北朝鮮バッシングをスルーする週刊金曜日の「広島化」

 半ば予想していたことだが、今週の週刊金曜日北朝鮮バッシング問題(注:北朝鮮問題ではない)を見事にスルーしている。あれほど(注:江原啓之比120%)気色の悪い佐藤優の言説を無批判に垂れ流している週刊金曜日の編集部方針には、とくに何も期待していないので、失望するほどナイーブにもなれないが、とりあえず批判しておく。

 より正確に言えば、北朝鮮人工衛星打ち上げについて取り上げた文章は二つあって、一つは辻元清美の「永田町航海記」で、もう一つは読者からの投書である。前者はもともと連載企画なので、週刊金曜日が意図して掲載した文章は、読者からの投書のみということになる。

 それにしても、この投書の内容はひどい(というか実に週刊金曜日らしい)。「さる三月一〇日に、東京大空襲から六四年目の記念日を迎えた」という書き出しからも伺えるように、金玟煥氏の指摘する「広島化」そのものなのである。

 私にも話させて:「金玟煥「日本の軍国主義と脱文脈化された平和の間で」」
 http://watashinim.exblog.jp/9541487/

 投稿は、「かつて朝鮮半島を含むアジア諸国を侵略したあげく、自国が悲惨な戦場と化した敗戦体験の歴史をここで想起せずにはいられない」という一文で終わっている。かりにも朝鮮半島を含むアジア諸国を侵略した」歴史を振り返るというなら、1945年3月10日の東京大空襲の記憶だけでなく、1919年3月1日に始まる三・一独立運動の記憶が想起されてしかるべき*1なのに、そうした視点はまったく見られない。一言でいえば、終わっている。

 北朝鮮がまもなく長距離ロケットを発射実験するとの予告は、九日に開始された米韓合同軍事演習とも関連があるとみられる。いわば米朝冷戦の狭間に置かれた日本周辺にもミサイルが着弾する危険を想定して、こちら側もミサイル防衛システムの発動を準備している。

米朝冷戦の狭間に置かれた日本」
米朝冷戦の狭間に置かれた日本」
米朝冷戦の狭間に置かれた日本」

 この何も見えてない(そもそも見る気もない)「平和」主義と比べたら、先日のエントリーに対する一連のコメントの方が、まだしも気持ち悪くない、と思う。「こちら側」という、ナショナリズムの無自覚な押しつけにも、生理的に悪寒が走る。

北朝鮮側は自国の発射ロケットが迎撃されれば、日米韓の本拠地に対する報復打撃戦を始めると警告している。戦後六四年のあいだ日本の本土が戦火に見舞われることはなかった。この国内平和の状態が、隣国からの報復攻撃で破られる恐れなしとしない。

 この「広島化」―「歴史的な文脈が除去された「平和」」を志向する立場―こそ、まさに「安らかに眠って下さい」と、(私自身を含めた)現代の日本人が宣言するべき対象だろう。

キムミンファン氏が論文で指摘しているが、稲嶺前知事時代の県当局が、平和祈念資料館の展示計画の変更に際して、アジア-太平洋地域の平和維持のためのアメリカ軍の役割を強調したように、「広島化」された、「歴史的な文脈が除去された「平和」」は、「日米同盟」にも親和的である。沖縄戦集団自決をめぐる論争で見られる沖縄の<島ぐるみ>の「広島化」は、沖縄県内での米軍基地のたらい回しという現状を、補完することになるだろう。

 というわけで、以下のエントリーをぜひ読んでみてほしい。

 私にも話させて:「金玟煥「日本の軍国主義と脱文脈化された平和の間で」」
 http://watashinim.exblog.jp/9541487/

追記

 当たり前のことだが、広島・長崎で被爆したのは日本人だけではない。広島では7万人、長崎では2万人の朝鮮人被爆したと言われているが、朝鮮人は慰霊碑さえ自分たちの手で作らなければならなかった。そこには次のような碑文がある。

第2時世界大戦の終わりごろ軍都広島には約10万人が韓国人・軍人・軍属・微用工・動員学徒一般市民として在住していた。1945年8月6日原爆投下の日、これら韓国人のうち2万余名は一瞬にして、その尊い人命を奪われた。広島市民20万の犠牲者の一割に及ぶ2万余韓国人死没者は決して黙過できる数字でない。爆死したこれら犠牲者は誰からも供養を受けることなく永くその魂がさまよいの続けていたが、1970年4月10日在日日本大韓民国居留民団体広島県本部は、この悲惨を強いられた同胞の霊をを安らげ、再び原爆の惨事を繰り返さないことを希求しつつ、平和の地広島の同胞一隅に、この碑を建立しました。

 広島も突き詰めて考えれば、日本の侵略責任・戦後責任を厳しく問う立場に行き着かざるをえない。それができていないのは、戦後民主主義と言われるものの中で、日本人が結局は広島さえ記憶できなかったということではないのか。

*1:もちろん、他にもこうした日付はいくつもあるが、3月に限って言えば、日本人が最も忘れるべきでない日付は、やはりこの日だろうと思う。