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RCaO1.0

2008-05-05

フロイトは「住宅とは母胎の代理物である」といったことを述べている。

日本の住宅の設計者がまず読む本のひとつに宮脇壇の一連の著作がある。私もかつてひととおり読んだ。うろ覚えだが「住宅とはデレデレする場所である」(幼児退行願望)、「住宅の天井は低い方がよい」(胎内回帰願望)、「子供部屋を作るな」(母親の視線の貫徹)など、精神分析的にみても興味深い記述があったように思う。理想のリビングとは大きなテーブルがあってその縁でお母さんが子供に宿題を教えているようなところ、といった趣旨のコメントなどは直截的である。大きなテーブルは胎内または臍の緒の代理表象であり、それを通じて母親と子供が一体化している胎内の光景だからである。

ついでに言うと子供のころに読んだ少年少女文学に『家なき子』というのがあり、「私にも八歳のころまで、スカートのなかに匿ってくれる女の人がいた」といった感じの一文があったように思う。この場合の「スカート」は胎内と家の代理表象であり、また「家なき子」は「母なき子」へとここで微妙にずらされている。

おそらくこうしたことと対照的なものは、西山卯三の言説ではないだろうか。寝食分離論は有名だが、親と子は就寝を分けるべしという就寝分離論も示唆的である。「今晩からお前は自分の部屋で一人で眠るのだ」ということは「今晩からお前の人格を認める」ということでもあろう。西山の方は、法と秩序とロゴスの父性的世界である。

フロイトの元弟子でのちに破門されたオットー・ランクは、建築家のリチャード・ジョセフ・ノイトラに影響を与えたひとりである。彼の「出生外傷説」とは、不安と神経症の源は出産の瞬間、つまり母胎から取り出され、臍の緒を切られる瞬間に見出されるというものである。臍の緒を切られ、個体として世界に投げ出されたことが人間の原・トラウマというわけである。この説は医学的には証明されていない。ともあれランクがここから発展させたものがショートタイム分析である。

精神分析における被分析者のうちには分析が終わる二分前あたりから重要なことを語り出すケースがあると言う。分析時間を短くして被分析者が重要なことを語るようもっていくとともに、さらに被分析者との別離の回数を増やす、つまり原・トラウマ=分離の模倣を繰り返すという方法とも言え、これがアメリカ的消費文化に迎合したとしてフロイトに批判されたものである。

いずれにしてもここでは一体化/分離が鍵概念としてあろう。

実際には一体化/分離といってももう少し複雑で、たとえば母体の免疫機能は胎児をあくまで外部として認識し、抗原抗体反応によってこれを抹殺しようとするゆえ、胎児を母体の抗原抗体反応から保護する機能が必要である。そしてそれをなしているのは実は、父側から送り込まれて胎内に形成された内膜であると、むかし読んだマーク・C・テイラーの本には書いてあった。

フロイトはそれまでの癲狂院におけるような治療の物質性を排除し、言葉のみを経路とすることで(実際にはたとえば自由連想を喚起するようその部屋を設えたように、必ずしもそうではないのだが)近代的な精神分析を可能とした。最初から物質性や環境を念頭においているノイトラやランクはそれゆえフロイトから見れば、いささか度し難いものだったかもしれない。

みずから設計したドライブイン・チャーチにやって来た車の中で授受乳する母子のノイトラのスケッチとその解説、「触覚的な形が現れ、弾力性のある乳房が小さな唇によって捉えられ、ほどよい粘りと甘みのある液体が舌の原・味覚部分へと注がれる」について、シルビア・ラビンは以下のように述べている。「ノイトラにとってこのイメージはレヴィ=ストロースにおけるインセスト・タブーのような役割を果たしている。これは自然と文化のあいだの分割線であり、本能と美学のあいだの分割線なのである。ノイトラにとって、母と子はそこにおいて一体として作用しながら、形としては別々であり得る部分へと構築された関係へと入っていく。このとき、口と乳房はいわば複合体でありつつ単一の生産体をなしているのである」。

この論でいくと、哺乳動物はみな自然/文化、本能/美学のあいだの分割線を持つことになってしまう。あえてラカンのRSI図式を持ち出すなら、文化や美学は基本的に象徴界に属するものではないのだろうか。ラビンの論がいささか弱いのではないかと個人的に感じる部分のひとつである。

ところでノイトラは「住宅は住むための機械ではない。建築は生きるための舞台である」という発言をなしている。どこかで聞いたような言説ですね。そうです、アドルフ・ロースです。映画(二○世紀芸術)的なル・コルビュジエに対し、演劇(一九世紀芸術)的なアドルフ・ロースの住宅。家族という劇が演じられる舞台としてのロースの住宅。ランクがフロイトとの相違を見せる一方で、ノイトラはここでロースとの共振を見せる。一九世紀末ウィーンのブルジョワ家族像と二○世紀ミッドセンチュリーのカリフォルニア・ミドルクラスのファミリー像が、微妙に交錯する。



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