神の存在/不在と「科学の範囲」

 最近、ドーキンスの『The God Delusion』とかマイケル・シャーマーの『なぜ人はニセ科学を信じるのか』とか(原文だけど)を読んだりデネットのロングインタビューをテレビで観たりした影響もあって(ほとんどドーキンスの影響だけどーーあの本は良いよ)、id:NATROM さんの『進化論と創造論』サイトの「掲示板3」で神の存在/不在と科学の範囲についての議論をやっています
 というか、ほとんど一対多の論争になってしまっているのだけれど、いまのところそれほどボコボコにやられていないと思う(笑) 以下は、わたしが顰蹙を買っているさまざまな主張の例。

  • 「神がいるかどうかは科学の範囲外」と一概に言うのはおかしい!
  • 「奇跡」は科学の検証の対象となり得る!(そして宗教者はそれを認めている!)
  • いわゆる「科学と宗教の住み分け」は不可能!
  • てゆーか、科学と宗教は対等じゃねーんだよ!(暴言)
  • 科学に分からないことはある。でもそれらは宗教にだって分からない!
  • 創造神的な神の反証には(皮肉にも)argument from design が有効!

 思わずエクスクラメーションマーク付けてしまいましたが、きちんと論理をたどって説明しているので、疑問を感じたらそちらをご覧ください。


 関連: id:good2nd:20070106 , id:rna:20070108:p1

永遠の命の現在価値

 ついでに id:rna:20070112:p3 から。

神を信じるのは合理的か否か、というと「パスカルの賭け」を思い出す。神を信じた時のリターンは無限大になる(永遠の命が得られるため)ので信じるほうが有利な賭けだという話。

 しかし、「永遠の命」(ここでは天国で何の不自由もなく永遠に暮らせること、とする)の現在価値って、本当に無限大なんだろうか。


 例えば、「毎年100万円もらえる権利」の価値は無限ではない。毎年利子が100万円になるような額のファンドがあればそれと同じことなので、そうしたファンドに必要な金額を調べれば「毎年100万円もらえる権利」の価値になる。それがいくらになるのか調べていないけれども、有限であるはず。
 でも、「毎年100万円もらえる権利」の場合、どうして無限に貰えるはずの将来の100万円が有限の価値になってしまうかというと、(1)お金自体が稀少であり、将来の100万円のためにそのファンドに入れておくのではなく今そのお金を使えばもっと豪勢な生活ができる、(2)なんらかの理由でその100万円はもらえなくなってしまうかもしれないし、自分が死んで使えなくなるかもしれないし、突然インフレが進んで100万円の価値が下がるかもしれないなど不確定要素が多い
 「永遠の命」の場合、突然「永遠の命」を奪われたり「永遠の命」の価値が減ったりするなどして取りはぐれるということも考えられない(もしそんなことが潜在的な可能性としてでもあったら、それは既に「永遠の命」とは言えないような)。
 そう考えてみると、「毎年100万円もらえる権利」の価値は有限だけれど、「永遠の命」の価値は無限であるという可能性もあるように思えてきた。はたしてどっちが正しいんだろうか。
 …という疑問は、現実にはほとんど意味がないんだけど、id:rna さんの利得の表を観ていてふと思った。