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RCaO1.0

2007-11-26

ニューヨークのホームレスは面白い。紙コップに50セントを入れてあげると一曲歌ってくれたり、ドアを開けてくれたり。たまに1ドル入れてあげるとまるで救世主かなにかのように感謝され、いい気分にしてくれます。パースは晩年、そのニューヨークのホームレスでした。都会の仙人ですね。皆さんもこれからはホームレスのことを「都会の仙人」と呼び、仙人にやさしくしてあげると何かいいことが起こるかもしれません。

パースの演繹は"must"の論理であり、アブダクションは"may be"の論理であるとされます。可能性という点で可能世界論や様相論理、分析哲学を想起し、また英米哲学というと分析哲学/様相論理学を思い浮かべそうですが、1839年生れのパースは基本的には19世紀人であり、19世紀アメリカ哲学といえばドイツ哲学の翻案として始まった超越主義です。パース哲学に特徴的な三項性(ソシュールならシニフィエ/シニフィアンとやるところを対象/解釈項/記号とやり、ラカンなら想像界/象徴界とやるところをイコン/インデックス/シンボルとやる、そしていうまでもなくアブダクション/ディダクション/インダクションとやる)は、ヘーゲル的な三項性(即自/対他/対自など)からきているとされます。

さてアブダクションです。演繹が分析の推論とすると帰納とアブダクションは拡張推論とされ、帰納は単純帰納のように部分の集合から射影的に導かれるとすると、アブダクションは別名リトロダクション(retroduction/遡及推論、後件肯定とは異なる)といわれるように、遡及的にまずある飛躍がある。推論としてはアブダクティブ、ディダクティブ、インダクティブとすすんでいくことになり、どれかが特別というものでもない。仮説形成にあたっての推論にアブダクションは必要ですが、それだけでも仮説は形成できません。

木から林檎が落ちるのを見て「そういうものだ」と思うこともあれば、そこから万有引力という超越仮説を組み上げることもある。推論というのも、技術の一つなのですね。

アブダクション―仮説と発見の論理

アブダクション―仮説と発見の論理

2007-11-22

夕方からお打ち合わせ。むかしやっていた設計法では、敷地の与条件を調べ上げ、リクエストと必要プログラムを加味し、まずは10案くらい作ってクライアントさんに見てもらい、それでいけるようなら基本設計をまとめ、実施設計に向かってディテールをつめていくといった感じでした。もう少し詳しく言えば、主要素のマトリックスを作成し、その順列組合せや条件操作によってまずは考えられる10案をざっとたたき出して検討するという感じです。なぜ10案かといえば、きりのいい数字ということもあれば、条件操作ででてくるのがだいたいそれくらいということもあるし、可能性を片っ端から検討して検討漏れがないようにと考えると10案くらいということもあります。あらゆる可能性を検討したうえでそのなかから2-3案を建築的に練れた案として提示し、ほかを参考案をしてお見せするという趣旨の設計法でもあります。もっとも、推薦案を気に入ってもらえるとは限らず、参考案の方にクライアントさんのお目が行ってしまうこともあり得ます。いずれにせよこの方法による案はしかし最近、深みに欠けることが多いような気がしてきています。10案検討しなくてもある程度予測できるようになったということもあるのかもしれませんが、敷地に何度か足を運び、時間をかけ、打ち合わせを重ねる過程で見えてくるものもあろうというものです。そうした方が案としての深みを増すような気がしています、と書いてきてhutterと思いつくことがありました。チャールズ・サンダース・パースのディダクション(deduction/演繹)、インダクション(induction/帰納)、アブダクション(abduction)という三つの命題形です。

かつての方法はどちらかというと演繹的だったのですね。abductiveの方は論理学では仮定推論的と和訳されているようです。ついでにいえば組織設計事務所やゼネコン設計部の設計法もどちらかといえば演繹的だろうと思います。経済原則がおおきく作用するので、それも仕方のないことでしょう。もしかしたらブランドとして確立した有名事務所もそうなのかもしれません。

ところで設計や打ち合わせに用いるツールの定番物としての図面ですが、この10年ですっかりCADが手描き図面にとって替わった感があります。いっぽうでCGが模型にとって替わったかというと必ずしもそうとは思えません。模型が三次元の立体であるのに対し、CGはあくまで「絵」だからだと思います。人間の視野に近い範囲を描写しようとするとどうしても設定カメラの画角が大きくなってしまい、透視図法で計算しているために画面のディストーションが大きくなってしまうというもどかしさがあるのです。実際には描く対象や内容によってそのつど画角を調整することになります。

またCGの静止画で物足りないときは、同じデータを使ってウォークスルーのアニメーションを制作し、それを動画編集用のソフトに取り込んで音響素材と一緒に加工編集し、短いムービーを作ったりもします。

この最後のものはときとして「設計者の自己満足だ」などと非難されることもあります。


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2007-11-18 撮影日和

雑誌『i-A』の撮影立会いでつくば市K邸へ。このところ、曇りや雨の日が続いていましたが、晩秋の穏やかな日差しに恵まれた一日となりました。ひとえに(皆様の)日ごろの行いのおかげでしょう。

もちろん、曇りや雨の日がもつ独特の光の面白さ(ついでにいえば早朝の光、朝の光、午前の光、昼の光・・・)もあるのですが、「瀟洒的房間」という連載頁でブリリアントな昼下がりの光をという時間設定でしたので、関係者全員にとってなんとも有難い天気です。東京では木枯らし一号が吹いたとか。

予定では来年一月下旬発売号の劈頭見開き頁でドゥヴァッとお目にかかれると思います。


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2007-11-14 デザイン系レセプション

デザイン系のレセプションにお誘いいただく。

ここでも「地球環境問題」が理解を得やすい主題となっているような印象を持った。唐突だが、人間のものづくりという作業は、古代ギリシアアリストテレスの四因論(形相因、目的因、作用因、質料因)が大雑把にいって当てはまるような気がするが、どうだろう。

日本やイタリアといったやや遅れて工業化を始めた国は、世界市場に売り込みを計るため、独自のモダンデザインを展開してきた。市場(つまりモダン)と共約点のないまったくの独自製品では市場に参入できないし、先行している他国とまったく同じものであれば、商品としての存在価値がなくなる。市場と共約しつつ、独自性を確保するため、それぞれのモダンデザインが発展してきたともいえる。その市場の、このところの大きな要(作用)因は「地球環境問題」ということになる。

「地球環境問題」が商品価値(剰余価値)となること自体が、果たしていいことなのかどうか。

都築響一、柏木博、茂木健一郎の各氏にお目にかかる(ちなみにお三方のうちで最も腰が低かったのは茂木さん、aha! たまたまだったのかもしれませんが。茂木先生、ご自宅をご計画のときは、ぜひとも一声おかけください(揉み手+擦り手+スマイル))。


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