"you can run. But you can't hide!"

 OurPlanet-TVにアップされた志葉玲さんのパレスチナ・ガザ報告(映像)を見た。パレスチナ人の民家を占領したイスラエル兵たちは、そこに「アラブ人の墓(1948〜2009)」という絵や、"you can run. But you can't hide!"という落書きを残していったという。

 OurPlanet-TV: 「志葉玲パレスチナ・ガザ報告」
 http://www.ourplanet-tv.org/video/contact/2009/20090218_18.html

 志葉玲さんは、兵士の落書きについて、「人間はどこまで醜くなれるのか?」と述べているけれど、この兵士たちは、イスラエルの「良心的」な市民よりは、はるかに正直だ。パレスチナ人に対するジェノサイドを肯定しない限り、イスラエル占領政策に加担することは、論理的に不可能である。かれらは、その事実を明快に示してみせたにすぎない。少なくとも、この落書きの中には、和平を唱えながら占領をやめようとしない、シオニスト左派に典型的な欺瞞は見られない。

 イスラエルの「良心的」な人々は、落書きを残した兵士たちを非難するだろう。パレスチナ人の遺体の前で記念写真を撮った兵士たちを、上官が厳しく叱責したように。かれらを例外的なケースとして切断処理することで、イスラエル占領政策を正当化しようとするために。こうした人々にとって、兵士たちの罪は、かれらがこの欺瞞を共有しようとしなかったこと、ただその一点に尽きる。

 パレスチナ情報センター:「ルート181から読み解くパレスチナイスラエル
 http://palestine-heiwa.org/route181/200601230025.htm

 イスラエルの徴兵制は、「各種の社会保障制度や奨学金、公務員や大企業への就職ともリンクしているため」、兵役が課されていないイスラエル国籍のパレスチナ人や、兵役拒否をするユダヤ人は、「社会保障制度や一般就職から閉め出される形になる」。"you can run. But you can't hide!"という言葉は、それを書いた兵士自身に向けられたものでもあるかもしれない。

 今、僕らは、兵籍に入れという命令を拒否したために、裁判を受けており、最大3年の禁固を受ける可能性に直面している。
 どこかで聞いた話だとは思わないか?けれども、似ているのは、彼らが僕たちにしていることだけじゃない。他の人々に対してしていることも、似ている。つまり、テロを防止すると称して外国の土地を占領し、他の人々を弾圧しているということ。君や僕は、それが、支配エリートの経済的・政治的利益を追求するための単なる言い訳に過ぎないことを知っている。けれども、その代償を支払わなくてはならないのは、エリートたちじゃない。

 君の裁判がまもなく始まる予定だと聞いた。僕の裁判は既に始まっているから、少しだけ助言できるかも知れない。
 裁判官の目を見つめること。自分が何故裁判にかけられているのか説明するために、あらゆるチャンスを使うこと。裁判官たちも、君と同じような人間だ。だけど、自分たち自身に、それを否定しようとしているんだ。そうさせないように。戦争はくそみたいなもので、裁判官だってそれを知っている。君を放免しなくてはならないということを、彼らだって知っているんだ。
 結局、僕ら二人とも、刑務所に入れられる可能性は大きい。刑務所では暗いときがあるだろう。外にいる人々が皆、僕らのことを忘れてしまったと思えるような、そして僕らがしたことすべてが無駄だったのではないかと思われるような、暗いときが。そんなとき僕ならどうするか、わかっている。スティーブン、僕は君のことを考えるんだ。そうすれば、僕らが人間性のためにしたことは、何一つ無駄じゃないということが分かるだろう。

 益岡賢のページ:「イスラエルの兵役拒否者から米国の兵役拒否者への手紙」
 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/matanfunk.html

 村上春樹は、あなたもまた「システムと呼ばれる固い壁に向き合う壊れやすい卵」である、とイスラエルの人々に寄り添い、「僕たちの魂を合わせることによって得られる温もりを拠り所に」システムと闘うことを呼びかけた。けれども、エルサレム賞そのものは、闘うべきシステムの象徴だ。イスラエルの外務省から村上春樹に送られた手紙には、「あなたのエルサレム賞受賞がイスラエルにとって持ち得るどのような性質のプロパガンダとしての価値があるか、・・・、をよろしくご勘案くださいますよう伏してお願い致したく、・・・」という文面があったという。【2/21追記】ビーさんからご指摘をいただきました。この部分は間違いで、手紙はイスラエル外務省からではなく、ISM(国際連帯運動)から送られたものの一部でした。裏技(?)を使って元記事に当たってくださったビーさんに感謝します。考えてみれば、プロパガンダプロパガンダであると自分から宣伝する必要はないですよね。

 村上春樹エルサレム賞受賞スピーチは、本当に多くの人たちが翻訳に取り組んでいて、自分もその一人だったのだけど、スピーチを訳しながら何度もこう思わずにはいられなかった。もしも、これだけ多くの人たちが、パレスチナにいる誰かの声を―村上春樹の言葉を知ろうとするように真剣に―聴こうとさえしていれば、イスラエルのガザ侵攻も―もしかすると1948年にまで遡るパレスチナ人に対する民族浄化ですら―起こらなかったのではないか、と。

 もちろん、村上春樹のスピーチから重要なメッセージを受け取ろうとすることが間違っているとは思わない。それは実際に受け取ることができるし、自分もその一部を受け取れたと考えている。mojimojiさんの一連の記事も、とても明晰なものだと思う。けれど、彼のスピーチを訳しながら、ただ無性に悲しかった。Romanceさんのいう気分の悪さが、ずっと胸につかえている。

 planet カラダン:「洋上のスピーチタイム」
 http://d.hatena.ne.jp/Romance/20090216#p1