Hatena::ブログ(Diary)

電気的真丹後蝸牛報

2016-08-01 秘境と秘教

<今回も昔の駄文の再録>

 国会図書館の目録で、題名あるいは副題に「秘境」が含まれた本を検索してみると、一九五〇年から五九年の間に九件、六〇年から六九年までに九五件、七〇年からは五九件、八〇年からは七七件、九〇年からは八五件となっている。全体の出版点数の増加を考えると、六〇年代からの一〇年間は明らかに突出している。

 題名に「秘境」と謳った最初の単行本は、国会図書館で見る限りは、黒沼健『秘境物語』(昭和三二、新潮社)であるらしい。さすがに斯界の第一人者である。五九年にすでに青木喬『秘境ブーム』(昭和三四、ベストセラー社)という本が出ているところを見ると、五〇年代からすでに盛んであったようだ。

 学問的なところでは中尾佐助の『秘境ブータン』(昭和三四、毎日新聞)、川喜田二郎鳥葬の国』(昭和三五、光文社)もこの時期に出ている。行動する人類学者が輝いていた時代である。コンチキ号のトール・ヘイエルダールが、太平洋ひとりぼっち堀江謙一とならんで子供のアイドルであった頃。

 ちなみに、このころ(昭和三五年)すでに、UCLA人類学大学院生であったカルロス・カスタネダアリゾナ州のバス停でヤキのシャーマンドン・ファンと会っている(本人談)。

 同じ頃、アメリカでは「エキゾチック」が流行していた。フェイクなポリネシアンの民芸品(仮面やポール)、マーチン・デニー、アーサー・ライマンのアルバム、南洋風のチキバーといったものが、郊外住宅を舞台に流行していた。特に流行の中心となった南カリフォルニアには、いまでもチキバーが残っているだけでなく、本家ディズニーランドにはその精髄のようなEnchanted Tiki Roomがある。現在のフリーウェイとモールに覆われたロサンゼルス郊外ではなく、一九五〇年代、六〇年代の南カリフォルニアの風景を想像してほしい。乾燥した土地の上に、航空産業の巨大な工場、住宅、オレンジ畑といったものが広がる、どうにも散文的な風景であった。海岸には石油掘削井戸が並んでいる。カリフォルニアは夢の場所ではなく、夢を見るには最適の場所、あるいは多少のまっとうな神経を持っていたら夢を見なければ生きていけないような場所であった。フェイクであろうと、太平洋の彼方に極楽の夢を紡ぎ、多少のアルコールを嗜むことは、郊外住宅に住む健全な市民にとって、許容された悪徳であり異教的習慣であった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Tiki_culture

 こういうエキゾチックな流行の底には、魔法、心霊、怪物などで世界をもう一度魔術化(enchant)したいという願望が込められている。魔法が可能なら、南洋、インドチベットネイティブ・アメリカンケルト、いや近所の工場でもかまわない。ハリウッドの魔法ははげかけていたが、巨大航空産業と科学技術の「魔法」は幾分の効力はあった。工業製品と技術そのものが聖なるものであった時代の痕跡は、ロサンゼルス国際空港に残るUFOのようなシンボルタワーだろう。

 秘境物の「ノンフィクション」(もちろん括弧つき)も多数出版され、当然、太平洋を越えて、日本にもその余波が押し寄せてきていたわけである。考えてみたら、エキゾチックの対象であるはずの(当時の)日本人が、エキゾチックな夢を見るというのも変だが、ともかく、日本で秘境物が流行した背景には、こういうアメリカの事情もあった。

 話を日本に戻すと、出版社で言えば、二見書房ベースボールマガジン社山王書房などが多くの本を出していた。山王書房は、秘境探検シリーズと銘打ち、全五巻のアンソロジーを出している。浪速書房の出していた秘境調査協会編の「秘境の女シリーズ」は、言うまでもなく清水正二郎胡桃沢耕史)のエロ本。秘境探検本の相手は独身男性である、冒険もセックスも同じく一大事なのである。

 その中で神吉晴夫光文社も何冊かの秘境ベストセラーを出しているが、そのラインナップの中に、注目すべき本が三冊入っている。

1ロブサン・ランパ、今井幸彦訳『第三の眼 秘境チベットに生まれて』(昭和三二、光文社

ジョン・キール、白井正夫訳『ジャドウ 東洋の黒い魔術』(昭和三三、光文社

3モーレー・バーンスティン、万沢遼訳『第二の記憶 前世を語る女 ブライディ・マーフィ』(昭和三四、光文社

 

 1は、チベットに生まれてないチベット人の話。堂々たるイギリス人が、チベット人を称して世間を煙にまいた一冊。こういう自称チベット人とかインド人では最も成功した部類に入る。円盤同乗経験もあるそうで、ランパ、バック・ネルソンダニエル・フライの三人の経験談を集めた『われわれは円盤に乗った』(昭和三四、宇宙友好協会)もあるらしいが、こちらはレアアイテムで未見。チベットも宇宙もたいしてかわらんと、ランパ先生、太っ腹(実物が行方不明なので、書影は省略)。

 2については、「モスマン三番叟」でも触れた。ジャドウとはヒンズー語で黒い魔術という意味で、ブードゥーの類だという。蛇使い、カイロ魔法使いミイラインド魔術、ヒマラヤ雪男などの謎を追って、カイロからシンガポールまでの冒険の旅。当時の秘境ルポ物の典型だが、さすがにキール、読ませる。もっともどこまでが本当か。よく分からん。

 3は少し詳しく書こう。原書はMorey Bernstein, The Search for Bridey Murphy, 1956といい、転生を立証したとして当時は有名となった本である。Milton Klein ed., A Scientific Report on the Search for Bridey Murphy, 1956という反駁本まで出ていることで、その影響の大きさが分かるだろう。

 執筆者バーンスティンは会社社長で、催眠術から超心理学研究の道楽に入りこみ、ライン博士と文通を交わしたり、エドガー・ケイシーリーディングを研究したりする。イギリス精神科医アレキサンダーキャノンの本(Alexander Cannon, Power Within, 1953)を読んで退行催眠に興味を持ち、一九五二年、友人の妻ルース・シモンズ(二九歳)に実験してみると、アイルランド人の前世が出てきた。事件の顛末は以上のようなものである。

 転生の事例を証明したものとして、その後も影響を与え続けた本であるが、今から読むと、その点はさほど面白いわけでもない。むしろ、当時のアメリカの会社社長というのは、金も暇もあったのだなあとか、変なところに感心してしまう。あるいは、文中に引用されたケイシー研究家のある技術者の言葉は、物理学が霊的事柄を理解しうると夢見ていた、アメリカ人の霊的人間観を示していて面白い。

 「私たちのからだを生かしているものは、私たちのきわめてせまい視力の範囲をこえた、一種の高周波電磁荷なのではあるまいか。この高周波電荷を、あなたはなんなりと、好きな名前で−−心とでも、精神とでも、霊魂とでも−−呼んでよろしい。」

 「(ケイシーは)この高周波電荷は、肉体上の死にもそこなわれずに、そっくりそのまま残る、と言った。物質の古い集積である肉体はすり減る。したがって、それは廃棄され、ほうむられる。しかし、内部にある電荷−−私はそれを心霊と呼んでいるが−−は、残る。そして、これが、前世の意識、記憶、印象を与える物質なのだ。」(九九頁)

 俺たちは電気だぜと言いきってしまう度胸にしびれる?

 ともかく、この本はケイシーについて言及した初期の本でもある(さらに古いものがあったはずだが、失念)。その後、昭和三六年に、ジナ・チャーミナラ『窓はひらかる』(昭和三六、インフォメーション出版社)が出て、ケイシーの名は、細々と伝えられていくことになるが、それはまた別の話。

 秘境シリーズの中でこのような本が出版されるように、秘境オカルト(とセックス)はセットで流通したわけである。その典型はもちろん大陸書房であり、カスタネダもその延長線上に置くことはできるのではないかと思う。

 二見書房は、その後、『呪術 ドン・ファンの教え』(昭和四七)、『分離したリアリティー』(昭和四八)など、カスタネダの一連の著作を出している。また、秘境物、オカルト物を一手専売していた大陸書房は(一瞬、正気に戻ったか?)、リチャード・デ・ミルらの批判的研究『呪術師カスタネダ 世界を止めた人類学者の虚実』(昭和五八)を出版している。

 一見おまぬけなチキ・グッズから、ありがたいカスタネダの教えまで、実は共通時代精神を呼吸していたのではないかというお話。

2016-02-15 木村秀雄とP・バーナード

ひさしぶりにブログを更新する。もっとも内容は2002年に旧ホームページに書いたもの。あれから近代ヨガ研究は進展し、ピエール・バーナードの研究書も複数出版されているので、そちらの研究はかなり進展しているが、日本人唯一の弟子、木村についてはほとんど研究が進んでいない。とりあえず、自分用のメモ代わりにアップしておく。

木村秀雄と木村駒子

 観自在宗は、木村秀雄の創設にかかる一種の霊術である。木村は熊本の裕福な家に生まれ、同志社を出て、カリフォルニアに留学。その留学中に、後述のように霊術を学び、帰国後の明治39年、熊本市に日本心霊研究会を興す。心霊という語がキリスト教的な意味合いから離れて、現在のような意味合いで使われ始めた嚆矢ではなかろうか?この心霊団体が後の観自在宗の母体である。その後、九州四国で講演旅行をしながら東京へ出てきて、明治末から大正始めにかけてはマスコミをにぎわし、有名人を会員にして評判を集めている。胃病を患った漱石宛に、自分の心霊治療を勧める手紙を送ったのもこの時期である(漱石は、彼らしくもこれを断っている)。


 秀雄の妻は木村駒子といい、女優、舞踏家フェミニストの先駆者として、今では秀雄よりも有名だろう。以下は藤田富士男『もう一人の新しい女』(1999,かたりべ舎)を参照した。


 駒子も熊本の生まれで、熊本女学校に学ぶ(徳富兄弟の叔母、竹崎順子が校長)。青山女学院などのいくつかの学校に通い、アメリカ留学を目指している内に秀雄と出会い、結婚。二人が上京したのは明治42年、駒子は彼の霊術のアシスタントとして、透視能力や腕に針をつきさす危険術などを実演して評判を集めた。松村介石が平井金三と主宰していた心象会は彼女を早速実験会に呼んでいる。若く美しい(かどうかは個人的判断に任せるが、当時の新聞ではそう書かれた)女性が霊能力を発揮したことは新聞をにぎわせた。そのままいけば、もう一人の「御船千鶴子」となったかもしれないが、そうはならなかった。


 彼女は、御船と対照的に積極的に発言し行動する。社会主義系の雑誌『熊本評論』に寄稿し、木村との「自由結婚」を実践し、アメリカの女権論者と文通していた。青鞜に対抗して、西川文子、宮崎光子と『新しき女の行く道』(1912)を著して、女権論の方でも名を馳せるなど、千鶴子とは同じ時代、遠くない空間に生きながら、属する時代精神はまったくことなっていた。ちなみに西川文子は、元社会主義者で当時は精神療法の本を書いていた西川光二郎の妻。光子の夫は自称メシア宮崎虎之助だった。夫の方の顔ぶれもとんでもないトリオである。


 駒子は多才な女性だったが、幼い頃から芸事を学んでいた彼女は、最終的には舞台芸術の道を選ぶことになる。上京後は三浦環の個人レッスンなども受け、その後は曾我廼屋五九郎に誘われて大正四年に浅草で舞台に立って大人気を博している。経済的にもキャリアの面でも一応の成功を収めた彼女は、夫と子供と共に1917年から1925年まで渡米し、アメリカでもカーネギーホールブロードウェイに出演している。

 さて、こうした背景知識を頭に入れておいていただいた上で、木村駒子『観自在術』(大正3、育成会)を紹介したい。出版社の育成会は教育関係の出版社で、平井金三の『三摩地』も出している。当時の修養本ブームの中で出た一冊だろうが、教義、思想を解説したような本ではない。二人の生い立ちと観自在宗の設立とその後に至る事情を構成も何もなく、そのまま勢いで書き連ねたような本である。おそらく一部には秀雄自身の筆も入ってるのだろう。全体の文体は駒子のシャーマン的というか、勝手気ままというか、性格そのままの奔放なものである。
 この本の中では、木村秀雄が1905年初頭にサンフランシスコで日本人留学生Hと出会ったことが、オカルトの道へ入る契機となったと書かれている。
 そのH君との最初の会話の模様は以下の通り。なお「宗」とは観自在宗宗祖である木村秀雄のこと。駒子は夫を宗祖と呼んでいた。

H「君は霊智学と云ふのを知って居るかね」


宗「知らない」


H「これは露西亜の婦人でブラバツキイと云ふのがはじめた」

宗「アア、それか、それなら、僕の幼い時、その女の弟子のオルゴットと云ふのが来たと、熊本で聞いたことがある」
  Work out your Salvation
 と云う語をその男が書いた額を、宗岳寺と云ふ御寺で見たことがある。何んだか、羅漢と手紙のやりとりをするそうだ」
                                       (『観自在宗』115,116頁)

 熊本では、政界教育界の有名人でアジア主義者だった津田静一が中心となって、オルコットを招聘している。熊本上流階級に属す木村
 なら知っていても不思議はない。ヒマラヤのマハトマを「羅漢」と同一視するのは、オルコット自身に発するようである。ともかく、こ
のH君なるものが、秘密のオカルティストを直接知っていて、印度タントラという秘密結社の監督だという。そこから話は急転。

H「この秘密結社は世界に七人の監督がいる。英吉利仏蘭西露西亜、伊太利、亜米利加印度、波斯、と、僕の逢った紳士は亜米利加の
監督で、七人の中では一番若い、そして神通に長けている、僕は実際見たのだ。


宗「見たいなあ、神通、ああ神通、ああ神通!


H「そして、この秘密結社露西亜では虚無党の最高顧問であり、伊太利亜では国事や秘密事件の隠れた顧問だそうだ。


宗「愉快だなあ、僕も一緒にいまから行こう、是非行こう。
                                        (同書、123頁)
************************************************************************************************

 H君と共にブロードウェイの裏手にある家に翌日行ってみると、そこにはフロックコートを着た美丈夫がいて、神秘実験を見たいなら、
 翌日の夕刻、来いと言われる。舞台となった町はおそらくオークランドバークレーだろうと思われるが、明記されていないのでよく分
からない。「湖」がそばにあるようだが、これも不明。

 世界の裏面で暗夜する秘密結社、そのマスターという謎の紳士、美女が二人、荒くれ男が二人と、小説のような設定であり、実際、当時こういうオカルト秘密結社小説は別段珍しいものではなかった。ここまで読んだ時、小生は、秀雄が向こうで読んだオカルト小説を借用してでっちあげたのであって、この紳士は仮構の存在だろうと思っていたのだが・・・。


 ここで秀雄は透視・テレパシー現象(もしくはただの奇術)を目の当たりにする。紳士は彼に、何でもいいから紙切れに好きな言葉を書きなさいと言い、秀雄は有名な詩人の名前を小さな紙切れに書き出し、丸めると内ポケットに入れた。ところが、目を黒布で覆っていたはずの紳士は、彼の書いた文字をことごとく言い当てたのである。驚いた彼は、翌日の夜もこの紳士を訪ねる。

 若いのには簡単な理由がある。テレパシー実験もトリックの可能性があり額面通り受け取ることはできないが。さて、ベルナアドはここで、秀雄とHに対して青黒い毒汁のような薬を取り出し、二人に与える。
 二人は、その場は何ともなかったが、宿舎に帰り、ベッドに入ってしばらくすると・・・。

 H君は苦悶の真最中で両眼は兎の眼のやうに赤く、四肢は虚空を掴むように藻掻いている。きれぎれに、


 あ、ぼ・・・く・・・は、もうし・・・しぬる


 と幽かな声、これあ大変と宗祖は、H君の方に行こうとすると、急に可笑しくなった、可笑しくて、可笑しくてたまらないやうになった、
腹の底から搾り出すやうな笑が止めどなくつきあげてくる、宗祖はころげんばかりに笑っているうちに、自分もあの薬のせいで、こんなに笑っ
ているのだと思うと、急に気味悪くなってどうも仕方がないようになって来た、それで人などにかまっていられないやうな気になって、急いで
自分のベッドに這入って眼を閉じた、なんだかこう身体が裂けるやうな気持ちがするので、驚いて眼を開けて、自分の傍を見ると、自分と寸分
違はぬ自分の身体が寝ている、宗祖は夢だと思った、併し、自分の意識は確かである、夢ではない、夢ではない、何んとも譬へられぬ恐怖の念
がむらむらと起こってたへられないやうになった、手をさしのべてその身体に触れてみたい気がしたので、ずっと手をさしだすと今度は非常に
情欲が起こって、誰れでもいいから、抱いてみたい、たまらないやうになって来た、そして天井をみると天井の白い色が、ずんずん、天に登っ
て行く、一萬里かああ十萬里か、幾億萬里か、無限に登って行く、壁をみた、その壁がまた開く、幾億萬里か分らない程、開いて行く
                                          (同書、131,132頁)


 この後、秀雄は情欲のままに同じ寄宿舎の知人を抱きしめたらしいが、彼は熊本稚児さんを持つ身であったので、情欲はそちらの方向に働いたらしい。そして翌日、ベルナアド氏を訪れると、氏はイマジネーションが起こっただろうという。彼の言うイマジネーションとは、単なる心理上のものではなく、「想ったことが事実になる」ことを指す。先日行った魔術も、その原理はこのイマジネーションにあるのだという。もっとも、これだけではどういう系統の魔術かは分からない。
 しかもこの魔術によって、彼は一定期間死んでいることが出来るのだという・・・。

 ベ「私は或る期間、死んでいることが出来ます。一週間でも、一ケ月でもこれはその実写です。
ベルナアド氏は一葉の写真を宗祖に示した、それは長椅子によったベルナアド氏が全く死の状態に入って居るのを、諸大学の医学博士、教授連が
集まって、脈拍を験し、呼吸を験し、温度を験しそれから顔面に長いピンなどをつきさして、感覚などの試験をして、全く、死の状態である断案
を下しているのであった。


 宗「所謂形心分離の妙作用ですね、私も是非修得したいものですが、御教示が願われましょうか。


 ベ「いや、あなたは今は勿論出来ない、併しあなたは誠に世界に得やすからぬ神秘的天才です、私から教わってはいけません、あなたは自ら、
自分で啓発する時期があります
 (同書、141,142頁)


 ベルナアドは秀雄に、33箇条の基本教義、人身の七身説、修行の七段階を教え、近い内に日本に帰ることになろうと予言した。そして予言とおり、この年の十一月に彼は帰国の途につくのである。

 薬剤を使ったイニシエーション経験の描写にはリアリティがあり、秀雄が何らかのドラッグ経験をしたのはまちがいないと思われる。オカルト文脈ドラッグを使うのは十九世紀中葉あたりに始まると言われるが、何にせよ当時はごく少数の人間が実験していただけであろうし、日本人で経験したのは秀雄がかなり最初の方だろう。また、それを忠実に記録したという点では、まず類を見ない記録だと思う。


 帰国後の秀雄と駒子の生活、子供「生死」(のちにSFパイオニアになる)を連れての布教生活、江間俊一、古屋鉄石などの霊術家との交流、御嶽教管長と知り合い象徴神道と称して、明治末年の三教会同会議に参加したことなど、二人の生活は事件だらけで、それはそれで面白い。また、二人とも自己陶酔タイプで、そのエゴの強大さは現代人もかなわないほどで、徳富蘆花のことを併せて思い起こすと、よく言われる明治後期の「個」の成立というのは、こういうアクの強い個性の爆発ではなかったかとも思われる。

 それにしても、話を1905年のサンフランシスコに戻せば、「ピイル、アルノルドベルナアド」とはそれこそ少女漫画フランス人の名前に使われそうな、あまりに陳腐な名前である。果たして彼は実在するのか。木村のイマジネーションの産物ではないのか?

 ところが歴史は分からない。Pierre Arnold Bernardは実在していた。

ピエール・アーノルド・バーナード

 もっとも、存在は分かっても素性がよく分からない人物である。伝記の類は存在せず、かろうじて以下のサイトで情報が得られた。

 一つはヴァンダービルト大の図書館員Richard Stringer-Haye氏のサイトである。こちらには批判的、肯定的、いろいろな立場からの記事が掲載
されている。
 http://www.vanderbilt.edu/~stringer/pab.htm


 秀雄が見せられたという仮死状態のバーナードの写真はいまでも以下のサイトにある。こちらはタントラのサイト。
 http://www.tantraworks.com/tantrausa.html

 Stringer-Haye氏のサイトには、バーナードに関するいくつかの記事がアップされているが、中では下の二つが参考になる。

Sann, Paul. "Success Story: The Omnipotent Oom" In, Fads, Follies and Delusions of the American People. New York: Bonanza Books, 1967.
  (http://www.vanderbilt.edu/~stringer/follies.htm)


Boswell, Charles. The Great Fuss and Fume Over the Omnipotent Oom." True: The Man's Magazine, January 1965: pp. 31 32, 85 91. 
  (http://www.vanderbilt.edu/~stringer/fume.htm)


 これらによるとバーナードの本名はPeter Coon、1875年アイオワ州生まれであるという。ということは秀雄が「見た処、どうしても二十八九」と言ったのも当たり前。


 若い頃はセントルイスにいたとか、インドで学問をしていたとか本人は称していたが、Boswellは、実際はカリフォルニア果樹園や床屋などで働いていたと述べている。1905年頃にMortimer K. Hargisという相棒と組んでメタフィジカルの世界に入り、Bacchante Academyを設立して、催眠術や性的な教えやハタヨガなどを伝授し、官憲から眼をつけられていた。秀雄が出会ったのは、まさにグル稼業を開始したばかりのバーナードだったようだ。P.A.B.と並んで生涯使っていた別名Omnipotent Oomを名乗り始めたのもこの頃だという。
 さらにこの頃、Tantrik Order of Americaを設立してVira Sadhana: International Journal of the Tantrik Order V, no. 1 (1906)を発行している。
 結局、官憲の眼が厳しくなったのでカリフォルニアを抜け出してニューヨークに進出し、1910年にNew York Sanskrit Academyを開く。


 彼がこのアカデミーで実際何をしていたかというと、かなり怪しげな代物であったようで、催眠療法で治療していた少女から性的な誘惑の廉で告訴されている(が、原告告訴を取り下げて終わった)。
性を肯定する教えを伝授していたのは間違いないが、どこまでの性的実修法を伝授していたのかは不明である。しかし彼の結社が入っていたアパートからは終夜女性の叫び声が聞こえていたという。ヒンズーの教義に名を借りた性的施設だったのか、それとも非の打ち所のないサンスクリット学院だったのか。人体磁気で手袋を発光させるという実験を行っていた時には、ヒューズがとんで電線がつながっていることが暴露されたり、また第一大戦が始まると、トランペット、曇りガラスなどの小道具を使って戦場の夫や恋人の顔を見て話すことができますという商売も始めている。そういう意味では、節操がないというか、商売熱心というか。

 彼の運が一気に好転したのは、Blanche De Vriesと結婚してからであった。彼女はダンサーヨガ教師東洋哲学にも通じていた(なお木村駒子も後にエキゾチックダンサーとしてニューヨークで有名になった。これは偶然の一致か、あるいは妻にダンサーをめとるのはタントラ教義からか?)。上流階級に知人が多い妻を通じてBernardは、大富豪William K. Vanderbiltの夫人Ann Rutherfurd Vanderbiltとその二人の行状不安定な娘たちを始め、富豪や有名人の信者に持つことになった(バンダービルト夫人とその娘たちの結婚、離婚もまた凄い話なのだが、ここでは省略)。


 この結果彼は一躍資金を得て、何かと周辺の眼がうるさいニューヨークを抜け出て、郊外のNyackに屋敷を手に入れて、ここにClarkstwon Country Clubを開く。最盛期には400人の会員、260エーカー敷地に15の建物、6面のテニスコートゲストハウス、劇場、講堂、夜間照明つきの運動場、水泳場、そして動物園まであった(象も飼っていた)。もちろん7000冊のオカルト書と東洋哲学書を集めた図書館もあった。
 こちらのページ(http://www.vanderbilt.edu/~stringer/library.htm)では、ヨガ版の健康プラザであったように書かれている。一方Boswellの記事では、タントラの性的イニシエーションを教える、性的に自由リトリートであったと述べられている。果たしてどちらかは分からない。どちらでもあったかもしれない。
 Bernardは、この経済的成功によって地元の商工会議所の会長に選ばれ、あるいは隣町の銀行を買収しその頭取にもなっている。
 第二次大戦後には、ターバンを巻いた扮装でヨガを教えることもなくなり、普通のツイードのスーツを着たビジネスマンとなり、Clarkstwon Country Clubも普通のカントリークラブとなっている。彼は1955年に80才で亡くなっている。


 実業家としては先読みのセンスがあった。少人数の秘密オカルト団体、都会の性的オカルト・クラブ、郊外の会員制高級リトリート、そしてオープンな健康クラブと、タントラ教義にこだわることなく、お金の多い方へと次々に形態を変えていった。彼にとって、タントラエキゾチックな性的教義は客引きのアクセサリー以上のものだったのかどうか、そこのところはよく分からない。


 毎日何十本と巨大な葉巻をふかしながら、ほとんど病気することもなく、最晩年も数日寝込んだだけであっさりと逝ってしまったのは、やはりタントラ功徳なのか。生まれつき生命力旺盛だったというのが真相のような気もする。



 バーナードのタントラ教義のソースについては、バーナード家はインドタントラを学んだシリア人Hamatiと交流があったという説が伝わっている。これは甥のTheos Bernardの話として、シリア人というとイスラム教キリスト教であろう。果たしてタントラを伝えるかどうか。そもそもバーナードという名前自体が偽名であった。むしろ、西欧人の書いたオカルト文献などにそのソースはあるのではないかと疑われるところだが、ソースを明らかにするのは難しいだろう。


 このTheos Bernardが本当に甥であったかどうかもBoswellは疑っているが、バーナードは彼をカリフォルニアより呼び寄せて、信者のユダヤ人大富豪Jacob Wertheimの娘Violaと結婚させている。Violaは後に有名な医師になり、Theosはコロンビア大学に学んで東洋哲学で博士号を取得している。Theosもヨガの心得があり、ヨガ教則本を著しているが、その教えていた女性弟子が発狂し夫から告訴されるに及んで、Violaから離婚されている。彼は戦前にラサへ潜入しチベット僧になったといい、その経験をPenthouse of Gods(1936)にまとめているが、ここまでいろいろな経緯があると、その話もおいそれとは信じ難いが、どうなのだろうか。ただし、1947年、ラサに探検に出かけた途中で殺害されたというのは本当であるようだ。また、もうひとつ付け加えると、バーナードの義理の妹Ora Ray Bakerは戦前有名だったスーフィーのHazrat Inayat Khanと結婚している。

 なお、木村秀雄は渡米後の1918年にバーナードを訪問している。バンダービルト家の資金でNyackに本拠を移す前のことになる。この後、木村夫妻は7年間もアメリカに居住していたのだから、両者の間には何か関係があってもよさそうなものだが、それについてもよく分からない。

2014-11-04 Workshop#3 Kyoto

Workshop#1 SE Asia as a crossroads for Buddhist exchange: Pioneer European Buddhists and Asian Buddhist networks 1860 – 1960

Sep.13 - Sep.14, 2012

University College, Cork

http://buddhistcrossroads.wordpress.com/programme/

Workshop#2 Bordering the Borderless: Faces of Modern Buddhism in East Asia

Oct.4 - Oct.5, 2013

Duke University

https://web.duke.edu/apsi/events/Events2013_2014/BuddhismConfOct2013/Duke%20Buddhism%20conferenceBlurb.pdf

Workshop#3 Asian Buddhism: plural colonialisms and plural modernities

Dec.12-14, 2014

Jinbunken, Kyoto University (Dec,12) & Ryukoku University (Omiya Campus) (Dec.13,14)

http://www.maizuru-ct.ac.jp/human/yosinaga/

Sponsored by

Bukkyo Dendo Kyokai

Research Center for Buddhist Cultures in Asia (BARC), Ryukoku University

Institute for Research in Humanities (Jinbunken), Kyoto University

Minpaku Contemporary India Area Studies

Collaborative International Research Grant, American Academy of Religion

Chikazumi Jokan Research Group (Kaken no. 24320018)

Modern Religious Archive Research Group (Kaken no. 23320022)

2014-10-21 国際研究集会のお知らせ2

Asian Buddhism: Plural Colonialisms and Plural Modernities - Workshop #3 – Kyoto

ワークショップ

日程:2014年12月13日、14日

場所:龍谷大学大宮学舎清和館3階ホール

1st Session “Buddhism Beyond Borders” [09:30-11:45]

Chair: KLAUTAU, Orion (The University of Heidelberg)

B-1 [09:30-09:55]

RITZINGER, Justin (The University of Miami)

"Original Buddhism and Its Discontents: The Chinese Buddhist Exchange Monks and the Search for the Pure Dharma in Ceylon"

B-2 [09:55-10:20]

長谷川琢哉 (大谷大学)

"Herbert Spencer and Meiji Period Buddhist Philosophy"

B-3 [10:20-10:45]

岩田真美 (龍谷大学)

"Takanawa Buddhist University’s International Network: The Activities of the International Buddhist Young Men's Association"

B-4 [10:45-11:10]

岡本佳子 (国際基督教大学アジア文化研究所)

"An Asian Religion Conference Imagined: Okakura Kakuzō and Oda Tokunō and Religious Ties in Early 20th-Century Asia"

Respond and Discussion [11:15-11:45]

Respondent: BOCKING, Brian (University College, Cork)

2nd Session “Buddhism Socialized” [13:00-15:15]

Chair: KLAUTAU, Orion (The University of Heidelberg)

C-1 [13:00-13:25]

BANSE, Christiane (The University of Heidelberg)

"Modern Buddhism and Social Work: Akamatsu Renjō's Notion of Jizen"

C-2 [13:25-13:50]

大來尚順 (仏教伝道協会)

"Kenmyo Takagi: An Example of the Buddhist Way of Life in Imperialism"

C-3 [13:50-14:15]

近藤俊太郎 (本願寺史料研究所)

"Marxism and Buddhism in Modern Japan: The Anti-Religion Movement"

C-4 [14:15-14:40]

FREEMAN, Alice (The University of Oxford)

"Zen Buddhism in Japan-US Relations during the Vietnam War (1963-1976)"

Respond and Discussion [14:45-15:15]

Respondent: KIM, Hwansoo I. (Duke University)

3rd Session “Buddhism: Preached, Read, Taught” [15:45-18:00]

Chair: 守屋友江 (阪南大学)

D-1 [15:45-16:10]

碧海寿広 (龍谷大学アジア仏教研究センター)

"Modern Buddhism and Reading Culture: The Case of Akegarasu Haya"

D-2 [16:10-16:35]

SCHICKETANZ, Erik (東京大学)

"Sakaino Kōyō’s Buddhist Historiography and its Intellectual Background"

D-3 [16:35-17:00]

SCOTT, Gregory Adam (The University of Edinburgh)

"Absolutely Not a Business: Scriptural Presses and the Commercialization of Chinese Buddhist Print Culture in the 1920s"

D-4 [17:00-17:25]

KAPLAN, Uri (Duke University)

"From Preachers to Teachers: The new Buddhist Lay Education System of the Korean Chogye Order"

Respond and Discussion [17:30-18:00]

Respondent: JAFFE, Richard M. (Duke University)

4th Session “Buddhism, Nations, Colonialisms” [10:00-11:50]

Chair: 那須英勝 (龍谷大学)

E-1 [10:00-10:25]

WARD, Ryan (明治大学)

"On Suga Shunei: A Man of Many Allegiances"

E-2 [10:25-10:50]

GODART, G. Clinton (The University of Southern California)

"Buddhism, War, and Technology: Rethinking Ishiwara Kanji and the East-Asia League Movement"

E-3 [10:50-11:15]

HESLOP, Luke (The University of Edinburgh)

"Enmity of the Robe"

Respond and Discussion [11:20-11:50]

Respondent: 杉本良男 (国立民族学博物館)

5th Session “General discussion” [13:00-14:00]

Chair: 那須英勝 (龍谷大学)

Respondent: GREEN, Nile (The University of California, Los Angeles)

基調講演 [14:30-15:00]

入澤崇 (龍谷ミュージアム館長)

2014-10-20 国際研究集会のお知らせ

Asian Buddhism: plural colonialisms and plural modernities - workshop #3 – Kyoto

日時:2014年12月12日 午前10時〜午後5時

場所:京都大学人文研1階セミナー室1

Seminar “Plural Modernities”

10:00-11:50 Alicia Turner (York University) "Connections and Collaborations across Colonies: Local Networks that Facilitated the Flow of Buddhist Reform in Southeast Asia" コメント 守屋友江(阪南大学

11:00-11:50 Nile Green (University of California, Los Angeles) "The Making of Muslim Networks in Japan, c.1890-1940" コメント 赤井敏夫神戸学院大学

13:00-13:50 Brian Bocking (University College, Cork) "The Buddhist Spokesman at the Hub of Empire: Charles Pfoundes in London, 1878-1892" コメント 吉永進一舞鶴高専

14:00-14:50 Richard M. Jaffe (Duke University) "The Rebirth of Japanese Pilgrimage to India in the Modern Era" コメント 佐藤守弘(京都精華大学

15:00-15:50 Hwansoo I. Kim (Duke University) "Striking A Win-Win Deal:Establishing the Great Head Temple Chogyesa in 1940 Downtown Seoul" コメント 川瀬貴也(京都府立大学

16:00-17:00 Laurence Cox (National University of Ireland Maynooth) "Inventing global Buddhism: repertoires in transition" コメント 住家正芳(立命館大学

司会:星野靖二(國學院大學)、岡田正彦(天理大学

参加自由ですが、前もってご連絡願います。yosinaga @ maizuru-ct.ac.jp (スパム防止のために@マークを変更してあります)