26. ファイナルファンタジーⅦ

PS one Books ファイナルファンタジーVIIインターナショナル

PS one Books ファイナルファンタジーVIIインターナショナル

グローバル RPG

ドラゴンクエストⅧ』面白そうですね。お店のぞいたら、中古しばらく値下がりしなさそうだ。というわけで、今回は『ファイナルファンタジーⅦ』(笑)。
ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
タイトルの画像は、インターナショナル版という、海外版の日本語版です(ややこしい)。これしかなかった。リンク先に解説があります。
簡単な内容紹介。どこかの世界、魔コウ炉という発電所みたいなものがボコボコある近代的な街で、主人公クラウドは魔コウエネルギー利用に反対するレジスタンス活動に巻き込まれます。序盤のこの街では、サイバーパンクっぽいSF世界の中で、ハードなイベントをこなしますが、街をでると一転、チョコボが似合うのどかなフィールドがひろがります。それからはオーソドックスなRPGが楽しめるという、なんとも意外性のあるゲーム。
チョコボコレクション
当時とても売れましたよね。ファミ通で某漫画家が「確かに時代のグルーヴ感を得た」ゲームとか言ってた気がする。
ファイナルファンタジーシリーズは大好きなんですが、メジャー感があるわりに、シナリオが「病んどるな〜」と気になることが多い中、本作は(たぶん)ガイア論を軸にわりとまとまってて(でもないかな)、とにかく! 遊びやすいです。今年やり直した時も、エンディングにホっとできたし、時間の無駄とは思わない(思いたくない)。
ふゥ。。今回、歯切れ悪いな。

リンクあれこれ

本作でたとき、ベルセルクに「元祖! 巨剣」のコピーがでてた(笑)。主人公クラウドの大きな剣は、こちらからでしょう。だけど、「巨剣」ってそもそもゲーム的というか似合うというか、本作以降ゲームの剣大きくなったよ。
ベルセルク (26) (Jets comics) id:mLink:20041124
ところで、ガイア論はおそらく「地球を総合的な一個の生命体としてみる」くらいの意味だと思うのですが、それでも本作と、例の映画はこの影響が強いみたい。
ファイナルファンタジー [DVD]
ガイア論の例では前にNHKで、「例え人類が核で滅亡しても、地球の植物は再生します。森は復活します。」とメガネ研究者が嬉々として語ってました。つまり、人間を範疇外に考えるのが基本で、決して「この星を僕らで救おう!」というのではないみたいです(当たり前か…)。ちなみに『寄生獣』では、ガイア論自体に少し否定的でした。いずれにせよ、極端な環境論でちょと古臭い。
寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス) id:mLink:20041219
と、つっこみどころはあるものの、最近でも関連商品がでるこの「Ⅶ」。シリーズ中の他作品の信者との論争はあるでしょうが、今となっては「この頃のがよかったよなぁ」という思い入れある人やはり多いのでは。
ASIN:B0002FQATS
いくつか魅力をみていきます。

確かにあった新しい演出 【ネタバレ】

FF7』は、いろんな面で過渡期の作品であったと思います。
グラフィック面では、PS初のFF、3DCGを全面的に採用ということで、ムービーも用いました。だけど、ムービーの質はバラツキがあり、今のような統一感はまるでなかった。次に、上記のように序盤イベント主体のRPGかと思いきや、フィールドでのレベルあげなどオーソドックスな面も残ってました。さらに、アイテムのマテリアシステムは、今の「合成当たり前」的な複雑化のハシリでもあり、それでいてまださほど難解なシステムではなかった。
つまり、本作は「新しいことをやらねばならない」という流れをつくりつつ、昔のゲームっぽさもまだまだ残していた。優れているのは、そのバランスがなんとか保たれていることだと思います。
最後に、これは未だ他に追いつかれてないと僕が思う新しい演出について。
本作の主人公クラウドは、自らの記憶に曖昧な存在です。ゲーム中、彼が語る記憶のエピソード(ある村)に、プレイヤーは何度もつき合わされます。そして、それは修正され、やがて完全に「彼の記憶は違う(刷り込み)」と判明する。その見せ方は、画面上の街や他のキャラが同一で、そこにいたはずの主人公だけ違うという画面構成を使ったもの。しかも、プレイヤーは「彼の間違った記憶」を実際にプレイしているから、「あれは何だったんだ」という驚きと喪失感がひとしおなのです。
記憶をテーマにした映画はもちろん今もありますが、本作のこの演出ほどに驚き、そして不思議な気持ちにさせられた体験は、僕にはありません。
メメント [DVD]
当時は、なによりこうした演出方が他のゲームに影響を与えるだろうと興奮したものですが、なぜかそうはならなかった…。
FFⅦ』の魅力とはつまるところ、未だひきずっているクラウドの「間違った記憶」、その踏み込めない影の領域に、何かを見出そうと惹かれているということなのかもしれません。