『オタクの息子に悩んでます』

何回か書いているのだが、自分はFREEexという岡田斗司夫に月一万円支払いつつ仕事も手伝うという、どう考えても信者な集まりに参加しているのだが、そこから新刊が発売されたので紹介したい。


オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)
岡田 斗司夫 FREEex
4344982789
本書は朝日新聞日曜版にて連載中の「悩みのるつぼ」岡田斗司夫担当分をまとめた新書になる。
単に質問と回答を載せているだけではない。岡田斗司夫が毎週、どうもがき苦しみ、どう回答を捻り出したか。相談者のこんがらがった悩みをどう解きほぐし、どう整理し、どうアドバイスするのか。そういった思考回路がメイキングの形で開陳されており、更に10種類の思考ツールとして体系化されており、ロジックで物事を考えられる人であれば、このツールを応用することで自分や他人の悩みを解決できるようになる……というのが本書の謳い文句でありつつ、ほとんどの人の評価であるようだ。


だが、自分は本書の冒頭部を読んで驚いた。本書は岡田のとんでもない一言からはじまるのだ。

朝日新聞の「悩みのるつぼ」という人生相談コーナーで連載をしています。
この仕事、すごく好きです。
好きな仕事しかやらないから当たり前なんですけど、その中でも大変やりがいがあって楽しい仕事になっています。

大嘘だ!
岡田は『悩みのるつぼ』執筆作業が辛いだの苦しいだのしんどいだの、何度も何度もTwitterやブログで愚痴や弱音を漏らしているではないか。


今日から「悩みのるつぼ」の執筆開始。 〆切りは木曜、これから三日間は本当に苦しいよぅ。

今日から「悩みのるつぼ」です - FREEexなう。


そういうわけで、自分はここで本書のもう一つの読み方を提示したい。
それは、岡田斗司夫が自分なりの人生相談のやり方を身に着けてゆく、一つの冒険譚という視点だ。


まず、岡田は天下の朝日新聞にて人生相談の回答者を引き受けるにあたり、上野千鶴子車谷長吉といったライバル回答者を分析する。この「新しいことをやる前に、ライバルを分析」という手法は、岡田がTVブロスでコラムを連載する時やニコ生で番組を始めた際と全く同じ戦略だ。
ここで岡田が立てた戦略は「あいつらより面白いことを回答する」というものだ。「ソープに行け」以上の切れ味の鋭さで質問者の悩みを一刀両断する上野千鶴子や、文学者として有名な車谷長吉の文章力に勝つには、少なくとも負けないためにはそれしかない。そう岡田は考える。「新聞の人生相談に相談を送ってくるような人間はテキスト作成能力が高くない」という考えから、徹底的に相談文の分析を行ない、相談者すら気づいていない「本当の悩み」を顕にする。共感と立場をそれぞれ「相談者と同じ温度の風呂に入る」「世界中が敵になっても相談者の味方になる」というフレーズで説明する。これは無理だと一旦は怯んでしまう壮絶な人生を送るシングルマザーの相談にも、「すぐに私が手を打たなくてはならない問題」「年内に私か誰かが来年ぐらいには解決しなくてはいけない問題」「人類がいずれ解決せねばならない問題」の三段階に問題を仕分けするさまは、島本和彦的な知的アクロバットをみるかのようだ。そして、徹底的にロジックで回答しつつ、最後に「でもそれで良いんですか?」と付け加えるという、岡田流人生相談回答術の一つのカタチ、第一段階ができあがる。
だが、そんな岡田がついに怒りを感じてしまう相談者が現れる。ステージ6で引用される。「母が何も捨てられず困ります」がそれである。ここが物語のターニングポイントになる。
物を捨てられない母が何を望んでいるかは明らかだ。しかし、相談者はそれに気づかない。いや、気づかないふりさえしているのではないか、と自分にすら読める。
だが、ここで相談者に怒ってしまっては、今まで築き上げた解答術に反してしまう。徹底的に相談者に寄り添い、味方になるのが岡田のやり方だ。
……だが、やはり岡田は怒ってしまう。そして、「僕が答えるのは相談者の問題ではなくて、日本人全体の問題だ」という、驚天動地の結論に辿りつく。思考のフレームを広げ、第二段階目のカタチを築いたわけだ。ここにも知的アクロバットや知的エンターテインメント性を感じてしまう。
その後、岡田流の「10の思考ツール」を解説する。10って、数多すぎるよ! しかも中には「四分類」や「三価値」みたいな、更に種類増えそうなものまであるし……と戸惑いつつ読み進めていくのだが、岡田が直感や印象をどう体系化し、どう理論化していくか、個人的な悩みをどう普遍化していくかが、実際の相談文と回答を具体例として紹介されていく。そして、これをもって岡田の冒険譚は終わりを告げ、岡田流の人生相談回答術が第三段階をもって完成し、読者はこれを応用できるというわけだ。


本書は、大阪のNHK文化センターで開催された二回の講演をまとめたものになる。二回の講演を合わせたことで、同じ内容について再度説明するような未整理部分もあるのだが、冒険譚というか物語として読むとこの未整理部分が効果的であることが分かる。新書としては厚い部類に入ると思うのだが、サクサク読み進められるのは、冒険譚形式をとっているからだろう。


また、本書は岡田による「オタク」シリーズ第三弾という捉え方も可能だ。
岡田斗司夫はかつてオタク界のスポークスマンであった。岡田が書いた『オタク学入門』はオタクという属性を持つ人間や文化をサブカルチャーの一つとして捉える極めて初期の報告であり、オタクの社会的地位向上にそれなりの貢献を果たした。
オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))
岡田 斗司夫
4101344515
だが、そんな岡田は十数年後に『オタクはすでに死んでいる』という本を書く。これは、オタク文化が浸透と拡散を繰り返した結果、それまであったオタク同士の結びつきが弱まり、「オタク」というものを一まとめに語るのは不可能という内容であった。と同時に、最早自身はオタク界のスポークスマンでも現役オタクの代表でもないという宣言でもあった。
オタクはすでに死んでいる (新潮新書)
岡田 斗司夫
4106102587
そんな岡田が、『オタクの息子に悩んでます』ではオタクの息子を持っているという母親の相談に答えている。勿論、件の息子が岡田斗司夫の定義する「オタク」に該当するかは定かではない。しかし、岡田斗司夫も近いようで遠いところ、あるいは、遠いようで近いところまで来たものだという、一種の感慨のようなものを感じるのだ。


ちなみに、本書の著者名はご丁寧にも「岡田斗司夫 FREEex」名義となっており、あとがきで触れられている「マクガイヤーのリュウタロウ」とは自分のことだ。そういうわけで、上記はステマであることを宣言して本エントリを終えたいwww