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2009-01-21

共存の芽を摘むために

| 21:04 | 共存の芽を摘むためにを含むブックマーク

 『占領ノート』を読んでから、この間ずっと引っかかっていたものについて。なんとなく、もやもや感を言葉にできそうになってきたので、いくつか書いてみます。イスラエルシオニズムのために占領政策を手放せずにいるのだけど、それはイスラエルシオニズムの正しさを信じているからではなく、むしろ信じきれないからではないか、という話。

 論理的には詰めが甘いのですが、メモ書きということで。

占領下の日常が「古き良き時代」になるとき

占領ノート―一ユダヤ人が見たパレスチナの生活

占領ノート―一ユダヤ人が見たパレスチナの生活

 『占領ノート』は、ユダヤ系のフランス人、エリック・アザンによるヨルダン川西岸の訪問記。アザンは、アルジェリア戦争ではアルジェリア民族解放戦線に参加し、レバノン内戦では戦場で医療活動に携わっていたという、劇的な経歴の持ち主なのだけれど、本書は、ただひたすら淡々としたトーンで―それこそフランス映画のように―占領下に生きるパレスチナの人々の声を記録している。本文は字も大きくて読みやすい*1し、巻末にはP-navi infoのビーさんの解説もありで、かなりお勧めの一冊。

 というのが、ごく簡単な『占領ノート』の説明。ところが、本書は個人的にどうしても引っかかっていた部分があって、さらに、それがなぜなのかが自分でも説明できなかったので、なかなか書評らしきものを書けずにいた。それは、ナブルスについてアザンが綴った次の一文である。

将来、国が平和になって、破壊された旧市街の石鹸工場やぼろぼろの宿が、ユダヤアラブ人ブルジョアや観光客向けの豪華なレストランやホテルになったとき、今日、選挙ポスターにまざって葬儀写真が貼り出されている「殉教者」たちの孫の世代が、もしかすると結局のところ、古き良き時代だったのかもしれないとつぶやく日が来るかもしれない。

 反発を覚えたわけではない。むしろ、それは、忘れていた何かを目の前に突きつけられながら、それが何なのかはわからないという、何とも言えないもやもや感だった。アザンの発言の背景にあるのは、ナブルスの人々の間で、ごく当たり前に存在していた、社会的連帯だった。

 ナブルスを訪ねた異邦人として、私は、それでもなお、ある種の軽快さをナブルスの雰囲気に感じていた。日々の生活は苦しく、人々は疲れ果て、苦痛と悲しみを背負っているが、それだけだというのは正しくないかもしれない。そこはまた、警察のいない町――それは大したことである――で、広告もなく、人々が路上で寝たり生きるために物乞いをすることもない。人間が単なる人口の算術的合計に還元されていない町。液体に加えられた圧力がその液体の物理的状態を変えるように、ナブルスという高圧鍋に加えられた圧力は住人を人民に変えていた。

爆撃される者こそが幸福であるという転倒

 最初に思い出したのは、「人間の盾*2としてイラクを訪れた反戦活動家の言葉だった。

“Every breath you take might be your last, because you never know when a missile might go astray”, she said. “By being there I learned the gift of life, I did not want to come home”.

「次の瞬間には自分が死んでしまっているかもしれないのよ。いつミサイルが落ちてくるかわからないから」と彼女は言った。「イラクにいたことで、生きていることが実は奇跡のような贈り物だってことに気づいたの。帰りたいなんて思わなかったわ」

 5年ほど前のノートから書き起こしたので、日付などはわからないが、出典は ABC, “South African human shields back from Iraq with message” とある。昔の自分が書き留めたメモもついていた。

死を身近にとらえない限り、自分が生きていることの価値が実感できないのだとすれば、爆撃される恐怖に体を震わせている人々こそ幸福であるという詭弁も成り立つのではないだろうか。

 もちろんアザンの発言が詭弁だと言いたいわけではない。『占領ノート』はイスラエル占領政策を手厳しく批判し、その正当化をいささかも許すものではない。けれども、彼の発言には、さらに不気味な含意があるようにも思う。つまり、生きていることの価値をあらかじめ自覚する者たちの上にしか、かれらの生を奪う爆撃の雨が降らず、絶望的な飢餓や貧困が訪れることもないのだとしたら、どうだろう?

Sirens sounded and at 7:08, US planes hit us. We have hope and very big hope for peace. I love hope because it's the most beautiful thing in the world and I wish hope will continue in every Iraqi family and American. I wish from God only peace.

-Iraqi teen shares her diary of war

7時8分にサイレンが鳴って、アメリカの飛行機が私たちを爆撃しました。私たちには、平和に対する希望が、とても大きな希望があります。私は希望が大好きです。だって、希望は世界でいちばん美しいものだから。この希望がイラクアメリカのすべての家族から消えてしまいませんように。私が神様にお願いしているのは、平和、ただそれだけです。

イラクのティーンネイジャーの戦争日記

パレスチナの人々は、イスラエル占領政策にもかかわらず、社会的に連帯している」のか、「パレスチナの人々は、イスラエル占領政策ゆえに、社会的に連帯している」のか、ということは、このさい置いておこう。そうではなく、もしかすると、「イスラエルは、パレスチナの人々が社会的に連帯しているがゆえに、パレスチナの占領をやめることができない」のではないだろうか?いったい何を言っているのかというと・・・。

「人が人を信頼することに賭ける、その先」

 id:mojimojiさんは、イスラエルが占領政策を手放すためには、シオニズムの袋小路を抜けて、信頼の道をゆくしかないと指摘する。

では、「やつら」は信頼に値するのか。そんなことはわからない。単に、排除が確実に破滅にしか行き着かないならば、信頼の道をゆくしかない、ということである。かくして、人は、人が信頼に値するから、信頼するのではない。人が人を信頼することに賭ける、その先でしか、人が人として生きる世界が可能ではないからである。

 モジモジ君の日記。みたいな:「本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら」

 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090110/p1

 ところで、『占領ノート』にはこんな一節がある。

イスラエル人と同じ国に暮らすという見通しは、彼ら彼女らにとって少しも奇妙なものではなかった。「これまでずっとそうだったように、ユダヤ人と仲良くやっていくことができます」「ユダヤ人であるというだけでユダヤ人に反対することはまったくありません」。私はこうした言葉をしばしば耳にしてきたし、個人的に占領に苦しめられている人々からも聞いていた。若い人々や政治的な面での意識があまりない人々も、入植者と兵士とイスラエルの人々一般を区別していた――感心せずにはいられない。

 これはどういうことだろう。パレスチナの人々は、イスラエルが信用に値しないことなど知り尽くした上で、それでもなお「人が人を信頼することに賭ける、その先」で、イスラエルの人々を待ち受けようとしているのである。*3

 では、どうしてイスラエルはこうした人々と手を取り合って、信頼の道をゆこうとしないのだろう。そこには、政治的・経済的な理由には還元できない、イスラエルの行動原理―シオニズム―がある。

共存の芽を摘むために

 イスラエルが本当に除去したいと思っているものは、ハマスロケットなどではない。表面的にはそう見えるかもしれないし、イスラエル自身もそう考えているかもしれないが、ハマスの軍事部門はイスラエル軍の歪んだ*4鏡像にすぎない。イスラエルが本当に摘み取ろうとしているのは、パレスチナの人々の間にある、イスラエルとの共存の意志ではないだろうか。

 「世界は信頼に値しない」という命題をパレスチナの人々に受け入れさせない限り、イスラエルは実はシオニズムを心の底から信じることはできない。「やつら」を信じることなどできないというシオニズムの前提は、「やつら」であるところのパレスチナの人々が、「われわれ」との共存―「イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国」―を求めるたびに、激しく揺らぎ続けるからだ。

 結局のところ、パレスチナの人々の中に根を生る共存の芽を摘まなければ、イスラエルは「やつら」に対する不信さえも信じることができない。それはシオニズム国家イスラエルにとっては、本質的な自己否定につながる。

 だからこそ、イスラエルは、パレスチナの占領を続け、そこに生きる人々の尊厳を根こそぎ奪い去ろうとするのではないか。「やつら」が二度と「われわれ」を信じることがないように。「世界は信頼に値しない」という命題に安住して、過去と現在と未来において「われわれ」が行い、また行うであろう、すべての不正を取り繕うために。

前進への最良の刺激は、われわれが逃げ出さなければならない何かをもつことである。

 やはり、どう考えても、イスラエル占領政策は破綻している。

 メモ書きは以上。この楽しくも明るくもない推論がかりに正しかった場合に、結論として言えることは、mojimojiさんのエントリーとまったく変わらない。たとえ、「世界は信頼に値しない」と考える方が楽なのだとしても、世界を信頼に値するように変えていく、その義務は、誰もが負っているのだろうと思うから。

*1ケータイ小説用に最適化された人でも読めそう

*2:嫌な言葉だ

*3:もっとも、『占領ノート』は、2006年の5月から6月にかけての、ヨルダン川西岸の記録なので、アザンのいう「かくも貴重な機会」は―特にガザでは―すでに危険にさらされているかもしれない。

*4:あまりにも非対称なので