J・J・エイブラムスへの愛憎:『パシフィック・リム』

ニコ生で解説番組やりました

というわけで『パシフィック・リム』観てきたのだが、いや面白かったねえ。
パシフィック・リム』のバトルシーン――怪獣と巨大ロボットががっつんがっつん戦うシーンははっきりいって感涙ものだ。なんだかんだいっても、平成ガメラや平成ウルトラマンが光線技の応酬で済ませていたシーンを、「異形のモンスターとスーパーロボットの格闘」という形で、大予算をかけてきっちり映像化してくれているのだ。
しかも、単にCGで出来た怪獣やロボットが殴り合っているだけではない。合間合間には必ずコックピットの中で汗だくになりながらハァハァとパンチを打ったり船を漕ぐように足踏みする役者の映像がインサートされる。映画というメディアにおいて、肉体が動くというのは最大の魅力の一つだ*1。だからこそロボットが怪獣をロケットパンチで殴りつければ我々も痛快に感じ、ロボットが傷つけば我々も痛みを感じるのだ。
これまで「怪獣プロレス」という言葉は「大人の観賞に耐えないチープさ」というニュアンスを多分に含んだ蔑称として使われてきた。しかし、デル・トロが『パシフィック・リム』で行なったのは、いわばハリウッド資本による怪獣プロレス、しかもロボットのコックピットの中でハァハァ汗だくになる役者の肉体付き!――というルチャ・リブレWWE化――世界的メジャー化だった。おれたちがみたかった「怪獣プロレス」の一つがここにある! と声を大にして言いたい。


本作は『ガメラ2』とか『少林サッカー』とか『ロード・オブ・ザ・リング』とかと並び称されるような「オタの夢が叶った映画」の一つだと思う。
本作がどういう経緯で作られ、怪獣映画やロボットものやデル・トロ監督作としてはどういう系譜に基づいていて、どこが観どころか……という話については先日ニコ生で語ったので、よければタイムシフト視聴してみてほしい。
相変わらずべしゃりが上手くないのはご愛嬌ということで。
「パシフィック・リム観てきたよ!」Dr.マクガイヤーの冒険式映画ゼミ 生放送スペシャル<紹介篇> - 2013/08/07 20:00開始 - ニコニコ生放送
(8/22追記:その後、ニコ動で公開されました)


毎度ながらニコ生で喋り忘れたことをいくつか。


  • 冒頭、主人公によるナレーションで「イェーガーに乗ればハリケーンに勝てる」というのがあるが、これははっきりと「怪獣=災害や戦争の象徴」を表している。「ゴヤの『巨人』をイメージソースにした」というのも同様。

  • 本作のKAIJUデザインはハリーハウゼンに捧げているだけあって生物的、かつ(眼の処理やラスボスにみられる通り)クトゥルフ的。幾何学的デザインや「眠そうな眼」が有名な成田亨高山良策に代表される日本の、それも円谷怪獣とは明らかに違う。

パシフィック・リム ビジュアルガイド (ShoPro Books)
ギレルモ・デル・トロ デイヴィッド・S・コーエン
4796871500

  • クトゥルフ神話スター・ウォーズと同じく神話無きアメリカの神話、あるいは近代における神話といえる。人間のことを気にかけず、特別扱いせず、注目もしてない旧支配者は近代になってから醸成された科学観や自然観を反映している。これとメキシコにおける「死者の日*2」に代表される死生観というか異形世界への価値観が合わさったものがギレルモ・デル・トロの世界観の根底にあるのではなかろうか。更に、それらが日本の怪獣・ロボット文化と溶け合うというのがいかにも混血や融合を肯定するラテンアメリカ文化という感じがするし、各国パイロットが仲間うちではそれぞれの言葉で喋っているのも、エスニシティの本質は遺伝子ではなく言語であるという意味で、象徴的だ。

クトゥルフ・ぬいぐるみ
B0006IEX7C

パシフィック・リム』解説編

更に、以下にニコ生でも言及した「解説編」を書くよ。ネタバレ含むのでそのつもりで。なにがネタバレなのか、という話もあるのだが。



そういうわけで、『パシフィック・リム』は怪獣映画・実写ロボット映画両方の文脈で傑作だと思うのだが、観ていてムズムズするところが無かったわけでも無い。本作、前述したように怪獣と巨大ロボットのバトルシーンは涙が出るくらい感動的なのだが、対して、パイロットが抱えるドラマが、なんだか通り一辺倒なんだよね。
誤解の無いように書いておくと、別にドラマが薄かったとかおかしかったとかいうわけではない。「怪獣もの/ロボットものならここは押さえておかねば!」というツボは、全て抜かりなく押さえてある。だが、その押さえ方が、パイロット周りのドラマに関しては、なんだかフォーマットに沿った感じが強烈にするんだよね。
具体的にいうと、こういうことだ。
親子の愛憎やトラウマの克服といったお話は、子供や青年が社会に参画する隠喩としてのロボットを描くロボットものにとって必須といって良いくらい相性の良いお話だ。『パシフィック・リム』では、これが手を変え品を変え4回も描かれる――当初は生意気で向こう見ずだった主人公ローリー・ベケットの成長、ヒロインであるマコ*3のトラウマの克服と成長、ペントコスト*4司令官という中年親父の成長、そしてハンセン親子の成長……はっきりいってお腹が一杯だ。いかに怪獣映画が群像劇とはいえ、ここまで同じプロットを連続されると「主人公って誰だっけ?」となってしまう。
しかも、そういった成長ドラマの一つ一つについて、多分デル・トロは本気じゃない。主人公は早々に成長しきってしまうし、菊地凛子パイロットになった途端口数が少なくなるし、怪獣オニババがマコの両親を殺すシーンはきっちりと画でみせるべきだし、ハンセン父はもっとアクの強い役者がやるべきだし、ハンセン息子はロンゲでイケメンのキザ野郎かモヒカンピアスのゴス男にやらせて、主人公とのキャラ被りを避けさせたいところだ。
デル・トロは「五年間イェーガーに乗れなかったベケットは五年間映画を撮れなかった自分と一緒だ」なんて言っているけれど、多分これは、あんまりノレなかった脚本を書き直す時間もなく、それでもこの脚本でやらざるをえず――自分で自分を奮い立たせるためについたウソなんじゃなかろうか。



で、どちらかといえば「本気さ」を感じるのは、マッドサイエンティスト周りの描写だったりするんだよね。


チャーリー・デイ演じるニュートン・ガイズラー博士は本作のコメディ・リリーフだ。『ゴーストバスターズ』におけるリック・モラニス的役回りといって良いだろう。
ゴーストバスターズ [Blu-ray]
B003CNVPCE
だが、単なるコメディ・リリーフとは思えないほどスクリーンに映る時間が多い。お話的にも、ガイズラー博士が怪獣の脳と自分の脳を直結して情報を得なかったら地球を救えなかったわけで、きちんと貢献している。キーマンであるとすらいえるのだ。
更に、このお話は、ガイズラー博士の成長物語ともみなせる。当初、ガイズラー博士はおちゃらけて自分の身体に怪獣の刺青を入れてしまうような「子供」だった。他の登場人物は全員怪獣への恐怖を意志の力で抑え込んでいるが、ガイズラー博士だけは違う。怪獣の刺青は、実はビビっていることの現われなのだ。
そのくせガイズラー博士は、人一倍怪獣に興味津々だったりする。彼が研究室という「家」から飛び出て、ロン・パールマンという「メンター」や生きている怪獣といった「敵」と出会い、これまでソリの合わなかったゴットリープ博士と二人で怪獣の脳と直結し、地球を救う情報を引き出すシーンは感動的であるとさえいえる。
まず、ここ(マッドサイエンティスト側の成長物語)ではロン・パールマンがメンター役というのに注目したい。デル・トロにとってロン・パールマンはお気に入り俳優以上の意味を持っている。ロン・パールマン主演という条件を頑として譲らなかったという『ヘルボーイ』でのエピソードは有名だが、初監督作である『クロノス』で「映画」という世界からの薫陶を受けたのはロン・パールマンからではなかったか。
ヘルボーイ ゴールデン・アーミー [Blu-ray]
B006QJT442
そして何よりあの肉体とあの顔面力! ロン・パールマンはメイクやCGが無くても異形の怪獣といえる。怪獣とロボットへの愛情に溢れた『パシフィック・リム』に、ロン・パールマンが出演するのなら、それはメンター役以外にありえない。彼が司令官やハンセン父といったパイロット側のメンターではなく、マッドサイエンティスト側のメンター役を演じることに意味を感じる。


ガイズラー博士の外見も特徴的だ。はっきりいって、どこからどうみてもJ・J・エイブラムスにしかみえない。もしかするとこれがアメリカのオタクの典型的な一形態なのかもしれないが、それにしては似すぎている。

2000年以降、ハリウッドできちんとした怪獣映画を撮った監督は三人しかいなかった。『宇宙戦争』を撮ったスピルバーグと『キング・コング』を撮ったピーター・ジャクソン、そして『クローバーフィールド』を製作し『SUPER8』を撮ったJ・J・エイブラムスの二人だ*5
中でもJ・J・エイブラムスギレルモ・デル・トロにとってライバルといえる。オタク的SFX大作が作られる時、必ず名前が挙がるのはこの二人だ。同じく名前が挙がるであろうマシュー・ボーンザック・スナイダークリストファー・ノーランがどちらかといえばアメコミ寄り――等身大のヒーローよりでありSFXを単なる手段として割り切って使いこなすことに対して、二人は怪獣やテクノロジーへの偏愛*6という点で共通している。『スター・ウォーズ』新三部作の監督でも、デル・トロはかなり後まで候補に残っていた。
しかし、そんな二人は決定的に違ってもいる。デル・トロが多数の作品にクトゥルー神話的背景を設定し、人間の創造を超えた「宇宙的恐怖」や人知を超えたスーパーナチュラルな存在に畏敬の念を抱いているのに対し、エイブラムスは「それも多元世界の一つ」と割り切る――どちらかといえばポストモダン的アプローチをとるのだ。黒沢清いうところの、エイリアンが純粋な絶対的恐怖の象徴としてのモンスターだった『エイリアン』と現用兵器(の延長線にあるSF兵器)でなんとか対抗できるありふれたモンスターに落ちぶれてしまった『エイリアン2』の違いというべきか*7
されどしかし、出来上がったフィルムの出来のよさは、互いに認めざるをえない。デル・トロはJ・J・エイブラムスにライバル心と愛憎を抱いているのではなかろうか、というのはそんなにうがった見方ではないと思う。


さて、本作に登場するもう一人のマッドサイエンティスト――バーン・ゴーマン演じるハーマン・ゴットリープ博士はガイズラー博士とどこからどこまでも対象的だ。ガイズラー博士がビジネスパーソン的ワイシャツ腕まくりでDIY的手作り機器を使って研究を行なうのに対し、ゴットリープ博士は昔ながらの大学教授さながらのスーツに毛糸のセーターというスタイルで昔ながらのチョークと黒板+最新機器を用いて研究を進める。ゴットリープ博士が数学や物理学といったドライサイエンスを担当するのに対し、ガイズラー博士は解剖や組織培養といったウェットサイエンス担当だ。そして二人は犬猿の仲ときている。
どちらがどちらとはいわないが、ここにはディック・スミスの元でメーキャップを学び、クリーチャーのデザインやアート、映画製作の現場に注力して生きてきたデル・トロと、『エイリアス』や『LOST』といったテレビドラマ制作で腕を奮い、プロデューサーとしての仕事の方が有名なJ・J・エイブラムスとの関係性が反映されているように思うのだ。
そして『パシフィック・リム』のクライマックス、二人は手をとりあって怪獣の脳に自分の脳を直結する。クリエイションとは異界に潜り、なにがしかを手にして現実に戻ってくる行為だ。鼻血やよだれを流しながら喜びあうガイズラー博士とゴットリープ博士の姿に、パイロットのドラマには感じられなかった変な感触――とんでもなくおかしいがとんでもなく生々しい手触りを感じるのは、偶然ではないと思う。


そういうわけで、『ゴーストバスターズ』が実はリック・モラニスの成長物語であったように、『パシフィック・リム』は、実のところガイズラー博士の成長物語なのではなかろうか――などという妄想をした。だから吹き替え版では古谷徹が声をあてているんだね!
続編でガイズラー博士がゴットリープ博士とブレインシェイクハンドでロボットに乗っても、自分は驚かない。

*1:「肉体を感じさせる声優の演技」という意味で、これはアニメも同じだと思う

*2:元々あったアステカ族の冥府の女神ミクトランシワトルに捧げる祝祭とスペイン侵略後に持ち込まれたカトリック諸聖人の日が、まるで日本における神仏習合のごとく融合したものだという。

*3:マコ岩松

*4:実にエヴァ的でマトリックス的なネーミング

*5:ギャレス・エドワーズの『モンスターズ/地球外生命体』はイギリス映画であるので除く

*6:SUPER8』はフィルムというテクノロジーへの偏愛だった

*7:更に書くと、『パシフィック・リム』は絶対的恐怖の象徴であるモンスターに人類が作ったモンスター――スーパーロボットで対抗するというお話だ