深まっているのは秋だけじゃなくて

デザインってなんやねんと最近よく考えます。

そのきっかけは色彩論という授業。美術の専門学校の先生がしてくださる講義で、芸術とデザインについて考察している毎日なのでした。とはいえ原点は、純粋行為こそが芸術である、ということ。子どもがぐにゃぐにゃ描いた絵が息をのむくらいの、うつくしい作品になったりするように、うまいことやろう、って思うんじゃなくて、ただ楽しいことを求めてやっていると素敵なものができあがるよ、ってことが前提です。

そこで体験したのはふたつの課題。
量は質に転換されるという指導のもと、絵の具を塗ったり、たらしたり、色鉛筆でひっかいたりして、いろんな画材で紙に色をつけて試す色材研究と、

紙を切ったり、やぶったり、貼りつけたりして、すきなように紙をいじめる(by先生)紙材研究。

出来上がった作品を10センチ×10センチに切りとってトリミングすると、良いところがさらに浮き彫りになっていく。一部を切り取るということも、創作には必要なのだと教えていただきました。「創」って漢字には、倉を刀で切る、って意味があるもんね、自分自身を素直にそぎ落とせる潔さがもっと欲しいです。

いい年して、こんな図工の時間にきゃっきゃするなんて思わなかったけど、絵の具のついた指をそのままに、教室の窓から夜の青山通りを眺めていると、なんだか子どもに戻ったような、大学院生の不規則な時間を改めて感じたような、へんてこな気分になりました。だけど、同期のおねーさんに「まきちゃんの作品はポップで、色があっても無くてもまきちゃんぽいね」て言われてすごくすごく嬉しかったな。褒め合うのって、本当の大人にならなくっちゃできない。


 (右下付近がわたしの作品たち)

 (紙材、難しかったです)


先週末はデザイナーズウィークへも行きました。

各ブースを回っていると、出展者の人たちがその作品にある背景を自身のことばで語ってくれて、彼、彼女自身の人となりに直に触れたような触り心地を感じます。1日かけていろんなひとの持つ物語にそれぞれ耳を傾けていた気分。ライフスタイルを豊かにすること/相手のためであり、自分のためでもあること/物語。これがわたしにとってのデザインのキーワードかもしれないという結論が出ました。
「デザインってなんだと思いますか?」って誘ってくださったかたに聞いたら、だからなんなの?て聞かれちゃいけなくて、オチがいるのがデザイン、逆にオチがなくてもいいのがアートじゃないかなだって。なるほど。色とりどりのデザイン論。

(関係ないけど、運命の赤い糸って本当は赤くないって、この作品見て思った。誰しもが持っている運命の糸は細いカラフルな糸が何本もねじれて合わさった毛糸で出来ていて、だから人によっては赤に見えたり、青に見えたりする糸なの。相手を信じる思いこみと愛情が実は運命って呼ばれているもので、きっとそれが糸を赤く見せている正体。)

純粋行為だけでデザインが成り立つわけじゃないかもしれないけど、手を好きなように動かして作ってみたらなんだかいいものができちゃいましたー!みたいな作品が魅力的で目についた気がします。色彩論の最後の課題は「純粋行為」について考えること。デザインと併せて考察していきたいです。

そんなわけで、珍しく思いふけり、知らないことを知ることにまたすこし貪欲になった近ごろになっております。学生の本領発揮。今週は念願の野田凪展に行きます。

グッドデザインカンパニーの仕事―1998‐2008

グッドデザインカンパニーの仕事―1998‐2008

Pen (ペン) 2011年 11/15号 [雑誌]

Pen (ペン) 2011年 11/15号 [雑誌]

衝動買いしたpenと、いつかいただいた本。リビングで読もうとしたら、先にパパママに取られちゃったけど。こちらも楽しみ。早く読みたいなー。