じたとは十分に言えないと主張するだけである。


アブダクティーは、一度、アブダクションという原因帰属を行うと、

補強するための"証拠"を集め始め、そして、アブダクションを強固にしていく。

つまり、確証バイアスである。


アブダクティー達の主張、仮説は、科学的には意味がない。

Popperが提示した科学の定義の1つである反証可能性がない。

よって、科学的意味は無く、信仰である。


しかし、我々は"現実"に生きている。

「客観的事実によって裏付けられているか?」

そんなものは、生きている現実では、さほど大きな問題ではないのだ。

スーザン・A・クランシー 『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』第1回


Clancy, S, A. 『ABDUCTED』の邦訳版。

性的虐待についての”回復された”記憶の研究を行っていた研究者が、

その”回復された”記憶をより安全に研究する方法として選択したのが、

「エイリアンに誘拐されたと思っている人の”回復された”記憶」についての研究であった。


この本には、アブダクション、アブダクティー、ビリーバーという用語が頻出するので、

まず、その用語の定義をしておこう。


アブダクション(abduction)
エイリアンに誘拐されること。

アブダクティー(abduntee)
エイリアンに誘拐された人、誘拐されたと主張する人。

ビリーバー(believer)
アブダクションが真実であると信じる人。



本書では、インタビューやアブダクティー達との数日間の生活、心理学的実験を通して、

タイトルの通り、「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」を様々な切り口で考察している。


第1章では、著者がアブダクション研究に携わるようになったきっかけから、

アブダクティー・コミュニティとの数日間の生活までを書いている。

この章で重要な部分は、”回復された”もしくは”偽りの”記憶に関する本であること。

真実を追求する科学にも立ち入ってはいけないフィールドがあるということ。

アブダクティー達は、「悪い夢を見た」という事実に対する解釈として、「エイリアンに誘拐された」が最もしっくりくる回答であること。

そして、科学が呈示する客観的事実は、真実ではないということ。

村上 宣寛 『「心理テスト」はウソでした-受けたみんなが馬鹿を見た-』 Part. 3


第5章 採用試験で多用される客観心理テスト−内田クレペリン検査


就職試験やその対策テストなどでお馴染みの内田クレペリン検査


<個人的には、大学時代から、
<「あれで測れるのは個人の平均的な計算の速度やろ。なんで、そんなもんが就職に必要なんか、さっぱり分からない。」
<と思っていた内田クレペリン


本書によると内田クレペリン検査で測定できるのは、作業水準(足し算の量)と作業曲線の形(作業量の時間経過によるパターン)。


各行の一番後ろの数字を○で囲み、折れ線で結ぶ。
その線のパターンがギザギザで激しくなると精神的に不安定と判断される。

検査の結果は、作業量の段階、定型特徴の程度、非定型特徴の程度の3つの組み合わせ=24パターン分類で解釈されるが、
その解釈は、基準が不明確で主観的である。

(例)
健常者状態定型
○ 前半がU字型になる
○ 曲線で適度に動揺している
○ 誤答がほとんどない


健常者状態定型の特徴
○仕事にすぐ慣れて上達が早い
○外からの妨害に影響されにくい
○人柄も円満で率直で確固たるところがある


非定型
○ 大きい落ち込み
○ 後期作業量の低下
○ 動揺の欠如


非定型の特徴
○行動や気分の変化が著しい
○気力やエネルギーが衰弱
○感動性の欠如、へそ曲がり的


<計算を延々とやっていくだけでここまで分かるかい!!



内田クレペリン検査で見られる激しい動揺=ギザギザ
ブロッキング現象
 =精神的疲労による行為の実行の瞬間的な休止


心理テストは、ターゲットにしっかりと当たり、
外れたときには、外れたと分かることが大切


内田クレペリン検査では、定型と非定型の判断は
あくまで主観的な判断によってなされる


柏木(1962)
曲線の変動量を客観的に計算

生和(1971)
中学生、大学生、看護学生で再検査法による信頼性係数の測定

結果、作業量と誤答率は信頼性係数が高いが、
変動量の信頼性係数は低く、使い物にならない


検査を繰り返し受けると定型パターンが減っていく
=練習すればするほど非定型に判断されやすくなっていく

しかし、定型=平均的な正常者ではない

変動量の信頼係数が低いので、
結局、定型と判断されたり、非定型と判断されたりする。

ただ、それだけ。


作業量の信頼性係数は、高いが、この意味は?
⇒足し算の能力

足し算がたくさん出来る人は知能も高い
ただ、予測率は49%なので、正確な知能を測定できるているかは疑問


総括すれば過去の遺物。


半世紀にわたる恥ずべき逸話である。



「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

『「心理テスト」はウソでした-受けたみんなが馬鹿を見た-』 Part. 2

第2章 万能心理テスト−その名も「バーナム効果


Forer(1949)の一般的な性格記述によって人を騙す実験を取り上げ、
Meehl(1956)による「誰にでもあてはまるような一般的な記述を自分だけに当てはまるとみなしてしまう現象」
バーナム効果の名付け


誤謬率30%の精神病*を検出するテスト 精神病者90名 正常者10名におこなう
精神病者27名が正常者、正常者3名が精神病者と診断
=30名が誤って診断される
(*現在、差別用語化している。原文のまま記述。)


この場合、100名全員を精神病者として診断する方が誤謬は低い。


誤謬率5%の精神病*を検出するテストでは、誤って診断されるのは、5%となる。


よって、心理テストは、
①妥当性 ②基礎確立(ターゲットが対象集団に含まれている確率)
によって成績が左右される。


心の問題を抱えてくる人が多くやってくる施設では、ある程度の妥当性しかないテストでも、
常に「病んでいます」と答えれば、「あたる」


バーナム効果は、主観的妥当性効果、個人的妥当化効果、確証バイアスとも呼ばれる。


Furnham & Schofield(1987)によるレビューを取り上げ、
①男女差がほとんどないこと
権威主義的な人、他者からの承認欲求の高い人はだまされやすい
③嘘でも心地よ情報であれば信じやすい
④あいまいで意味のとりにくい表現を入れておくと説得力が増す
などの要因をまとめている


著者によるバーナム効果の実験について記述しているが、
非常におもしろい。

人がいかに騙されてやすく、都合のいい評価しか認めないのかがよく分かる。

最後に、倫理的な問題があるテストが多く使われていることを指摘し、
3章以降でそれを明らかにしていく。

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た