証拠

所詮私はいつまでも私であり、目に何を入れても白粉をはたいても髪を切っても染めても私である限り何も変わらなくて、

そういうことを介さないと誰も構ってくれないと思い込んでいる。クラスメイトの男の子も、私がそういう女の子であるから興味を示すだけで、私が密かに愛おしさを感じる人々も、結局はそういうことを介さなければ私に興味なんて示さないのだろうと思い込んでいる。
だから電子機器でのやりとりや同じ空気を共有しない時間が長く続けば続く程に不安で、早く早く私の存在を価値をわずかであれ相手の体に染み込ませなければいけないと恐ろしくて堪らなくなる。

早く早く私で満たさなければ私は消えてしまう。満たしてもまたすぐに消えそうになる。だってそこらじゅうに私がいるから。みんな同じ穴を持ってほっつきあるいて、一番上の皮だけしか違わない。
早く早く存在をしめして繰り返し繰り返しそうしなければわたしはすぐにいなくなる。

全て私のシナリオ通り

バイクの後ろに乗って駅に向かう女子高生を見た。この時間まだ朝は始まっていなくて、黄昏や自惚れ混じりの救い用の無い気分を知ってか知らずか、やる気の無い脚は無意識に誘導されて駅に向かう。
カーディガンを腰に巻いた女子高生を横目にみてる間に改札をくぐってしまい、ひるむ。
反対方向のホームを一瞬惨めな表情で睨みながら、死んだ視線を残しつついつものホームに向かう。
もしも反対方向の電車がえんえんと長く長く続く電車であったなら、と思う。(実際は10駅も続か無いのだ。)

ずるずるといつものように整列乗車、髪さえあればそれなりに可愛らしいであろう妖怪のように髪が剥げている年齢不詳の女の人を見る。

さあどうするか、どこか知り合いの家でもいこうかと思
う。同時に私に知り合いなんぞいなかったことを思う。ここまで全てが演技。

お気に入りのオーバーオールに、あまり着ないTシャツを着た時からもう私に気持ちなんて無い。もっと言えば、気持ちなんてなかったから特に興味の無いTシャツを着た。


妄想はいつも決まったパターン。皆が振り返るような美少女、白く透明で華奢でサラサラと細い髪。どんな靴でも当たらない足。
真っ白なキャミソールワンピースに、いつか見て一目惚れしたツモリチサトの赤いハイソールサンダル。
細く白い体だったらなんて素敵に履けただろうと思う。あの時私が買わなかったのは、高かったからと、それから私が履いたんじゃ理想からかけ離れてしまうとよくわかっていたから。もし私が私の理想とする姿であったら、3万以上するそれをなんとしてでも手にしていたと思う。


いつかのアンケートで「時々脈が早くなる時がある、脈を意識する時がある」に円をつけたら、学校の内科検診でいかにも不気味なジジイという感じのお医者さんに割り振られた、周りの女の子は男の人いやだなんて目を潤ませて女医さんを見ながらザワザワとして、結局おっさんのところに振り分けられていく。
本当にみんな嫌なのだろうか?

いかにも不気味なジジイは私の心音を聴いて別に平気だねぇと笑う。私は相変わらず冷めた顔をしている。
もし心臓が早くなったらすぐに保健室にいって見てもらいなさいなんて言われる。
無理に決まってるだろ、はっはっと脈を感じて身震いをして、教室を出て一番遠いところにある保健室に向かうまでに私の脈は正常になってしまう。外の空気は私に強く沁みすぎるから。きっと保健室にたどり着く前に私の体は学校の門をくぐってしまうだろう。


物を吐き続けていると体が熱を持って熱を持って、ああ辛い辛い辛いと体をよじりはじめる頃には喉を掻っ切るようなうめき声と、油汗、それから全身を襲うくっきりとした寒気に襲われる。もう手の甲をつたう吐瀉物すら感じない。何もかもどうでもいい。とにかく辛い、辛い辛い辛い。でも吐き続けることしか選べない。もうわけがわからない。
激しい熱と、頭痛と腹筋の痛み、体が壊れそうな程の寒気を感じ目の前が本当に白くなる。白は数秒の間に視界の両端から中心に向けて一瞬でしゅわあと消えていく。
ああ死ぬところだったと我に帰る。死ぬのはなんて体力を使うのだろう。



ある一時の体験、その時の何かが印象的で、その印象と同じ印象を受ける何かを見かけると胸焼けがする。

最近

今使ってる財布は小学生の時にお父さんがアフリカのお土産で買って来てくれたもの。
当時はキラキラしててちょっとお姉さんぽくてラブリーなものが好きだったから、この財布の可愛さが全然わからなくてすごく嫌で一回も使わなかった。

当時使ってたバービーの財布。3000円ぐらい。お母さんにすごくおねだりして、水泳の検定が上がったら買うっていう契約で買ってもらった。小学生の時はなんでも水泳の検定で買ってもらってた

汚れても良いTシャツが欲しくてお母さんと一緒にお兄ちゃんのTシャツを漁った。こんなに可愛いのにお兄ちゃんが全然来てくれないジョンレノTシャツをもらうことにした。才能が溢れてくるかもしれないってお母さんが言ってくれた。

ちなみにこのTシャツはいつかパッとしない遠くのショッピングモールでお兄ちゃんにってお母さんと一緒に選んだ物。


今日は沢山エフェクトつけまくりの写真貼ったよ。

人生初の5本指靴下。

例えばの話

私は例えばの話、っていう言葉が好きみたいで
ブログのタイトル欄を見るととりあえず「例えばの話」っていう言葉が浮かぶ。
んで、今日は例えばの話っていう言葉の後に何も浮かんで来なかったから例えばの話にしちやった。

別に特別書くこともなくて、もしくはたくさんあったけどもう整理がついてしまって、
たいして書くことがないんだけど、

まずサカナクションの僕と花をにっこりにこにこ買った。

お父さん昨日帰って来て、でもまた2週間後には出張にいくらしくて、母が「またすぐアフリカに帰るんだって」と言っていた。
もしかして母は父を好きなのかなあ。と思った。

父は毎週アフリカから電話をよこすのだけど、みんなにうっとおしがられていて、私なんかは不在ってことにして電話に出ないこともある。
でも、こんなにうっとおしい電話も、新婚だったころの2人にとってはよい習慣だったのでは?っておもって、いつしか母に、昔からこうだったの?と聞いたことがあるんだけど、
「電話なんて来たことないよ!!そんなマメなことするわけないじゃん!!電話し始めたのなんて浮気がばれてからだよ!」
と激しく言われた。
父は不在が多くて、また私達が小さい頃には大学院に通い出したりして、とにかく家のことなんて一つもしてくれなくて図書館なんかで勉強していたらしい。
全て母情報なんだけど。

そんな母を見てると、ああ昔は父の事を好きだったんだろうか。って思う。


お兄ちゃんに受験のことを聞いて見たり、「これ読んだ事ある?おもしろいから貸すよ」なんて言って市川春子の漫画本を貸したりして、そしたらお兄ちゃんも漫画をかしてくれたりした。
こんなことしたことないのでなんだか照れ臭いわ。


貸してもらった漫画。
受験終わってから貸してって断ろうかと思ったけどせっかくの行為を…とおもって断れなかった。

好き嫌いの話

私は天邪鬼っていうのかな。とにかくやたら目に入るものを嫌う傾向にある。
とくに若い女の子たちがこぞって身につけてるものなんかはとくに。

今大嫌いな物はレースのついた靴下。
今は大嫌いだけど何年か前は自分の中でブームになってて、でもレースの靴下なんてそんなに売ってなかったから自分で足首につけるようのレースをつくったりしたぐらい好きだった。そのためにユザワヤでストレッチレースをもりもり買った覚えがある。

でも今はもう興味ない。作ったレースは部屋にあるうさぎの被り物の耳に引っ掛けてる。

それからニーハイ。これはいつも嫌いだった。
バカみたいに流行ったからっていうのもあると思うけど、もしかしたら嫌いな女の子が制服にニーハイを履いていたイメージがあるからかなとも思う。
制服にニーハイって全然可愛くないよ。可愛い子がやれば可愛いけどな。

あとグロかわも嫌い。私はぐろい漫画とか好きだからグロかわとか好きかなって思ってたんだけど、案外そうでもなく、というかグロかわもやっぱりこぞってみんなが好き好き言っていたからかなあとも思う。しかもだいたいそういう人たちって本当にグロかわに惹かれているんではなくて、グロかわっていうちょっと個性派チックなものを好んでる私マジ個性派オシャレwwwって思って、それ目的に言ってるようにしかみえないんだよね。
ブログにワザワザ授業中に描いたとりあえず目から血流しましたみたいな絵を載せて「いつもよりグロくなった☆血たまらんo(^▽^)o」とか書いてコメントにグロかわ〜グロかわ〜流石だわ〜とか書かれてご満悦してる女子達。
あとはやっぱりグロかわというときゃりぱみゅみたいなとこがあるのも嫌いだったかな。私はよくブログを読んでいたんだけどきゃりぱみゅが好きじゃない。グロかわって別にきゃりぱみゅがうみだしたわけじゃないしね。消費者の一人だからね。


そんな感じ。身近な女の子達にまで浸透するぐらい流行るものはすぐ嫌いになる。

今回は性格の悪いとこを全面にさらす感じの日記になったな

昨日のこと

昨日は雨で、いつもより電車が混んでて、少し遅刻気味に教室に入った。予習をすっかり忘れていた英語の授業はいつもよりつまらなかった。

放課後はマスコットの仕事で竹を曲げたり、旅行委員の男の子とわたわたと遠足の話をしたりした。

門に向かう途中咲子ちゃんと遭遇して、一緒に帰ろうとルンルンで駆け寄ったら「一緒に東大の講義いかない!?すっごくおもしろそうなのあるの!行こうよ!」なんて突然言われて、化学のレポートを書き上げたかったから家に真っ直ぐ帰る予定だったんだけど咲子ちゃんと一緒に過ごす時間はとても大好きだし、東大の講義なんて絶対に一人じゃいかないから、くあー!行くかー!と思って行ってみた。
昨日は錯覚とか視覚や脳についての講義だったのだけど、毎週?高校生や一般の生徒向けにいろんな講義をやっているらしい。

講義の導入は面白かったんだけど内容は特に普通でたいしたことなかった。名門高校生がたくさん居たのにみんなたいして面白い質問もしてなかった。
でも咲子ちゃんに連れられてこういう自分一人じゃ絶対にしないであろう経験が出来たから凄く楽しかったし充実した気分になった。

講義の後は映画行こうかなんて話してたんだけど9時寝3時起きの咲子ちゃんは睡魔に襲われてフラフラになっていたので映画は諦めることになったんだけど、おもしろそうだしせっかくだから行こうかなあなんて思っていたら咲子ちゃんが「行ってきたら?」と行ってその映画のチラシをくれたので一人で行くことにした。映画館に入る前にファミマでおにぎりを買ってその場で立ち食いしてから映画館に向かった。

渋谷のシネマイメージフォーラムでやってたドン・ハーツフェルト作品集メランコリックな宇宙ってやつで、可愛らしい線画とグロテスクなお話が良いかんじで良いかんじだった。眠かったし疲れてたんだけどわりと面白かった。もう一回ぐらい体調が万全な時に見たいなあと思う。

んでもって渋谷駅から11時頃に出て、12時頃に帰宅。帰宅後何故か飲んでて終電を逃した兄を渋々迎えに行くという母が暴走族居たらどーしよー!なんて言ってるので助手席に座ってた。
疲れてて早く寝たかったからちょっと嫌だったんだけど、車の中で調度サカナクションの新曲が流れて、まだ聴いたことなかったのでとても嬉しくてその曲が流れてる間だけ音を大きくしてた。


そんな感じ。珍しい一日だった。流されてみた一日。
咲子ちゃんと過ごすとモチベーションがあがるというか、活力が湧いてくる。勉強しよ!っていうのもそうなんだけど、どちらかというと勉強勉強と思って自粛するだけ無駄なんだからやりたいことがあればやってしまおう。んでもって勉強もしよう!
みたいな活力が湧いてくる。