マイノリティからマジョリティへ

相対数の変化〜その本質の変容〜

そうそう、いまさらだけど、俺オタクです。自他ともにかどうかはともかく、自覚出来るくらいにはオタクです。
いわゆる隠れオタクとオタクの間くらいで、片足突っ込んで境界線またいで気持ちよくなってる感じのオタクだと自覚してます。
そもそも世間様のオタクボーダーはいまだに厳しく、
『ネットではてなダイアリーってのつけてるんだ。キーワード機能とか面白いし、おとなり日記とかもあるし、はてな村だのなんだのとよくわからない問題意識持ってる人とかもいて、面白いよ!』
だとか
IMEはクソだよね。やっぱり日本語入力ならATOKだよ! 本当はその流れでワードも使いたくないんだけど、やっぱりMS様には勝てないんだろうねぇ。秀丸でもなんでもいいけど、テキストエディタが本当は一番なんだろうけどねぇ』
とか
『今までのHTMLは両方をごちゃ混ぜにして記述してたから、わかりにくかったのね。それをHTMLとスタイルシートの二つに分けて、スタイルシートにレイアウトの内容を書いて〜(略)』
なんてことを語ろうもんなら、即座に「あ、この人オタクなんだ」と思われます。


で、いきなり矛盾したことを言うようですが、オタク嫌いです。
正確には、最近のオタクと呼ばれる、「オタクと似て非なる『何か』」が大嫌いです。

http://www.kakumoedou.org/
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997568.html

最近の秋葉原とか好きじゃありません。
某宗教団体の運営するPCショップがチラシ配ってた頃が一番好きだったかな。
まぁでも、秋葉原って時代と共に物凄く様変わりしてきた街なんで、これも流れなんでしょうけどね。


君らね、確かに世間的には「オタク」だろうさ。
でも、オタクが持ってる「原罪意識」というような後ろめたさや、オタクが持ってる「個人主義」とも言えるような立場、オタクが持ってる一種の「諦念観」のような物は、一切ないよね?


オタクってのは、社会に生きるカビや苔のような、日陰者だと思っています。
ジメジメした場所や日陰を好み生息し、カビのように時々世間様の役に立ったりもするけど、基本的には嫌われているような。


かつて2chが『電車男』ドラマ化によりメジャーになったり、その前くらいから携帯ユーザーが大量に入ってきてメジャー化していった時に感じ、語ったように、日陰者の住んでいた場所に日が当たることを、日陰者は好まない。
それを喜ぶのは、元々日向者だったが事情があり日陰で暮らしていた者たちだけだ。
日陰者ではない人々は、わからない。

「人が増えて賑やかになって、いいじゃない?」
「有名になるのは悪いことじゃないでしょ?」
「新参が気に入らないだけなんじゃないの?」

日陰を好み、日陰に生息する者がいるなんてことが想像も出来ない人は、平気で日陰を照らしていく。
それが悪いことだなどと思わずに。良いことだと信じて。
さらに、元々日向者だったが事情があり日陰にいた者たちが、それに拍車をかける。

「僕らにもっと光を!」
「僕らも本当は光を浴びたかったけど、恥ずかしくて日陰に隠れてただけなんです」
電車男読んで勇気が沸きました! 僕も頑張ります!」

気に入らない理由

  • 日向が好きだったけど、事情があって日陰に逃げてきた奴。

元々日向が好きなら、日向で生きればいい。
日向で生きられないから日陰に逃げ込んで来たくせに、その日陰が日向になって喜ぶな。
元々日陰に住んでた奴にしてみりゃただの迷惑だ。
どうにも「真っ当なお日様の下だと恥ずかしいけど、ちょっと日陰のここなら恥ずかしくないよ!」というのが見え隠れして、イライラする。

  • 日陰で育った文化が好きで、日陰で育った文化に触れたくて入ってくる奴。

例えは悪いが、土民文化が好きでそれに触れたくて旅行に行って、現地でハイテク機器を披露して現地民にデジカメプレゼントしてるようなもんだ。
本当に日陰文化が好きなら、日陰を保て。
山が好きで登山するなら、山を残せ。
日陰をぶっ壊しながら、日陰文化の美味しいところだけ享受しようってのは、日陰者からすりゃただの迷惑だ。イライラする。

  • マスコミその他。

我々はか弱い。だから日陰で暮らしている。
だからあまりいじめるな。
放っておけ。イライラする。

  • 日陰民

それなりに社会と折り合いつけて生きろ。
日陰を愛し日陰に生きている誇りを持て。
ちょっと日が当たったからって狼狽えるな。
日が当たって喜んでる裏切り者や、日陰自体を愛していない似非日陰者に騙されるな。
個人主義が行き過ぎたせいで、今のように日向者が大挙して日陰に押し寄せてくると対抗出来ないが、やはり個人主義が行き過ぎたせいでそれすら放っておいてる感がある。
その内日陰が消えるぞ。イライラする。

それなりに社会と折り合いつけて生きているつもりで、日陰文化も日陰自体も好きでいるつもりだが、実際本当は日陰民じゃないだろ。
日陰民を見て、「ああ、俺もあそこまで日陰者になれたらなぁ」と羨ましく思っているのを俺は知っている。
だから愛すべき日陰者と日陰が犯されつつある状況に憤っているんだろう。
本当の日陰者なら、ただ「迷惑だなぁ」と思いながらも、より陰の深い場所へ撤退していくだけだ。
それについて行けない不安を吐露するな。イライラする。

もうマイノリティじゃないじゃん

つまるところ、今のオタク、いわゆるライトオタクなんてのは、日陰文化が作り出した二次創作的オタク物をキャーキャー享受してるだけで、本質的には日陰者でも何でもないんじゃねーか、と。


ただこれは世間様のオタクボーダーが低いからってのも原因なんじゃないかと思うわけで。
世間でちょっとオタク扱いされちゃってるから、「ああ俺オタクなんだ」と日陰に入ってくる、みたいな。
で、自分がオタクかと思ったらもっと深いオタクがいて、安心する、みたいな。

これって本質的には日陰者をバカにしていて、自分より劣っている者を見て安心するってのを同じ行動だよなぁ。

生息地である日陰を散々荒らし回った上、日陰にしか出来ない日陰文化を散々食い散らかし、さらに元々日陰に住んでいた日陰民を見下して自分を保つという。
そりゃムカつきますわ。
でもこれって「土地を散々荒らし回った上、雄大な大地が育んだ自然や動物を散々食い散らかし、さらに元々住んで先住民を虐殺して見下して奴隷扱いするという」アメリカ様じゃん。


まぁこうやってオタク及びオタクもどき連中が、溜まった鬱憤を間違った矛先に向けて腫らしてる間にも、安倍政権日本沈没に向けて驀進中。