09. ベルセルク

ベルセルク (26) (Jets comics)

ベルセルク (26) (Jets comics)

壮大なファンタジーコミック

アニメ化され二度ほどゲーム化もされている本作は、有形無形のものあわせて、今のゲームや漫画に非常に影響を与え続けている人気作だと思います。広告コピーが面白くて、「元祖! 巨剣!」とか「読む人に必ず衝撃を与える…」とか「ファンタジーコミックの最高峰」とか、いつも力が入ってるような…いや、内容はその通りなんですが(笑)。
ベルセルク 千年帝国の鷹(ミレニアム・ファルコン)篇 聖魔戦記の章 通常版【CEROレーティング「Z」】
ごく簡単に内容紹介します。主人公は、失われた肉体を補うように極端に武装化された剣士、ガッツ(トレードマークは巨剣)。彼は、戦乱絶えない中世ヨーロッパ風の世界(ミッドランド)で何かを追うように剣を振り戦いを繰り返します。化け物と対峙し、人間離れした強さをみせるガッツ。彼が追うものは? 彼に関わる人々、傭兵、貴族、宗教者、魔のモノなどなど、そして、妖精エルフと繰り広げる壮大なドラマが展開します。
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非常に長期間続いている漫画。15年くらい。実は僕、初期は『北斗の拳』のイメージ強くて今ほどのめり込まなかった。「黄金編」〈3巻途中〉からどんどんハマリました。人によっては「まずは14巻まで読め」とかもありますが。これから読む人の参考までに、絵柄も随分かわるし、長い目ではじめてみてください。
北斗の拳 1 (集英社文庫(コミック版))

生き続ける力【ややネタバレ】

「生きろ」というコピーがまたたくまに消費されてしまう世の中で、本作は、逆境の中ひたむきに生きようとする主人公を、これまたひたむきに描き続けています。
逆境とは、主人公も含めた人間の暗い感情に根ざしたものであったり、「ただ一言、絶望といわれること」であったりします。
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ところで、世紀末らしさというのを考えたときに、こうした絶望的な状況、閉塞感をうまく描いた良作が多かったように思います。例えばアニメ『エヴァンゲリオン』、例えばゲーム『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』。
ゼルダの伝説ムジュラの仮面
本作で描かれる絶望のピークは、「触」と呼ばれる宴(うたげ)〈13巻〉であることは明らかでしょう。人によってはそれは、本作自体のクライマックスともとられます。世紀末までは説得力がありました。しかし、「彼はまだ生きているのです」。
ここでは、「百鬼丸の後の物語」すなわち、希望を描き始めた物語としてみてみることにします。

どろろリンク【ややネタバレ】

本作が、『どろろ』に非常にインスパイアされた作品であることは既にいろんな所で散見されます。適当に書き出してみると、肉体の一部を失い武装化した主人公、彼は常に魔に追われる、彼は魔の生贄からの脱却を図る、彼は魔と人の間(狭間)にいる、蛾の魔物、赤ん坊の異形のモノ、どろろとイシドロ(石つぶて得意)などなど。
どろろ(1) (手塚治虫漫画全集)
これはもう、余裕あるときに両作を読み比べてもらうのが早いと思います。ともに極めてオリジナリティが高い名作漫画であることも改めて感じられるでしょう。
さて、それでは逆に『ベルセルク』もとい「ガッツ」が、「百鬼丸」と違うところは一体何なのでしょうか。そこにおそらく、希望への鍵が隠されている気がします。

ベルセルク』の構造【ネタバレ】

ガッツは1人ではありません。共に戦った仲間がおり、そして共に生贄である護るべき者が存在します。それで十分? いやいや本作のファンタジーコミックたるゆえんは、ファンタジーのシンボル(例えばエルフ)が物語に深く関わるところにあります。彼は(ファンタジー含む)魔と人の狭間(はざま)に「生きがい」を見出そうと新たに剣を振り始めました。いつもしんどそうだし、迷ってもいるんですが。
また、本作に圧倒されてしまうことには、ゲームなどで散々消費された魔法(これは既に、もう一つの剣にすぎない)について、「魔道」として再構築を試みていること。「大いなる謎を受け入れ 世界の内より万象を探求する それが魔道」〈24巻〉。理論が硬質なら、表現も斬新。今までみられなかったような魔術の様が描かれます。
ちなみに、本作がこうしたファンタジーらしさにいたる前に、中世期の人為的な宗教に対して少し否定的なエピソードがありました。これは後の、古代の神殿の跡地に中世の寺院が建てられた、という場面にも集約されるのですが、実は、『ダ・ヴィンチ・コード』にリンクしたりします。
ダ・ヴィンチ・コード〈上〉 id:mLink:20041129
そろそろまとめます。
どろろ』の百鬼丸は閉じた世界で1人、魔と対峙していました。だから、彼の最終的な居場所というのはわれわれの目の届かないところにあって仕方がないのかもしれません。例えそこに希望があろうとなかろうと、魔に覆われて残念ながら目に写らないのです。
ベルセルク』は、おそらく世界を描き、照らし始めているのだと思います。絶望が、人間の内面、暗い心からはじまり、理(ことわり)なき魔の者を呼ぶ居場所でもあれば、一方では真に心を開きこの世ならざるものと感じあえる魔術士も登場します。ガッツはこれまでと同様、剣を通して魔や周りの人々や世界の全てに触れるのですが、それは読む側のわれわれにとって、何層にもわたる世界の深みを、広がりを、明るい光でもって目に見せてくれる道しるべなのです。
照らされて拡がった壮大な世界を目にするとき、その道しるべこそが、彼の居場所はどこかに必ずあると確信させる、希望の光そのものだと思えてくるのです。