*minx* [macska dot org in exile]

2007-03-21

売春者への蔑視発言をめぐる議論(4)

 どもども。ミズーリ州コロンビアから帰ってきました。

 帰りに乗り継ぎでシカゴ・オヘア空港に着いたあと、待ち合い座席に座っていたら、周囲が突然騒がしくなって、大勢の人が一斉に窓のそばに行って何やら窓の外を指差したり携帯で写真を撮り出したりしだした。これは尋常じゃない、もしかしたら事故かなにかあったのかと思って周囲の人に聞いてみたら、昨日米国で初披露されたばかりの二階建て超大型旅客機エアバスA380が着陸したというだけ。見たところ、これまでの機体よりかなりデカいはずなんだけど、遠くから見ると普通の旅客機と区別付かなかった。ま、事故やテロじゃなくて良かったけど。

 で、前回「詳しくは帰ってきてから」と予告したのだけれど、このエントリはその「詳しく」を説明するものではない。差別についてのより基本的な考え方は近いうちに本家ブログ ( http://macska.org/ ) で書くとして、ここではいただいたコメントなどをもとに、今回の議論に限って行き違いの部分や説明不足だった部分などの補足をする。


 まず、前回「侮辱しても差別にはあたらない集団」で書いた内容だけれども、あれは出発前の短い時間で、インパクトがあって分かりやすいものを狙って書いたので、あんまり厳密なものとはいえない。「違法行為をしているから侮辱されても差別ではない」みたいな主張へのカウンターとして、おおまかなことを言っただけなのね。厳密な話はあとでするとして、違った方向に解釈されちゃっているものについてお返事しとこう。

# uumin3 『昔中学の社会科の先生がアメリカへ旅行して酒場で「jap」と言われた話をしてくださいました。その話を聞いて正直ぞっとしたのを憶えています。シチュエーションを限定せず「世界のどこに行っても日本人という国籍に守られた人々こそ、侮辱しても差別にはならないのだ」なんていう言葉はあまりに不用意では?

 「Jap」と言われたというのは、民族差別の例ですよね。国籍としてならば、「日本人」というのは世界中でかなり優遇されていると言ってほぼ問題ないのでは。もちろん日本の中で日本国籍を持たない外国国籍の人(日本で生まれ育った在日コリアンでも、滞在資格を持たない人たちでも)と比べたら明らかに強者だし。

またこのエントリーでは「世間」が自明のものとして語られていますがこれにも疑問です。立ち位置によって世間も違ってみえてくるでしょうし、かなりそれは相対的なものでしょう。そして、その世間がいかなるものであれ、そこから「ある一面の属性だけ」で切り取られてしまえば(たとえば「政治家」でも「主婦」でも)それは残りの側から不当な蔑視=差別的侮辱を受けることはあると思いますので、この前後に書かれて納得できていた「蔑視発言をめぐる議論」ほど賛同できないという感想です。

 前半の話は、本家エントリで答えることにします。

 後半について、「不当な蔑視」が全て「差別的侮辱」であるとはわたしは考えない。ていうか、「法律を遵守する善良な一般市民」に対する蔑視発言なんてどう考えても不当だけど(笑)、だからといって差別とは言えないよ、とわたしは言っているわけだからさ。ただし、「売春婦」が差別を受けているからといって、それと対照的な立場とされる「主婦」の地位が高いかというと、「主婦」は「主婦」で別の差別を受けているかもしれないので、そのことには敏感である必要がある。

 unmin3 さんは自身のブログで、以下のようなことも書いている。

 当時いろいろ書籍を買って調べたりネットで意見を交換したりするうちに、韓国に対して(あと北朝鮮や中国に対しても)「気を遣うのが当然だ」と考えている一群の人たちと接触が多くなりました。それはどうも「日本がかつて彼らに対して行った不当な行為」ゆえに贖罪的に彼らに対すべきと考えている人たちのようでした。私には60年前の私が生まれてもいないときの自国の行為に自分が責任を持つべきだと考えるのが不思議に思われましたし、何より韓国でも中国でもそういう国々の人と「対等の議論はしてはいけない」と言っているように感じられました。そんなバカなと思いました。

 で、そこらへんに関してもこの日記ではたびたび書いてきたわけですが、私には彼ら贖罪派(仮称)が韓国や中国などを「悪いことをした人たち。可哀想なことをした人たち(の子孫)」として固定的に考え、さらにどこか「気を遣ってあげなければならない人たち」として逆説的に「下に見ている」という気がしたのです。

(略)

 macskaさんがそういう人たちだとは申し上げる気はございません。でも記事を読ませていただいて、この構図を真っ先に思い出したのでした。

 自分が生まれてもいない頃の自国の行為にどういう種類の責任を取れるのか、取るべきなのかという点で議論しだすと話が逸れるのでその点はスルーして、とりあえず単純に「過去に自国が行なった不当な行為の被害を受けた人」を「現在の自分のいる社会で不当な差別の被害を受けている人」のメタファーであると解釈しておきます。どちらも「自分が直接責任を問われるいわれのないことを理由に、何かの配慮をしなければいけないのかどうか」という点で共通してるからね。つまり、「不当な差別の被害を受けている人」に対して「気を遣うのが当然だ」と考えることは、すなわちかれらを「気を遣ってあげなければならない人たち」であると扱うことであり、「下に見ている」のではないか、という指摘。

 同じ趣旨の疑問は、他の人も提示している。

# takisawa 『「ダメよ、あの人は侮辱してはいけないのよ、差別になるんだから」というのがもはや差別であり、順位付けでしょ。しかも固定化される。

 これに短くこたえると、もちろん「気を遣って」蔑視発言を「口に出さないこと」は何の解決にもならない。というより、問題は口に出すか出さないかではないし、内面的な蔑視や偏見そのものをなくせという話でもない。たかが赤の他人の侮辱発言がそれほど大きなダメージを与えることが可能であるような、社会の在り方そのものを変えること。つまり、「社会的地位の低い相手に対する侮辱発言は差別になるからやめよう」ではなく、「かれらの社会的地位をおとしめているような社会の在り方を変えよう」でなければいけない。

 ちなみに、わたしは「差別」という言葉で主に社会の在り方やそれを含んだシステム全体を指し、一般に「差別」と呼ばれる個別の行為(侮辱発言や就職差別など)は「差別的」と呼んで区別している。といってもそれだけじゃもちろん意味不明だと思うので、そのあたりの説明も近日公開の本家エントリで。

 takisawaさんは、こうも書いている。

macskaさんは、被差別の当事者であるyukiさんに

「差別は不当だと合意されているからこそ、何が差別なのかをめぐって議論の余地がある」、と一貫して言っているわけですよ。もしyukiさんが、「売春者に対する蔑視発言」を差別だと言うのであれば、yukiさん自身がそう断言するだけでは不十分なの。

と言っている。

であるならば、同じ被差別の当事者である部落解放同盟にも、

(略)

という主張もする、ということでしょうか?

 あのさー、わかってないね。

 わたしは、yukiさんが売春者に対する蔑視発言を「差別だ」と根拠なく主張していること自体を批判しているわけじゃないのよ。根拠が明かされていない主張(売春者に対する蔑視発言は差別だ)を、他人の反論を退ける論拠(どんな理由を挙げても差別はいけない、差別発言を差別ではないと言うことはそれ自体差別、など)として使っているから、論法がトートロジーに陥っていると批判しているの。

 で、質問にお応えすると、はい、もちろん部落差別においてだって、部落解放同盟がある問題を差別だと断定しただけで、それが事実差別であると決定するわけじゃないよ。あったりまえじゃん。一般論として、部落差別はいけない、差別であるということは既に社会的合意となっていると思うけど、個別の発言が「差別的」であるかどうかについてはもちろん議論の余地がある。

 でも、

私は「討論当事者同士のあいだで合意が成立していな」かろうが、差別は差別だと思っています。

 とか言われると、正直「誰がいつそんな話してたんだ」って思うんだけど。

 討論当事者同士のあいだで合意が成立していなくても、差別は差別。そんなの決まっているじゃん。でも問題は、いかにそれが事実差別と呼ぶのにふさわしいモノであったとしても、そういう社会的合意が成り立っているとは限らないこと。それが差別であるという社会的合意も当事者間の合意もないのであれば、それが差別であるという事実を議論の前提として扱うことはできないよ、とわたし言っているのであって、それが事実でないと言っているわけじゃないの。結論がいくら正解でも、論理が破綻している主張は説得力ないのね。

ならば、ネットの片隅にいるyukiさんよりも、はるかに社会で大きく「差別」を糾弾している部落解放同盟のほうが、よほど「差別をなくすための議論を阻害」しているんじゃないですか?

ならば、標的を部落解放同盟に変えて挑んだほうがはるかに有益ではないですか? それをしない手はないでしょう。労力は大して変わらないんですから。

 わたしは売春者の権利擁護運動には強く関わっているけど、部落解放運動には全然関わっていないし、知識もあまりないので、部落解放同盟のやり方に対して批判するということは多分今後もないと思うな。まぁなにかのきっかけで関わりができないとも限らないけど。

 あとついでに言っておくと、わたしは「蔑視」と「偏見」を区別して使っていて、前者は経済学でいう「選好による差別」、後者は「情報による差別」に対応します。違いが分からない人は、そうだな、かの『ヤバい経済学』の「ウィーケスト・リンク」のあたりを読んでみて。2章のはじめにKKKの話があって、次に不動産屋の話があって、その次。

 どうしてそういうことを言うかというと、yukiさんの例は「蔑視型」だけれどもtakisawaさんの挙げた「この辺、アレだから、当たり屋に気を付けてね」という発言は「偏見型」発言の例なのね。で、「蔑視型」差別的行為においては差別心の存在が明らかだけれども、「偏見型」の差別(的行為)は差別する感情や意図の存在とは無関係に起こりうるのね。そして、「差別とは相手を見下すことだ」みたいな一般的な内在的差別理解では、「偏見型」差別を十分に認識することができない。それが「差別ではない」という主張の裏にあるわけ。この違いは差別問題の解決を考える上で、かなり重要。

 『ヤバい経済学』では、「選好による差別」と「情報による差別」という区別があるとさらっと書かれているだけで、なぜその区別が重要なのか全然説明されていないのだけれども、さっきから告知している本家エントリではそのあたりも取り上げる予定。

 つづいて、yukiさん本人のコメント。

# yuki_19762 『これ読んでやっとわかりましたよ。売春婦の地位の低さも自明だと思って、もちろんそういうのを含んでるとの前提でわたしは話しをしてましたから。逆差別とかもありますけど、地位が高い職種ならば侮蔑されても痛手は少ない。地位が高いという共通認識があるから。娼婦は逆。これはもう自明のこととしてわたしは話してたんですよ。だからこれを読むまで何を言ってるんだろうと。もともと地位が低い人に対する侮蔑を不当として差別と言っていたんです。皆わかってるだろうと。でも確かにわかっていない人もそういえばいそうでした。』

 売春婦の地位の低さは自明だけれども、「地位が低い人に対する侮辱は差別」という考え方は自明ではないでしょ。例えば、「売春行為は反社会的」「反社会的な行為をする人は地位が低くて当然、侮辱されるのも仕方がない」という考え方の持ち主は、売春婦がいくら侮辱されても差別だとは思わない。

 yukiさんはそういう主張を無視することもできるし、感情的に(あるいは冷酷に)罵倒の限りを述べることだってできる。必ずしも相手を説得するだけの理路整然とした反論を考えなくちゃいけない義理はない。でも、論争に応じたうえでトートロジーを繰り返したあげく(それだけならまだ自滅するだけだからいいんだけど)、自分の意見を受け入れない人は差別主義者だと決めつけるのはやめて欲しいわけ。そういう振る舞いは、差別をなくすためのさまざまな議論の邪魔になるだけだから。

 わたしが書いた「善良な一般市民こそ、侮辱されても差別にはならないのだ」という論理だってそれで議論の終わりじゃなくて、納得できない人は当然いるはずでしょ。だからさらに議論が続くわけだけど、わたしがああ言ったことで、今度は相手の側も「違法行為をする人は侮辱されて当然」という考え方が「自明である」とは言えなくなった。自明でないということは、つまり議論の余地が生まれたということ。じゃあ違法行為をやる人は常に侮辱されるのが当然なのか、と議論することで、少しずつ「差別を正当化しにくい状況」を作っていくわけ。

 さらにyukiさんは、「売春者への蔑視発言をめぐる議論(3)」への返答としてご自身のブログにもこう書いている

売春婦に対する蔑視発言がいけないのは、売春婦も基本的人権を持った尊重すべき個だからです。以上。他に言葉が必要ありますか?

 売春婦にも基本的人権があると漠然と言われても、差別的な意見を発表する権利だって人々にはあるという考え方もあるわけで、論拠として不十分でしょ。さらに、仮に「蔑視発言はいけない」としても、それが「差別」であるかどうかは自明ではない。というわけで、残念ながらこれだけじゃ不十分。

また、差別された売春婦に対し、自分が蔑視されてはいけない論拠を述べよ、こんなふうに迫るのは人権尊重から程遠い行為でもあります。

 そうですね。でも、わたしはそうは言っていないのね。論拠があきらかでなく社会的にも論争当事者にも合意されていないものを「議論の前提として使うな」とわたしは言っているの。

 ただ、既に書いた通り、はじめから「わたし自身はあなたに対して発された蔑視発言は差別的だと思う」と言わなかったことは、わたしの落ち度というかミスでした。まずそれを言ったうえで、議論様式を批判すべきだった。

 あ、あとコメント欄だけどこんなことも書いてるな。

あとエントリを書いてる人がいちいち失礼なんですよ。本人光臨とかコメントしたら巻き込まれたとかエントリにトラバされてるからそれに反応すれば「なんか反応してるみたい」とか

 えーと、たしかに「巻き込まれた」ってのは筋違いだったので、その点も謝っておこう。ごめんなさい。わたし的には、知り合いの牧波昆布郎さんが何か書いていたからそこから辿っていったらいつの間にか論争当事者になってしまった、みたいな意識があったわけだけど、客観的には違った。

 あとはなんだろう、はてなブックマークに何かあるかな?

# 2007年03月20日 NOV1975 差別 主観について合意が必要なら世の中の差別なんて存在しないも同じだ。

 これについては既に説明してある通り。「議論の前提として何かを持ち出すなら」その前提自体が妥当であることが社会的に合意されているか、あるいは社会的合意がない場合には論争当事者間で合意される必要がある、ということ。結論として自分が言いたいことを無根拠に前提として潜り込ませて何かを主張しても説得力ないもの。

# 2007年03月20日 noharra yukiさんの長い文章をmacskaさんはトートロジーと暴力的に要約する。ふーん。であなたの産む機械Tシャツはトートロジーではないの?

 はぁ? 産む機械シャツはサタイアですが。

 なんだか意図がよく分からないので、コメント欄でnoharraさん説明してくれないかな。

# 2007年03月20日 aozora21 差別, 社会 『偏見や蔑視がすぐ差別と連動してしまうような社会では発言を抑制せざるを得ないから、イヤなんだよね。』内側で温存されるのがもっともイクナイと思う。

 どっちもイクナイです。「善良な市民」を「善良な市民」であることを理由にいくら侮辱しても誰にも全然実害がないように、誰かが売春婦に対する偏見や蔑視をおおっぴらに語っても誰も困らない、誰も傷つかないくらい、売春婦の地位が向上したら良いと思うのね。

 以上。

MizusumashiMizusumashi 2007/03/22 02:17 > ただ、既に書いた通り、はじめから「わたし自身はあなたに対して発された蔑視発言は
> 差別的だと思う」と言わなかったことは、わたしの落ち度というかミスでした。まずそ
> れを言ったうえで、議論様式を批判すべきだった。

な,なんだってーーーーー!!

1.議論の仕方とか,データとかをネチネチ批判する。
    ↓
2.相手が感情的に反論。
    ↓
3.「いや,結論に反対しているわけじゃないの。議論の仕方が問題なの」とネタばらしする。
    ↓
4.はじめの批判を確認すると,たしかに結論には反対してない

っていうのは,macskaさんの芸風かなんかだと思ってました。

macskamacska 2007/03/22 06:31 こんにちはです。Mizusumashiさんのエントリも拝見しました。
 わたしは議論のやり方として一般論を言っているのではなく、「たったいま、差別的発言を投げかけられた人」に対する作法として、いくら差別発言に対するその人の反応が無茶苦茶で批判を必要としていても、「その差別的発言自体はけしからん、あなたが怒るのももっともだ」、という点だけは強調したうえで、その無茶苦茶な反応の問題点を取り上げるべきだったと思いました。差別問題に取り組む者として、その点は反省しています。

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