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2007-10-21 テクトニック(tectonic)の日本語訳について

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拙訳書『テクトニック・カルチャー、19-20世紀建築の構法の詩学』ケネス・フランプトン著、TOTO出版、2002、では、ゼンパー/フランプトンの”tectonic”という言葉を「結構(的)」と和訳しています。

ところでそのちょうど一年後に出版された同じ著者による『現代建築史』(青土社、2003)/中村敏男訳では、これと同じ言葉が「構築的」と訳され、なおかつ本文中では逐一「テクトニック」とカタカナでルビを振られ、なおかつ本の帯にもわざわざ「構築性」なる売り文句が記されています。

ゼンパーの”tectonic”については、山本学治や大倉三郎らの優れた既往研究があり、また私は”tectonic”という言葉を「結構」とするのは定訳と考えています。拙訳の一年後にわざわざ言葉を変え、それを売り文句として出版するだけでなく、大いなる先達による優れた既往研究もことごとく無視するとは、翻訳者の中村敏男さんはよほど度胸があるのか、それとも建築史や建築論によほどの無知なのか、どちらかなのでしょう。

ゼンパーにおいては、”tectonic”は”stereotomic”(切石積石造)の対概念として用いられています。”tectonic”も”stereotomic”も、どちらも構築的(constructive)です。大雑把に言えば、テクトニックは線材などを架構したり編んだりして構築する方法、ステレオトミックは石などを積み上げて構築する方法と言えます。日本や太平洋の島々の伝統的な建築ではテクトニックな構築法が目立ちますが、中国(支那)や大陸の民家などではステレオトミックな構築法が目立つと思います。あるいは石材のポスト・リンテルによるギリシア建築はテクトニックな構築法ですが、レンガの壁をベースとしたローマ建築は、その表面に付柱をつけていてもステレオトミックな構築法と言えます。『テクトニック・カルチャー』のなかでも、オーギュスト・ペレによるギリシア建築や日本建築のテクトニック(フレーム構造)に対する憧憬について触れられたくだりがありますが、こうした話題について語りだすと長くなるので、ここでは止めておきましょう。また中村訳とほぼ同じレベルのものに、佐々木宏さん(やその受け売りである平尾和洋)によるものもあります。

さて故・山本学治はどうしているかと言えば、”tektonisch(tectonic)”を「骨組的」と和訳し、単純に「構築的」と訳すべきでないことを認識しています(山本氏の理論と著作については『山本学治建築論集』(鹿島出版会)など)。もっとも”stereotomic”との区別は明白になりますが、「骨組的」という言葉の持つ問題は、構築法よりもその形態に注意がいきすぎることにあると思います。”tectonic”という言葉はまた”plastic”(塑造的)という言葉と背反するものですが、プラスティックな骨組構造というものも、実際あるからです。

そして大倉三郎です。大倉のゼンパー研究(『ゴットフリート・ゼムパーの建築論的研究』、中央公論美術出版、概要はこちら)は世界的にみても水準の高いゼンパー研究です。また建築論研究としても水準の高いものと私は思います。同書において大倉はゼンパーの諸研究および諸概念について丁寧に分析をくわえながら、”tektonisch(tectonic)”を「結構的」と和訳しています。

フランプトンの著作を新たに訳出するにあたり、山本訳と大倉訳の折衷として「架構的」とでも和訳してもあるいはよかったのかもしれません。しかし大倉が詳述した広く深い洞察とともに、そもそも著者のフランプトン自身が同書において日本語の「結ぶ」という言葉について考察していることからも、「結構的」と和訳するのが相応しかろうというものです。

フランプトンは『テクトニック・カルチャー』の冒頭において、「テクトニック」概念について述べるにあたり、日本語の「結び(musubi)」と「締め(shime)」という概念にも着目します。注連縄(シメナワ)が縄に結び目をつけたものであるように、「締め」は結びに大きく関係しています。そして結び目とは、そこで二つの要素がそれぞれ別々でありながら、しかし文字通り結びつき、固定されているような位置です。そもそも木であれ、竹であれ、線材による架構を作り出すには、もともとは縄を用いて結び/締めることで全体構造を「編」んでもいました。また日本語には「結界」という言葉もあり、「締め」は「今日はこれで締め」とか「一本締めでいきましょう」といったように、空間だけでなく、時間的な区切りや時間の固定として使われる表現でもあります。言ってみれば何にもまして「結び」とは、原・建築的行為で(あるいは原・装飾的行為でも)あるわけなのです。科学は英語で”science”といいますが、接頭辞の”sci”は分離に関係しています(”scissors”/鋏、”schism”/亀裂、”schizo”/分裂、”scission”/切断など)。ものごとを切り分け、分析していくことが科学の基本にはあるというわけです。建築は科学的でもありますが、しかし分析と切り分けだけではできません。切り分けたあとに「結び」が必要なのです。繰り返すなら、「結び」とは原・建築的行為というわけです。

それにしても「結構」と最初に訳出した大倉は、つくづく慧眼であったと私は思います(もっとも「結構」という言葉自体は古くから日本語にあります)。

中村敏男訳にはほかにもいろいろと突っ込みどころがありますが、それは拙訳とは直接関係ないので、いちいち論っていくのは控えておきましょう。





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