「新しい無神論者」エントリのブクマコメントに一斉お応え(2)

 以下は、前エントリ発表後に付いた(あるいは気付いた)ブクマコメントへのお応え。

2008年04月25日 invictus 宗教 米国内の新しい無神論の話なので、ドーキンスの主張自体は本筋では無いと思うけど、ドーキンスに食いつく人多杉。といいつつドーキンスの反応が見たいなぁhttp://richarddawkins.net/article,2359,I-dont-believe-in-atheists,Salon

 本筋でないにも関わらずそこばかり食いつかれてしまったのは、ドーキンスを含めた「新しい無神論者」の主張がみな同じであるとわたしが主張しているような印象を与えてしまった点が原因でしょうか。それが間違った印象であることは、わたし自身もその「新しい無神論者」に含まれることを考えてもらえれば納得していただけるのではないかと思いますが、説明不十分だった点は反省しておこう。
 まあ、ハリスやヒッチェンスは(ヘッジズも)邦訳が出てないし、ポートランドの集会がああだこうだと言われても参加しないことには事実かどうか確かめようがないので、邦訳が出ているドーキンスについての記述に関心が集中しちゃったということもあるかもしれません。

2008年04月26日 popopom society, science なんというか…共同体化してしまうとなんでもダメんなっちゃうのはなんなんだろうな。くねくねの魔力か。

 「くねくねの魔力」って言葉、流行るだろうか。

2008年04月26日 yuaaa 無神論っていうかアンチ一神教

 ドーキンス『神は妄想である』では批判対象を「超自然的な」神への信仰に限っていますね(英語版 p.15)。それ以外の神ーースピノザ的あるいはアインシュタイン的な「神」概念などーーは対象外になりますが、一神教だけが対象ではないでしょう。

2008年04月26日 hnkn 宗教, 思想, 社会 「無神論者たちは、無神論という新しい宗教の信者であり、その他の宗教の信者と本質的に何ら変わらないのではないかーーという問いかけ」
2008年04月26日 maangie 思想 「無神論者たちは、無神論という新しい宗教の信者であり、その他の宗教の信者と本質的に何ら変わらないのではないか」難しい。

 えーと、これがもしかしたら今回の記事で一番真意を伝えるのに失敗した部分だったかもしれないです。
 どういうことか。「無神論者たちは〜ではないのか」というのは、誤解されているようなのですがわたし自身の主張ではありません無神論者に対するよくある反応としてそういう問いかけがあり(現に、わたしが友人にわたしが無神論者の集会に参加していることを伝えたら、そう言われたことが何度かあります)、わたしの考えではそれは不当な相対化なのだけれど(だからヘッジズによる「信仰でなく原理主義が悪いのだ」という安易な相対化も問題があると思います)、現実問題としてそう思われても仕方がない要素は無神論者の側にもある、と言っているのです。

2008年04月26日 at_yasu あとで読む よくわからないんだけど、仏教に神様っているの?

 それに答えるには、「仏教とは何か」「神様とは何か」という二つの質問にまず答えなければいけません。が、それらの問いに絶対的な答えを出すことはできないでしょう。
 逆の方向から回答してみましょう。超自然的な存在への信仰を抜きにキリスト教イスラム教はあり得ませんが、仏教にとってそれは不可欠な要素ではないというのがわたしの認識です。

2008年04月26日 ka-wara etc 『ヒッチェンスやハリスだけでなくドーキンスさえも、アルカイダイスラム過激派によるテロリズムの原因はかれらの特異な信仰であると論じており』後で書籍を確認,

 日本語版とはページ数が違うと思いますが、前回指摘した部分をよろしくです。

2008年04月26日 takanorikido ドーキンスの兄貴には色々腋が甘いところがあるのは確かだが、これで納得する人はたぶん『神は妄想である』を読んでない。

 いや、わたしは一応『神は妄想である』を読んでいるんですが… わたしが大きく誤読している可能性も含めて、同じ本を読めばみなが同じ解釈や理解に達すると決めつけるのはおかしいのではないでしょうか。

2008年04月26日 rna 宗教 理性は人の生を条件付きでしか肯定しないんじゃないかと思うことがある。理不尽を単に「あってはならないもの」としてしか受け止められないならそこに寛容の精神は生まれない。

 まさにそうだと思います。わたしが「新しい無神論者」の不寛容を批判するとき、それはグールド的な立場から「ドーキンス et al. は宗教に不寛容だ」と言っているのではありません。それはまず第一に、人種や国籍などを元にしたさまざまな不寛容さが理性主義によって正当化されることへの危惧であり、第二に矛盾や理不尽を抱えた人間の複雑なあり方そのものに対する不寛容さを批判しているのです。そしてこれは rna さんもおそらく直感的に感じているのではないかと思うのですが、この二つの不寛容は密接に関係しているとわたしは考えています。

2008年04月26日 kelokelo religion, science 話半分ぐらいで読んだ方がいい。著者は宗教というより一神教を忌避しているんじゃないかなー?

 「話半分ぐらいで読んだ方がいい」というのは、意見の対立や議論を通した自己反省や相互理解をあらかじめ拒絶する読み方です。つまり kelokelo さんはわたしでは議論相手としての資格に欠けると言っていることですから、その程度の存在だと見下されたのだとすれば残念です。

2008年04月26日 Iridium 個人的には宗教は可能な限り絶滅させたほうがいいと思うんだけど、本質的に人間が賢くならないとその代替物はどこかで必要になるな

 すごい極論。まぁ、ハリスは『The End of Faith』で錬金術を例に出し、「錬金術は発展して科学に継承されたのではない、錬金術が廃れて科学が栄えたのだ。それと同じように、宗教も科学や哲学・芸術などに取って変わられるべきだ」みたいなことを言っていますね。

2008年04月26日 yasuchan 宗教, アメリカ, ポーランド, sociology

 あのー、悪いんですが、わたしはポーランドじゃなくてポートランド在住です。


 ってなんだこのオチは?
 それにしても、これだけブックマークがつき、アツいブクマコメントまでついているのに、コメント欄に誰も何も書かないのはどうしてだろう。そんなに敷居高いですか?