常夏ピアノ
31歳の頃、つまり10年前に、僕はひとつの物語を書きました。
それは、当時奈良でお菓子屋さんを営んでいた「菓子美呆(現在は長崎)」の、のりさんに、お菓子からイメージする紙芝居の物語を書いて欲しい、と頼まれたのがそのきっかけ。
そのとき、僕にはある夢のようなチャンスが舞い込んでいて、当時ひ弱だった僕は、そのプレッシャーに押しつぶされるかのように、何も書けない時期に入っていました。
そんな僕のことを知ってか、または偶然か、のりさんが「常夏ピアノ」というチョコチップバー(クッキー)、その物語制作を僕に頼んでくれたのでした。
その日は、僕と、のりさんと、のりさんの奥さんいづみさん、そして名倉くんの弟・新くんとで、伊勢神宮から天川神社までという、盛りだくさんの巡礼の旅(?)に一日がかりで出ていたのですが。その道中、のりさんに、禅問答のように、どうしたら作品が書けるか? とか、作品が書ける条件は? とか、そんな質問の嵐を浴びせていたように思います。
で、山奥にある、熊野神社への山道を歩いていたとき、不意に詩が降ってくるかのように「常夏ピアノ」の物語のワンシーンが降って来ました。
夏休み。白い砂浜。波打ち際に置かれた黒い革靴。
そうして出来上がったのが、「常夏ピアノ」という小さな物語です。
この物語は、手創り市に出ていたのりさんが、紙芝居として朗読もしていました。その朗読を、手創り市の取材に来ていた朝日新聞の記者が記事にしたようで、それを知らなかった僕に、友人が、「君の『常夏ピアノ』が新聞に出てるよ!」と教えてくれるというサプライズもありました。
これが、僕が32歳のとき、本気で小説家を目指して書きはじめた最初の作品です。
そして昨年末、友人の音楽家ユキくんとお茶をしていたとき、僕は古代歌謡で即興朗読した「渚の音階」という長編即興詩を読んで貰いました。で、ユキくんがその内容に、
「もし僕がうえおかさんのライブに行って、これをやられたら途中で帰りますよ」
と正直な感想をくれて、そのお口直しに、僕にはこんな側面もあるよ、という意味合いを込めて読んで貰ったのが、この「常夏ピアノ」でした。
読み終わったユキくんは、良かったと言ってくれて、
「うえおかさん、こういう路線でいった方がいいんじゃないですか?」
と、半ば冗談を挟みつつ、
「これ、絵本にしましょう。そして絵本に音楽をつけましょう。僕、やります」
と言ってくれたのです。
「『常夏ピアノ』には色んな可能性を感じます」
と付け加えて。
そうして、ユキくんのCDジャケットの絵やデザインを普段担当している、まめちゃんに、絵を描いて貰うようお願いし、「常夏ピアノ」絵本化計画は進みはじめたのでした。
(つづく)
ウエペヨ