Hatena::ブログ(Diary)

宇宙塵(ウチュウジン)

2017-11-18

幼馴染のサイト『あの娘とベギラマ!』

| 14:01

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ちっちゃな頃から知ってる親友が、このたびサイトをつくりました。


『あの娘とベギラマ!:P』

https://p-poem.tumblr.com/


なんのこっちゃなタイトルですが、プロフィールの中にその答えがあるようです。

コンセプトは、「心の病気を持つ人と、社会をよりつなげたいなぁ」くらいの感じみたいです。

不定期連載エッセイ、『涙のち虹』という作品が中心みたい。


以下に、著者の『P』さんのプロフィールを添付させて頂きました。




【P/プロフィール】


1974年生まれ、東京育ち。

もとゲームデザイナー


24歳の時、『ドラゴンクエスト7・フリーシナリオ・アシスタント募集』を受け、最終面接手前までダンジョンにわけ入るが、ラスボス堀井雄二には会えずゲームオーバー

小・中学生時代、市内に噂が轟くほどのゲーマーであり、しゃべったこともない他校の生徒から「ドラクエ攻略法を教えてください」と、電話がかってくることも。その際には、「まず、自分で考えな」と突き放したあと、「それでもわからなかったら、教えるけど」と、毎回伝えていた。

そんなツンデレナルシストが、今や、ただのデレデレ・マゾヒストに。

以前、六本木ヒルズにて行われた『ドラゴンクエスト展』では、好きな女の子にアゴで指示され、観客参加型イベントにて『魔法使い』役を演じ、みんなの前で「ベギラマ!」って言わされ、その経験値によってレベルが上がり、結果、『羞恥プレイ』を覚えた。

現在、『遊び人』を経て『賢者』への転職希望を出すが、いまだ研修時給(150円)のまま。



◆ 【病歴: 統合失調症(+気分障害)】


小さな頃から、マイ・ワールドにどっぷり入る技を持つ。


よくTVとか観てるとまわりの声が全く聞こえなくなったり、友達とケンカしてる時には、時間がスローモーションになってキラキラと輝き、身体を上手く操れなくなったりする。

高校二年の春、すんごくショックなことがあり、目の前に『ジョジョの奇妙な冒険』でいうところの『スタンド』が観えるようになるが、全然操れないのでぼ〜っとする(今はだいたい操れる)。

27歳の時、さらにものすごくショックなことがあり、はじめて精神科に行ってみると、数か月後、自分が『統合失調症』というジャンルにカテゴライズされていたことを知る。

そこから16年間は、症状+副作用との戦い。もちろん、負け続ける。


42歳の冬、好きな女の子の応援で、トラウマが取れる。が、病気が根っこから治癒しないことにも、同時に不思議を抱く。

43歳の秋、幸運にも、自分の『真のトラウマ』を認識できるできごとがあり、たまたまそれに向き合う準備も整っていたので、ぶっこみをかける。

そして無事、呪いの呪文を解くためのタイムトラベルから生還

幼馴染のように、子供の頃からずっと頭の中で聴こえていた『自分の声』が聴こえなくなる。

(体調の悪い時には、多少、幼馴染の少年がバック・トゥ・ザ・フューチャーしてしまうけれど。かなり少年は大人になり、沈黙の味を知ったのだと思う)


現在は、新しい主治医と支援機関、まわりのみんなの応援のもと、断薬が成功。体調を崩した時のみ『頓服薬』を投薬するという感じで落ち着いている。

そして今のところ、『頓服薬」を飲むほどに、頭の中の少年やスタンドたちは、無理にはしゃぐこともなく、読書にでもはまっているみたいに静かである。


現在の夢は、体調と安定させ、経済的にも安定した上で、かわいい女の子と小さな家で楽しく暮らすこと。

それも落ち着いたら、甥っ子・姪っ子たちに、ずっと秘密にしていた病気のことを、きちんとカミングアウトし、彼らに「大丈夫だよ」と伝えること。

(それまでは、『P』という匿名名義で活動します)


伝えたいことが生まれたら、メッセージください。

namidanotinizi@gmail.com

すぐにお返事はできないかもしれませんが、お返事致しますので。

よろしくお願い致します!




気になる方は、ぜひサイトに飛んでみてください〜。

『あの娘とベギラマ!:P』 https://p-poem.tumblr.com/




植岡勇二・ペヨー太

コンタクト: mikromoai@gmail.com

ツイート: https://twitter.com/uepeyo

ウェブサイト: https://ueokayuji.tumblr.com/



『illion/BANKA』

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2017-11-10

『横なぐりの成長痛』本格始動!

| 06:32

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昨夜、詩人・蛇口さんから、もりくんの独り芝居『横なぐりの成長痛』(以下:横なぐり)の脚本・第一稿が届きました!

http://yokonaguri.seesaa.net/

横なぐりは、蛇口さんが脚本・演出を務め、詩人のもりくんが独り芝居によってそれを表わすという演劇。

来年3月に、錦糸町の『シルクロードカフェ』の二回公演を皮切りに発進していく企画イベントで、今回僕は、その舞台音楽を担当させて頂きます。

http://www.silkroad-cafe.com/

映像は飯田華子さん。ダンボールに絵を描き、紙芝居を展開するという活動が主で、現在は、足立区昭和ヤンキーラップユニット:『IKAZUGOKE』でも精力的に活動しています。

『飯田華子&蛇口 朗読アニメ:「紅い花」』

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他スタッフは、絵描きでもあり音楽家でもあるかほりさん。僕も不定期で掲載して頂いている、季刊誌東京荒野』にて、絵画や言葉も出品されています。

『PALESS』という音楽ユニットでの活動も行っています。


『PALESS「去了遠方呢」PV

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あと、絵描きのShuくんも、協力体制に入ってくださっています。

横なぐり公演の会場となる『シルクロードカフェ』さんは、以前Shuくんが個展を開催したことがそもそものきっかけで、今回、やらせて頂くことになりました。

f:id:macromoai:20171110062858j:image:w640

http://shuyamamotoisgrowing.web.fc2.com/index.html


蛇口さんの脚本は、第一稿とは思えない程の完成度を保ちつつ、第一稿ならではの、瞬時に拡張するインフレーションビッグバン)の爆風のような加速度が凄まじい脚本でした!

蛇口さんの脚本は、脚本という形をした『詩』であり、

蛇口さんに『詩とは何か?』を、再度教えられ、

それは僕には少し足りないものでした。

横なぐりの脚本をなぞりながら、僕は精神の独り芝居の舞台に上がり、人生をなぞり、照明の消えた暗い舞台とスポットライトで発光したステージの躁鬱をくり返し、揺り返しを体感しました。

横なぐりの脚本は、誰の人生にも通ずる物語に仕上がっています。

つまり、人間を描いている。


『20歳のときに先輩に連れていかれたピンサロは真っ暗で母さんか母さんよりも年上の女の人が上から乗っかってきた いい匂いがした 店を出て人生で一番まっすぐ家に帰った 母さんが家にいた 数年後そのピンサロは明るくなって若い娘さんばかりになっていた 母さんたちがどこにいったか心配になった』

(以前、蛇口さんが投稿したツイートより引用)


隅々まで読み込み、音楽でそれを表わすにはどうすればいいか? 

僕もあなたの闇の穴に突っ込みます。トンネルをくぐり、新しい雪国を描いてみせます。

蛇口さん、ひとまずお疲れ様でした! 今回は、面白い仕事をくださり、ありがとうございます!



植岡勇二・ペヨー太

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『もり:今日は不思議な一日だ』

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2017-11-08

詩と詩人&POETRY SLAM JAPANについて

| 05:32

言葉のスラム・バトルトーナメント、主に『POETRY SLAM JAPAN(以下:PSJ)』について、感じていることを感じたままに書きます。

http://poetryslamjapan.com/


基本、言葉のスラムは、出場者が言葉の表現を競い合う対戦形式のイベントで、与えられた制限時間(3分〜5分が多い)の間に、ステージで何を表わせるか? その結果、どれだけお客さんや審査員の心を動かすことができるか? で判定が決まります。


今まで何回か、それらに出場しましたが、僕は大概一回戦敗退。納得できる結果です。 勝ち上がった方は、何かが突き抜けていて、さらにバランスも良い。言葉が、万人に響く普遍を突いている。身体性もある。その時の僕には、それがなかった、というだけだと思ってます。


でも大概、言葉のスラムに出ると、何かしら勝敗とか賞金では還元できない、ものすごいトロフィーがついてきました。一回戦負けしたSSWSでは、審査員の馬野ミキさんに唯一評価され、「俺はやっていける!」と確信・勘違いできた。

http://d.hatena.ne.jp/macromoai/20171029/1509232088

(↑馬野ミキさんとの出会いについて)

PSJでは蛇口さんと、ステージ上で出てしまう震えの話をし、実際、蛇口さんがライブ中に、ずっと止まらなかった自分の震えを、「ここ、風強いな」と即興で表現。カッコ良くステージを去る姿も目の当たりにし、惚れ込み、猛烈にアタック。結果、幸運にも友情が生まれました。

http://blog.livedoor.jp/poetryplanet/archives/69112455.html

(↑蛇口さんと出会い、気付かされたことについて)


それが、来年3月に公演する、蛇口さんシナリオ&もりくん主演のひとり芝居『横なぐりの成長痛』を、飯田華子さんやかほりさん、しゅうくんたちと、一緒につくらせて頂くことにもつながりましたし。

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片や、審査・勝敗の結果や数値の決定の仕方は、そのまんま、審査員の価値観や現在の日本や社会、文化を表していると思う。それをそのまま認めるのが、多様性であると僕は思っています。

審査は、会場で指名されたお客さんが審査員になり、各表現に対し、10点満点形式・小数点第1位まで点数を出します。ざっくりいうと、5人の審査員の、真ん中三人の数字の合計を競うというものです。

10点近く入れる審査員もたまにはいるだろうし、数字が6.7くらいで固まる現象もまあわかる。それが今の日本を映す鏡なのだろうと。


僕はそんな状況と向き合いながら、一体自分は、自分の表現を通して、その状況をどう変えていきたいのか? どんなアクションを起こせば、それが変わっていくのか? を考えるようになりました。つまらないのは、今の状況や日本ではなく、その中で考えたり、工夫したりしない自分だと気付かされもしました。


詩の界隈に出入りするようになり、「詩で純粋に食ってる人は、谷川俊太郎さんだけ」って良く聞くけど、それは谷川さんが、自分は詩しかできないが、食っていく必要性があり、それを仕事につなげお金に還元するための営業や、媒体に合わせた創作活動を、半端なくやったから。今も、受注生産だし。受験雑誌に詩を売り込み、受験生にうける詩を書く。そういう工夫や努力をやって自ら仕事をつくり、結果を創り出したから。


PSJはじめ、詩の界隈に出入りして知ったのは、この界隈に、プロ意識のある方は少数だということ。 技術的にプロ意識はあっても、特に経済活動に結びつけようとしている方は、ほとんど居ないこと。 詩とは何か? を、突っ込んで考えている方が意外と少ないこと。またそれがあっても僕とは異なることなどを認識しました。


そもそも僕は、音楽がやりたいけど、楽器ができないから、言葉を楽器にして音楽をはじめた。それが、僕の『詩』。自然やこの宇宙空間に流れてる、透明な音を表わすのに、言葉という音色を使う、それだけ。そういうことを意識的にやってる詩人さんは、僕は今のところ、二人くらいしか出会っていない。もちろん、僕も変わったし、人間や感情を中心に、詩にするようにもなっていった。でもこれは、ミクロコスモスマクロコスモスの違いでしか、ない)


もちろんこれらは、全然悪いことじゃないし、自由に、好きにやるのが詩だから、全然良いと僕は思っています。詩の界隈の状況説明をその外側の方にすると、大概「それってSNSだね」っ本質を突かれる。それも合っている。僕は昔から大好きな趣味としてSNSをやっているから、SNSは否定しないし、大歓迎。


現在は、パーソナルメディアの時代であり、今後、社会はプライバシーとか、プライベートって概念が、ボーダーになっていく。逆にその状況こそが、詩が活躍し、広がり、日常化していく流れになるとも感じています。


ニホンザルが、ある地域で波打ち際でイモ洗いをはじめたと思ったら、それは同時多発的なシンクロニシティとして、ほかの地域でも同時に行われていた。

そんな現象が、いま、世界には浮き上がって来ているし、それが一斉に連火し合うのを、ただ待つだけでいい。

詩は加速している。 詩は個人的でもいいし、普遍的でもいい。ふたつはミクロコスモスマクロコスモスの違いでしかなく、同意だから。


僕は単純に詩が大好きで、せっかちで短気だから、僕が生きてるうちに早く広まればいいな〜って思って、まず自分が文学賞を取ろうと思ったという側面もあります。まわりの状況から、少しでも変わればと思い。

「なんだ、ペヨー太くんが取れるんなら、俺でも取れんじゃね?」って気付いて欲しいし、まわりの詩の界隈の方たちが、単純に僕と同じ賞に応募したら、たぶん僕の順位はさがる。

でもみんなは、そんなもの欲しくて詩をやってる訳じゃないんだろうなとも、最近は感じています。

「女の子を口説くために朗読してた」と、いまいまおくんも言ってたし。

本当に賞やお金が欲しかったら、人は取らずにいられないし、取りに行くよう動くだろうから。


PSJ主催の村田さんに、以前「PSJで優勝したら何かもらえるんですか? 」って聞いたら、「賞金はない。詩はお金には還元できないから」って答えが返って来て、その時は、「じゃあなんで、出演者やお客さんからお金取ってるのかな?」って、少し矛盾を感じ、不思議だったけど、それが今の様々な現状なんだろうな〜ともわかっている。


村田さんだって、詩がお金には還元できないとしても、どうにかそれに見合う価値を付けて、バーンと勝者に賞金は出したい側面もあるんではないかな? とも少し感じてはいます。


例えば、イベントの売り上げが200万くらいプラスになっても、村田さんが、「詩はお金には還元できない」って信念から、優勝者たちに何にもあげないっていうんならそれはそれで一貫しているけど。たぶん、パリの旅費の足しにしたりするような気がする。


だから、UPJは、そこを考えて来たのかな? とも感じていた。クラウドファンディングなら、払いたい人が払いたいだけ応援するし、運営資金は必要だし。 これらのことは、今後、自分の活躍方針に関わるので、よく向き合いたい。


僕は、「ただより高いものはない」を真理だと感じています。

結局どんなビジネスも、「ただより高い何か」を得るために、経済的なシステム・仕組みを駆使して、実現したり、実現しようとしているだけだし。各人が求める「ただより高い何か」は、個人差だし、ブラックな感情を満たしたり、自分の病み・闇を埋めたり、ごまかしたり、抗ったりするために、その仕組みを社会に敷く方もいる。もちろん、その逆もしかり。単純に、愛を循環・流通させるためにはどうしたらいいのか? って考え、仕組みに落とし込む方もいる。そういった陰陽の抗争を含め、いまの経済社会は成り立っていますし。


ならば僕が、「はじめから「ただ」にすればいい」、とも考えはじめています。

もちろん、これは僕の状況が許すならであり、誰かに仕事を頼むときには、対価を捻出しなければならないと思う。でも、現在僕は、経済的に不自由はないし、詩や創作をお金に換えなくても、一般事務業など、他の仕事にも務ける状況になって来た。だから、独りで仕事をする場合には、「はじめから「ただ」にすればいい」って言えることであって、谷川さんのように「俺は詩人しかできない」って状況を抜けたから言える現実。


そして最近、自分は何故詩人になったのか? その運命を詩的に読み解くことができました。

僕自身、自分の人生をやり直し、回復するために、詩人になる必要性があったのだな、と感じたから。 僕には深いトラウマがあり、その根が深いことにさえ、詩人にならなければ気付けなかった。深い闇の中にあるトラウマを取るためには、見えない・聴こえない情報を察知し、あらゆるもの(主に記憶)を、詩的に結びつけ、そこから今までに気付けなかった・見えなかった事実をイメージする能力が必要だったのです。


つまり僕は、自分にとって「ただより高いものはない」の、最上級の報酬を、詩にもたらしてもらったのです。現在の社会的には、まだ、いのちはお金では買えないですから。

そんな側面もあり、詩と、詩に関わるみなさんには、深く感謝しています。ありがとうございます。これからの時代は、みんなが詩人になるか? ロボットになるか? になってくるのかも知れませんね(もちろんこれは、極端な比喩ですが)。心を込めてメールを打つ人も、年々少なくなる一方だし。僕にはその状況が、ある種、シンボリックに映ります。


以前、PSJの申し込みをした時、主催者の村田さんと何度かメールのやり取りをし、すごく人間臭かったので、「あ、いいイベントになりそうだし、頑張ろう」と思いました。 その感じで、PSJも続いたらいいな〜と思っています。

いつか、勝てそうだなって時が来たら、また出たいと思います。きっとずっと先になるとは思いますが。



植岡勇二・ペヨー太

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『馬野ミキ:きみにお金をあげるよ』

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2017-11-07

かわいい女の子と結婚して、小さな家で楽しく暮らすこと

| 07:18

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中学一年の冬の一時期、朝、5時半集合で、クラスの親友たちと地元の公園にある、高い丘の頂上に集まり、遊んでました。


一日8時間とか耐久するレベルのテレビっ子だった僕は、当時の『マイケル・ジャクソン』と、最盛期である『とんねるず』の、ノリさんが真似し・加工してた『マイケル・ジャクソン』が特に好きで、僕は、早朝の、高い丘の頂上で、昇りはじめた白い太陽に向かい、ノリさんの『マイケル・ジャクソン』になり切り、大声で「ポーーーーーー!!」とか叫んでて、親友たちに「うえ、みんなが起きるぜ」とか言われつつも、みんなで笑い合ったりしてました。


(この親友たちとは、同年の林間学校内の遠足で、道を間違え、いきなりゴールに出てしまい、引き返すのが面倒だな〜なんて言いながら、みんなで山道を歩いている時に、でっかいトラックが通ったので、僕が運転手おっさんをナンパして、屋根のない荷台に7人、乗っけてもらい、走り出し、過ぎ去る景色を眺めながら、突然、「うえ、『フットルース』だ!」って叫んだ親友のアクションに合わせて、映画『フットルール』の真似をして、トラックの荷台で踊り明かした仲です。のちに女子にチクられて、夜は公開処刑でしたが)

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で、丘の上で叫んだり、本格的なドライバーを使って、ゴルフやったりして遊んだあとに、なんとなく流れで親友が、「うえ、お前の夢って何なの?」って振って来たんです。


親友たちが、「このバカはどんなスケールの夢を持ってるんだ?」って感じの、興味深々を隠さず見つめる中、僕自身も「俺は何を発言するんだろう?」って一瞬考えたあとに、自然と、「かわいい女の子と結婚して、小さな家で楽しく暮らすこと、かな」と答えました。


みんな大爆笑したんだけど、そのとき、自分の発言がすごく腑に落ちて、「あ、これが俺の夢なんだ〜」って、はじめて認識できた瞬間でもありました。

悪友たちは、そんな僕の発言をネタにしない訳がなく、その日の授業中には、僕のこの夢はクラスのみんなの前で公開処刑にあうのですが、今考えると、いい思い出だな、と思います。

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最近、自分の夢って何だろう? って考えたときに、不意にこの夢を思い出し、「あ、これが今も本音だな」って、さらに腑に落ちる感覚に深みが増した瞬間がありました。


よく、「モテたいからバンドやってます」とか聞きますが、僕は創作においてはそういう意識は全くない。もちろん、動物行動学や遺伝子的に考えたら、あらゆる表現は繁殖戦略であり、それを意識的にやるか、無意識的にやっているか、の違いでしかないとも思いますが、意識して「ものつくってモテたい」って思ったことは不思議とない。


だって、モテたいなら、そんな回りくどいことしないで、ナンパなり口説くなりすればいいだけだし、100万人参加型の淫らなパーティーを開催したって、ひとつのブラックホールには一隻の宇宙船しか冒険に出掛けられないって現実がある。だから、100万人にモテたって、やれることには限界があると思うんですよね。


『モテたい』が、『やりたい』、じゃなく、巨大な承認欲求ならば、尚更、一人の誰かと信頼関係を結んで、とことん愛を循環させた方が、話は全然早いし。


脳科学者の話では、浮気・不倫は、基本非効率であり、独りの異性と生殖し続けるのが、最も効率的というロジックもあるみたいだし。


ま、浮気・不倫は、された相手にとって『心の殺人』だし、した本人も、結果、透明な返り血を浴びて汚れる。その返り血は見えないだけにたちが悪く、どこに付いててどうやって落とせばいいのか? が、かなりやっかい。結果、自分をどこかで損なう。

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人間は、文明を創造することによって、本能を破壊することに成功したパンクな種族であり、本能を司る遺伝子ゲノムに抗いながら、文化的遺伝子ミームを流通させ、人間としての歴史を築いてきた。


身体的快楽にもとことん突っ込んで、「え? 人間の肉体ってこんなすごいことになってんの? 心の宇宙よりも全然、ポテンシャル高いじゃん! こんなこと、世間にはどこにも情報として流れてないじゃん! 神と死と快楽の並列じゃん!」って驚愕する瞬間もあったけど、結果、「身体的快楽は精神的快楽、つまり『幸せ』とはイコールじゃないんだな〜。身体は、基本、寂しいんだな」ってことにも気付け、やはり、「あ、幸せになろう」ってつくづく思ったんです。

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たぶん、その究極の形が、僕の場合、「かわいい女の子と結婚して、小さな家で楽しく暮らすこと」なんでしょうね。

身体的快楽と精神的快楽の融合策ですね。

『小さな家』っていうのも、流れの速いこの経済社会において、時間や労働に追われ過ぎず、確実に充足を得るための、ある種シンボルかもしれませんしね。

そんな考えもあって、自分が創作活動ゲームにハマり込み、好きな女の子に寂しい想いをさせたりすると、ホント、本末転倒とはこのことだよね、って落ち込みます。

世界平和は手元から。手元が疎かな僕に、何ができるのか? って感じです。反省。



植岡勇二・ペヨー太

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michael jackson - bad』

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2017-11-06

レースゲーム

| 18:48

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人と会うことによって、自分の現状が、まざまざと炙り出されることがあります。


2015年の初夏、僕は国立市・谷保にある『circle』さんの、本屋に併設されたギャラリーをお借りし、企画展示会を行いました。


『胡蝶の舟・うたわゆめをわたる』展示会@circle 

(↑展示の様子はこちらから)


2010年から2011年の間に、僕は『霊界道五十三次』と題したファンタジー小説を書いていました。歌川広重さんの浮世絵シリーズ『東海道五十三次』の画集を、一日一宿場めくり、その一枚一枚の浮世絵から着想を得て、毎日、3枚から6枚の小説を書き起こし、それをストーリー展開でつなげ、ひとつの小説に仕上げたんです。


それは、はじめて書き上げることのできた長編小説であり、僕が、ものづくりをやっている一番近くにいた友人に、「創作の世界へようこそ」という言葉を、はじめて掛けて貰えた瞬間でもありました。

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その後、近所の谷保にあるコミュニティ『やぼろじ』内に、『circle』さんが開店したことを知り、お邪魔して一発で惚れ込み、その日の帰りには、レジにいたバイトの飯塚さんに、「『circle』さんは、展示会の企画持込みは可能ですか?」とお声掛けさせて頂き、まず探りを入れました。


飯塚さんは、微笑みを浮かべながら「うちはウエルカムですよ」と言ってくださり、その二か月後には、企画書の原型のような作品集や提案書・店長である丸山さんへのお手紙などを持参し、丸山さんに、企画展に関するお話を聞いて頂きました。


はじめて本格的にギャラリースペースをお借りして展開した僕の企画展示会『胡蝶の舟・うたはゆめをわたる』は、以前、勤めていた『手創り市』で出会うことができた、様々な作家さんのご協力のもと、展開させて頂きました。

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ひとつの展示会を形にする、その手法を『手創り市』主催者・名倉哲くんから学びつつ、たくさんの方の応援を得、なんとか展示会は無事に終了。

しかし世で仕事をしている以上、「はじめてのことだから」、という言い訳は、全く利かないとがわかりつつも、結果、「はじめてのことだからしょうがないんじゃない?」と、みなさんに、あたたくフォローされなければ成り立たないような、仕事の中身・仕方を展開してしまったことへの後悔が、強く残りました。


そんなモヤモヤをずっと抱えつつも、『circle』さんは、いつも、DMにて展示会のお知らせをくださり、罪悪感を多少抱きつつも、足を運べる機会には展示会を拝見させて頂いていました。

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その『circle』さんが、今回、国立の駅前に、新しい文化の交流スペースとして、『Museum shop T』をオープン。

http://www.t-museumshop.com/

今後この場所を『地域の文化と本のあるお店』をコンセプトに、『circle』の継承店として展開していくとのこと。昨夜、そのオープニングパーティーにお邪魔させて頂きました。


雑居ビルのワンフロワーに、本屋とギャラリー、丸山さんたちが働くであろう事務所が同居している空間づくり。事務所も特に、扉などで仕切る訳でもなく、仕事と街がオープンに一体化しているシンボリックなつくりであるように感じました。


ギャラリー空間は、『circle』さんとは明らかに空気感の違う、ほぼ完璧なホワイトキューブ

それ故に、作品が入ってみない昨夜の段階では、全く何とも言えませんが、パーティーでお知り合いになった『片岡メリアス』さん、というぬいぐるみ作家さんの展示会が、今後展開されるということで、すごく楽しみです。

メリアスさんは、自分が生み出したぬいぐるみを、自分の子供のように愛しているようで、その純粋な姿勢には、気付かされるものがありました。

http://soen.tokyo/blog/meriyasu/

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パーティーの半ばでは、久々に丸山さんと少しの時間お話しをし、現状報告のあと、作品の完成度と仕事の関係性について質問をさせて頂く展開になりました。


それは、僕自身が、『circle』さんでの展示会後に、つくることへの姿勢がガラリと変わり、はじめて自分の作品にプロとしての自覚を得ることができた経緯があり、それを踏まえ、「丸山さんが、自分の作品に納得できるようになったのって、いつ頃ですか? 早そうですが」、とお聞きしました。


「僕の場合、デザイナーなので、作品って感じでは仕事を捉えてないので、そのあたりの感覚の違いはあると思うのですが」と丸山さんは前置きし、「自分の最高傑作を提出する気持ち・姿勢では、どんな仕事にのぞむことも大切ですが、実際は、案件によって条件が異なり、10割は絶対に打てない」と答えてくれました。


僕は、常に、10割打っていく姿勢でやっていますし、実際10割打ってます、的なことを、もっとやわらかい言い方で、間接的に投げてみると、丸山さんは、

「逆に10割打てる人は、目標の設定値がまだ低いから、打ててるんだと思います」

と、ぴしゃりと言ってくださりました。

なるほど。その通りだと腑に落ち、僕が「その通りですね」と素直に返すと、「大切なのは、大局的に観て、自分が成長しているかどうかの方だと思います」とも付け加えてくれました。

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そんな会話を反芻しながら、国立から夜道を歩いて帰りました。

そこで気付いたことを挙げておくと、「詩人は、常に最高のものを書かなければならないという宿命を負っている」、ということと、「一度走り出した以上、加速度を上げる以外に生きる道はなく、停滞や減速は魂の死を意味する」という、ふたつの抽象的概念が浮かび上がりました。


でも、今のところ、これが可能なのは、やはり丸山さんのいうように、目標の設定値が低いから、というか、そもそも自分は、目標を定めてなかったんだなと、気付かされもしました。


自分のやりたいことを、今の自分のできる全力で、実現化していく。

そして、完璧に完成、という感覚が訪れた作品のみ、仕事として世に出している。


というのが最近の僕のスタンスですが、これなら10割打てるのは、まぁ当たり前ですよね。

加速と成長さえ続けていれば。

もちろん、締め切りは必ず守りますが、そもそも守れない約束をしないよう、注意深くもなったし。


さて、そういったことを受け、最も大きな気付きを得たのは、自分が独立し、創作活動をはじめてからというのも、いつの間にか僕は、自分や他者の作品や才能に、明確な優劣をつけるようになっていたことに気付かされた、ということです。


つまり、芸術で『レースゲーム』をしていたんです。

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前回、国立新美術館で開催された、『草間彌生・わが永遠の魂』展を観て、草間さんの作品は変わったんだな〜と感じました。

それは、今回の展示会における、草間さんの作品が、芸術的感覚を、ドラッグの売人のようにパッケージング・デザインして、見せやすい形で展示しているように感じられたことにありました。

もはやこれらは、僕の中では、芸術ではなく、デザイン(商業)なんだな、と感じたんです。もちろん、それは全然悪いことではないですが、僕が主観的に草間さんの作品に求め、好きだった感覚とは、最早異なる、という現在を知ったというだけのことです。

http://kusama2017.jp/


自分もいつの間にか、技術が下手に上がったせいか、作品をデザインするようになっていた。そして、そのデザインが作品から発する感覚の増幅につながるなら、全然いいのですが、たんに、伝わりやすいこと・いかに伝わるかを意識した、チェックリストに当てはめつつ、僕なりの感覚システムのフレームに落とし込んでいただけ。

で、そこからフレームアウトし、魂がはみ出していくかのようなパワーを新たに宿すデザイン力も、いまは、まぁ、ない。


もちろん、仕事として、作品を作為によってデザインするのは必要なスキルではあります。最近受賞した『島崎藤村記念文芸祭』も、あらかじめ、アルバイトとして賞金を狙って応募した側面も強かったのですし。お金を稼ぐ手段として、創作を行うことは別に悪いことでもなんでもない。

でも、今回の気付きを受け、もともと僕は、本当にそれがしたかったことであったのか? これからもしたいことなのか? という問いにさらされました。

で、今回、「明らかに違う」のだということにも、気付けたんです。

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なるほど。パーティーに来ていた丸山さんの周りには、純粋に創作を楽しんでいるであろう方がたくさん来ていた。それを実際の仕事につなげている方も多かったと思うのですが、多くの方に芸術をレースゲーム感覚でギラギラ行っている方は見受けられなかった。


執筆・編集・推敲・校正を含めた、詩をつくる作業ゲーム。

詩を発表し、または広く世に出すために文学賞受賞を狙い、受賞し、拡散するための、広報ゲーム。

ひいては、詩をつくり、自分もまわりもイカし、宇宙をイカす、宇宙超越を感覚的に狙うことさえ、ゲームでしかないんです。


目標、つまり、ゲームクリアを設定した時点で、そこにゲームシステムゲーム性が生まれてしまう。そして昔からゲーマーだった僕は、ゲームシステムを見極めようとし、プログラム(法則・方程式)の解析を試み、そこから攻略法を得ようとする。早解きさえ狙う。

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『ゲーム』とは、宇宙の本質を表わす言葉です。

そして、芸術は、あらゆるゲームの外にあるから、芸術なんだと思います。だからこそ、実現できる何かがきっとある。

そういった気付きを得るきっかけをくださった、今回の『Museum shop T』さんのパーティーには感謝しています。


パーティーにて、国立北口にある『くにきたべーす』というイベントスペースを、ここ数カ月の間にスタートさせた佐藤さん夫妻と、お知り合いにもなりました。

https://kunikitabase.jimdo.com/

佐藤さん(旦那さん)は、今後このイベントスペースをいかに活き活きとした場所に出来るかを、真剣に検討中という姿勢を示してくださりました。

その熱を受け、今自分の中で構想している展示会の原案を聞いて頂きました。

もちろん、『くにきたベース』の場所に訪れたこともないのに、企画を提案するのは失礼にあたりますので、7日からはじまる展示会に、まずお邪魔させて頂く約束をしました。

それが今、すごく楽しみです!



植岡勇二

https://ueokayuji.tumblr.com/


『馬野ミキ・Saint-Germain-des-Prés(Japanese Cover)/Take2

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