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2007-09-29 1年目検査に行く

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つくば市K邸の一年目検査にお邪魔する。一年ぶりに見るK邸、われながらいい住宅だと思うゾ。家具や調度品をはじめとして、上手に住みこなしている建主さんにも脱帽する。

引渡し後、木製サッシが雨で反ったことなど、ほぼ通常の変化。木製サッシで反るものは半年くらいで目に見えて現れ、一度鉋をかけたり、手を入れるとだいたい落ち着きます。二、三、反省点もいただく。

この一年での感想をおききすると、台風時の印象が返ってきた。そういえば多摩川河畔の住宅でも、台風がやってきたときが面白かったという印象をいただいた覚えがある。台風で多摩川が増水し、対岸の樹々が強風で大きく揺れているのを、静かで穏やかなリビングから大開口を通して見るのは、むっちゃ迫力があって面白かったと言う印象だった。

今回は台風時の落雷をやはりリビングの大開口を通して見るのは、一枚のパノラマ画を見ているようで面白かったとおっしゃっていた。リビングから見えるウォルター・デ・マリアのアースワーク。嵐の外部と、静かで穏やかな室内、そのあいだの大ガラス。

竣工時の写真はこちら




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2007-09-26 旧竹田邸

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あるパーティに参加させていただくため旧竹田邸へ行く。

この建築もそうだが設計者である片山東熊は、ネオルネサンスとかフレンチバロックと呼ばれる様式のものが多い。主室を挟んでアンテルーム(前室)とドローイングルーム(後室)をアンフィラード(enfilade/列状続き部屋)で繋ぐ形式もバロック的。

ヨーロッパの城館建築の模倣という点では、映画『華麗なるギャツビー』のロケ地として使用されたバンダービルト邸をはじめとした、ほぼ同じ時代のアメリカのスタンフォード・ホワイトによる一連のものがスケールと様式構成の点では、よくできていると言えなくもない。

インテリアデザインなどには、村野藤吾の改修が入っているのですね。こうした優美で華やかなデザインは、晩年の村野の真骨頂という気がします。

けっきょく何のパーティだったのかというとこちら、村野藤吾研究会。


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2007-09-23 SUBURBAN NATION

f:id:madhutter:20070923234935j:image:leftSUBURBAN NATION、The Rise of Sprawl and the Decline of the American Dream, Andres Duany, Elizabeth Plater-Zyberk, and Jeff Speck, North Point Press, New York, 2000





理論的には1960年代に著されたジェイン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』を、形態的には1980年代に描かれたレオン・クリエのドローイングを髣髴させる『シーサイド』計画によって、その名が知られてきたフロリダ・ベーストの建築家集団DPZ(それにしてもDPZ、商業的には大成功だな)による著作。日本でもちらほらと聞くようになった彼らの「ニューアーバニズム」なる概念について書かれた後半部分への言及はここでは省くとして、戦後のスプロール現象からドーナツ化現象へ、そこから中心市街地空洞化にいたるメカニズムや過程についての記述や、戦後アメリカの住宅産業のあり方や、スプロールと伝統的近隣街区(このあたりジェイコブス的)を比較していく前半部分はたいへん手際よく纏められているので、勉強になります。

私がニューヨークで暮らしていた1990年代前半、既にアメリカの地方都市は概して中心部がまるでゴーストタウンのようになっていました。ところがそこから数マイル離れた環状道路や幹線道路を車で走ると、まったく裏腹にビッグボックスストアやレストラン、レンタルビデオショップやモーテルなどの看板が夜遅くまで煌々と輝いていたのです。あれから十年以上たち、日本の地方都市でも同じような光景を目にすることが多くなりました(このかん日本では大規模店舗法が撤廃され、まちづくり三法の改正や施行が政策的になされています。「外圧」によってこの政策を推進した日本側関係者も、日本の地方都市がここまで疲弊/変貌するとは、当初ほとんど予想していなかったのではありませんか)。

そもそもスプロール現象の発端は何なのか。本書によれば、第二次世界大戦直後の主として復員兵を対象とした持家政策とインターステートハイウェイの建設が、最も大きな二つの発端であったといいます。そして「この新しい経済的枠組みのなかで若い(シングル)ファミリーは、経済的に合理的選択をした。つまりレビットタウンである」。これによって1,100万戸の住宅が新築され、41,000マイルの道路が建設され、未曾有の郊外への拡散に弾みがついたというわけです。

1970年代には企業CEO宅に引きずられる形で、住宅だけでなく企業の郊外移転が始まります。

ここで付言するなら「地方自治体は負け犬だ」といったことがアメリカで言われだすのは、この少しあとです。企業の郊外移転によって法人税と良質な住民税による税収を失えば、公共サービスの低下が始まり、公共サービスが低下すれば、今度はそれを忌避してさらに良質な納税者が逃げ、他方で負担は増えていくという地方財政の悪循環が始まります。これが「企業も労働力も有利な条件を求めて移動できる。しかし地方自治体にはそれができない。地方自治体は負け犬だ」という物言いの内容です。この点で1992年に起きたロドニー・キング事件は、アメリカ特有の人種間緊張にくわえ、中心部に取り残された黒人貧困層と郊外の白人ミドルクラスのあいだの対立という、都市構造の問題でもあったかもしれません。この事件を契機とした暴動の直後、私は現地を見ましたが、何マイルにも連なる街区がまるで絨毯爆撃か砲撃を受けたかのように変わり果てた光景は、「暴動」というよりは「戦争」あとのようでもありました。

実際には企業は、こののち単に郊外に移転するだけでなく、体力のあるところは多国籍企業化し、国境を越えて資本の移動を始めます。もしも単純な郊外と中心の格差であれば、自治体が合併すれば、それで緩和されるはずです。

ところでアメリカ住宅史を扱った別の論文によれば、アメリカやイギリスでは伝統的に郊外一戸建て志向が強いのだそうです。

また付言すれば、スプロールの根底にある20世紀の郊外志向には、19世紀的都市の病巣としてあったコンジェスチョンへの反省という側面も、あったかもしれません。ニューアーバニズムから見ればまさに批判の対象であるル・コルビュジエの『輝く都市』なども、都市計画としては全くの失敗作であるにもかかわらず、今日なおそれが共感を呼び得るのは、造形力もさることながら「全ての人に輝く陽光を」という、19世紀に対する反省にして20世紀的な理想があったからかもしれないでしょう。

ともあれいずれにせよスプロールの負の側面が様々な観点から分析されていきます。その一つである郊外住宅の一類型は、アメリカン・ドリームのファストフード版として「マックマンション」と一部では呼ばれているのだそうです。日本で言えば「兎小屋」みたいな表現でしょうか。「マックマンション」はミドルクラス向け住宅の一類型ですが、アメリカの住宅はミドルクラス向けのこれら「マーケットハウジング」と、低所得層向けの「アフォーダブルハウジング」に大別され、なおかつ近年後者は外観上は前者に似せて造り、また分散させるべし、とされます。

その前者のマーケットハウジングですが、1970年には50%の家族が平均的住宅を購入できたが、1990年には25%まで低下したのだとか。理由はいろいろあるものの、最大のものは自動車とここでいわれます。一家あたりの自動車台数が徐々に増えてきた分、予算においても面積においても、住宅が喰われてきたというわけです。実は日本でも、地方のディベロッパーさんとお話をすると「この辺では一家に三台になりつつあるよ」という話は、既にときどき聞きます。日本の郊外もあと十数年もすれば、マックマンションだらけになるのでしょうか。

そしてその自動車が走るインターステート・ハイウェイです。このシステムはアイゼンハワー時代に副大統領を務めたアル・ゴア・シニアによって、物流効率を上げることを目的として造られています。余談ですが『不都合な真実』の著者にしてクリントン政権で副大統領を務めたアル・ゴア・ジュニアはそのシニアの息子で、1990年代前半、製造業分野において日本に圧倒されていたアメリカ経済の起死回生を計るべく、情報流通を変革するインターネットの構築に尽力したことは、あまりに有名な話です。

自動車道路についてはいろいろとありますが、大きな問題の一つは渋滞でしょう。皆さんは今年春に行われた東京都知事選挙の争点の一つを、覚えていらっしゃいますでしょうか。郊外に環状道路を建設し、都心に流入する交通量を減らす(石原慎太郎)、職住接近を実現しなければ、渋滞は緩和しない(黒川紀章)。実際にはやってみないと分からないところもあるのですが、都市政策のセオリーからすれば後者が正しいとされています。

人間が計画する道路はヒエラルキーを持っているので、上位の道路がコネクターとなり、そこに交通が集中する、あるいは渋滞を緩和するために道路を建設すれば、逆に交通を誘発する(誘発論、「ロバート・モーゼスのパラドクス」)など。この書に限らずモーゼスのパラドクスは、アメリカの建築・都市を扱った書ではときどきお目にかかります。というか、個人的にはなぜか最近、よくお目にかかってしまう。この人はフランク・ロイド・ライトの奥さんの遠い親戚で、ソロモン・グッゲンハイム美術館の建設が暗礁にのりあげたとき、ニューヨーク市の職員だった彼はいろいろとライトに尽力してくれたとか。

いずれにせよ、いろいろと勉強になる一冊。




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2007-09-17 伊東忠太の聖教殿

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中山法華経寺の奥の方には伊東忠太設計の聖教殿がある。西洋古典建築のロトンダの上にインド建築のストゥーパを載せた構成である。大雑把に言ってこうした建築様式を、エクレクティシズム(eclecticism/折衷主義)と呼ぶ。19世紀後半における建築を語る大きな概念として、「様式」があった。様式という言葉は「スタイル」の和訳であり、styleの語源はラテン語のstylus、つまり尖筆とエクリチュールである。

19世紀後半における最も基本的な様式は、ブリティッシュ・ビクトリアンとフレンチ・ボザールだった。なぜブリティッシュ・ビクトリアンとフレンチ・ボザールだったのかと言えば、それは当時の覇権国家がイギリスとフランスだったことが大きい。この時代の建築家の多くはこうした基本となる様式をまずはしっかりと身に付け、ただし単調とならないよう、飽きが来ないよう、様々にアレンジしていくよう教育された。またそれを巧みに実践することが優秀な建築家の条件でもあった。エクレクティシズムはそうした手法の一つと言え、ムーア風とか、サラセン風といった様式を、基本様式の土台の上で折衷しつつ使用するものだった。こうした手法の背景にはもちろん、当時のイギリスやフランスによる植民地経営という文脈もあろう。

中山法華経寺聖教殿の構成やプロポーションは概ね古典的である。フリーズやメトープ、トリグリフにピラスター(角型付柱)の浮彫を付け、さらに正面は付柱から離して円柱を置く(イン・アンティス)形式もまた、古典建築の文法に則っていると言える。一方でその語彙には、先のストゥーパをはじめ、ムガール風の窓型や柱頭や装飾も用いられている。もちろん伊東の意図はイギリスの建築家たちのものとは異なっていた。

中山法華経寺聖教殿の竣工は1931年である。その様式構成の巧みさにおいてしかし、これは優れて19世紀後半的建築に見える。この点でほぼ同じ時代のアメリカにおいて、アメリカン・ボザールが最後の悪足掻き輝きを放っていたのと、だぶっても見えるだろう。

随分むかし、伊東忠太と岸田日出刀について、こんな恥ずかしい文章を書かせていただきました。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004224779/en/

右上のPDFボタンをクリックすると、PDFファイルが出てきます。「15年戦争」というのは家永三郎の用語ですな。こうしたものにも影響を受けてましてん。

2007-09-16 大島健二さんの新作・他

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建築家の大島健二さんから「新しい家を造ったので見に来い」というeメールをいただき、市川中山に拝見に行きました。

南東側から見ると、内縁と外縁が内外のグラデーションをなしながらも、開放的な空間となるよう構成されています。これで果たして大丈夫かと思いそうですが、浴室と食堂のあいだに長軸方向耐震壁が目立たないよう挿入されてあり、さすがうまく構成されています。

また図面を拝見すると、面白いなと思うのはやはり天井伏図でしょうか。通気垂木、小舞、垂木がそのまま意匠として露出してくるので、いかに見せるかを考えながら図面を描くのは、楽しかったのでは。仕上げがなく、ごまかしがきかないので、施工はかえって難しくなるはずですが、大工さんは喜んで仕事してくれたそうです。

ところで中山というところは日蓮宗法華経寺という大きな寺院があり、境内に入ると比翼入母屋造の伽藍が目に入ります。比翼入母屋造は日本建築史の教科書ではだいたい九州の宇佐八幡宮が、その代表例として登場します(あぁ懐かしかでしゅね)。これは神道の神宮で、中山法華経寺は日蓮宗の寺院ですが、入母屋が二つ並んでいるのでとにかく同じ比翼入母屋造りでもあるのです。

天気のいい一日だったなぁ。というわけで、ときどき何か書いていくと思います。

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