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RCaO1.0

2009-02-28

2009-2-04でも書きましたが建物の高さを規定するものの一つに道路斜線があります。

その道路斜線の壁面後退による緩和という手法が登場したのは中曽根民活時代だったと思います。壁面後退距離に応じて道路の反対側から立ち上がる道路斜線制限がスライドし、後退距離の2倍分道路巾が広くなったと仮定する、今にして思えばデリバティブのはしりのような緩和手法です。さらに天空率計算そのものによる緩和が登場するのは最近のことで、これはパソコンの普及もあるでしょうが、年次改革要望が関係しているのではないかと推測します。推測ついでに言うと、ひところ人身事故をよく起こしていたシンドラー社のエレベーターの導入も年次改革要望がらみではないかと推測しますが、改革要望自体の問題なのか、メラミン入古米流通事件のときのように行政指導に大きな問題があったのか。

建物高さの話に戻ると、天空率計算の計算書はCADのデータとして出力した段階で、その気になれば簡単に数字を書き換えることができます。ソフト会社の人にこの問題について尋ねると「そうですよ」と涼しいお答え。この点は「善管義務」によるとして、なんともこうした緩和手法も方便に近い疑似科学といえば、まぁそうなのかもしれません。

ところでルネサンス期ベネツィアの建築家フランチェスコ・サンソビーニの書いた文章にダウラ法というのが登場するそうです。「ダウラ」はイスラム圏その他で「国家」を意味するそうで、ともあれ「かつてわが市民たちは統一と平等を示すためにダウラ法に従って建物の高さを揃えていたが、交易で富を得たものたちが違う高さのものを造った」といったことが書かれているそうです。

ひところ景観法の話をよくききましたが、最近はどうなっているのでしょう。この法律を推進されていた方々は、これは三文字法なので法体系上上位の法であるとよく言っていたように思います。ちなみに憲法、刑法、民法は二文字、都市計画法建築基準法は五文字、まぁ消防法は三文字、駐車場法は四文字・・なのですけどね。

いずれにせよ、この法律は機能するのか。機能したとして吉と出るのか、私は語る立場にはいませんが。

2009-02-21

鹿島茂「モードと建築-ベンヤミンに倣い」@東京都庭園美術館を拝聴する。


以下は個人による備忘録。

後期ベンヤミンの『パサージュ論』等による、19-20世紀初頭における建築とモードについてのレクチャー。

(資本主義とは)個人は目覚めていながら集団として夢を見ており、個人と集団が逆立した関係にあるとするベンヤミンの言説を手始めに、説明が続く。ベンヤミンのこの言説はK.マイケル・ヘイズビアトリス・コロミーナ他にもよく引用される一文である。

19世紀パリの駅舎は主要部分を鉄とガラスによる機能的構造体から造られながら、ファサードはボザール風となっていた(この現象はパサージュにも言える)。機能という衝拍を隠蔽する装飾的なこのファサードは、衝拍が大きくなればなるほど壮麗でバロック的なものとなっていき、1900年のオルセー駅ではファサードだけでなく側面までをもすっぽり覆うものとなっていった。この構造体と装飾的ファサードの関係は無意識とそれを抑圧する自我のようなものと捉えられる。

ベンヤミンがこれらの構造体に遭遇するのは20世紀に入ってしばらくしてであり、すでにこの「機能的な構造体」はかつての「機能」を失っており、むしろ往時の集団的無意識が窺える古拙的で不気味なものとなっていた。ベンヤミンがここで依拠するのはマルクスフロイトであり、またベンヤミンの言説とシュルレアリスムとの親近性が説かれる。かつての「機能的な構造体」はいまやシュルレアルな骨董品なのである(フロイトの部屋も骨董品だらけであった)。

「目覚め」と「夢」に関し、そのあわい、夢と目覚めのちょうど中間、目覚める前に目覚めた夢を見たものとして、アールヌーボーアールデコがあげられる。モードにおけるポール・ポワレとマリアノ・フォルチュニティはこの辺に位置づけられる(ガブリエル・シャネルはもう少しあと、あるいはもう目覚めているのだろうか?)。

さらにこの「目覚め」と「夢」がモードに引き寄せられて説明される。ある集団的な夢から目覚める契機となるのは、「トロイの木馬」あるいは「子供」であるという。夢をともに見続けていた「子供」があるとき、そこから目覚め、それまでかっこよいと思われていたものがダサいものに見え始め、新しいモードが始まる(モードはこの繰り返しということか?)。


優れたクリエーターはこうした「子供」をずっと持っている人ではないかという最後の言葉は印象的であった。

またちらっとmentelite(感受性)という言葉が登場したが、「感受性・史(the history of mentality)」はこのところときどききく。

2009-02-14

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世阿弥編 『花伝書(風姿花伝)』川瀬一馬校注、現代語訳、講談社文庫、1972


日本の芸人の芸道を説いた古典のひとつで、いまごろ読んでいるのかという必読書の類である。芸人の心得部分を別として、個人的に興味深い点をいくつか。

「第六、花修に言う」では有名な「幽玄」という美学的範疇が、強い、弱い、荒いといった範疇とともに述べられている。

「能に、強き・幽玄、弱き・荒さを知ること、おほかたは見えたることなれば、たやすき様なれども、真実、これを知らぬによりて、弱き荒きして多し。まづ、一切のものまねに、いつはるところにて、荒くも弱くもなると知るべし。このさかひ、よきほどの工夫にてはまぎるべし。よくよく心底を分けて、案じをさむべきことなり」74頁

(能において、強い・幽玄、弱い・荒いの区別をわきまえることが大切である。これは大体舞台でよく見ていることだから、その識別はやさしいようなものだが、実際には、これがよく判らないために、弱く・荒い役者が多い。まずどうして弱く・荒いのかといえば、それはすべての物まねを本当に似せていないところからくるのだと思うがよい)151頁。

「この分目をよくよく見るに、幽玄と強気と、別にあるものと心得るゆえに、迷ふなり。この二つは、そのものの体にあり。たとへば、人においては、女御・更衣、または、優女・好色・美男、草木には花のたぐひ。か様の数々は、その形、幽玄のものなり。また、あるは、武士・荒夷、あるいは、鬼・神、草木にも、松・杉の数々のたぐひは、強きものと申すべきか。

か様の万物の品々を、よくし似せたらんは、幽玄のものまねは幽玄になり、強きはおのずから強かるべし。この分目をばあてがはずして、ただ、幽玄にせんとばかりに心得て、ものまねおろそかなれば、それに似ず。似ぬをば知らで、幽玄にするぞと思ふ心、これ弱きなり。されば、優女・美男などのものまねを、よく似せたらば、おのづから幽玄なるべし。ただ似せんとばかり思ふべし。また、強きことをもよく似せたらんは、おのづから強かるべし」74-75頁

(幽玄とか強いとかいうものが、その物から離れて別に存在するものだと思うがために、迷うのである。この二つのものは、まねるものの本体にそなわっているものだ。たとえば、人間では、女御・更衣のような最高貴族の女性、または美しい男女、草木では花の類、かようの種類のものは、その形が幽玄のものである。また、武士・荒くれ男、あるいは鬼・神、草木でも松・杉というような種類のものは、強いものと言おうか。

このような色々の種類のものを、よく似せておおせれば、幽玄の物まねは幽玄になり、強いものは自然に強くなるものだ。この見当を考慮しないで、ただ何でも幽玄にしようとばかり考えて、物まねをいい加減にするならば、まねるものには似ない。なぜ似ないかということを知らずに、ただ幽玄にしなければと思う考え方であるのが、弱くなってしまうのだ。美男・美女などの物まねを、そっくりよく似せれば、自然に幽玄になるのだから、要するによく似せようということだけを考えればよいのである。また強いことの場合も、それをよく似せるならば、自然に強くなるのである)152-153頁。


再現芸術としての能の基本・美学範疇は、幽玄/強い、ということになるのだろうか。また「七、別紙口伝」では奥義としての「花」について


「花と、おもしろきと、めずらしきと、これ三つは同じ心なり。いずれの花か散らで残るべき。散るゆえによりて、咲くころあればめずらしきなり。能も住するところなきを、まず花と知るべし。住せずして、余の風体に移れば、めづらしきなり」82頁。

(花と、おもしろいことと、珍しいということと、この三つは同じ意味あいのものだ。どこにいつまでも散らずに咲き残る花があろうか。散るからこそまた咲く時節があって珍しいのだ。能も停滞しないのが花であると心得るがよい。停滞しないで、ほかの風体に変わって行くので珍しいのである)157頁

と説明される。有名な「秘すれば花なり」という言葉は、このおもしろき、めずらしきを演出するための技術ということになる。ただし花を一般化すると

「されば、この道を究め終わりて見れば、花とて別にはなきものなり、奥義を究めて万に珍しきことわりを、われと知るならでは、花はあるべからず」96頁。

(こういう次第で、この道を究め終わって、さとってみれば、「花」といっても、特別に存在するものではない。奥義を究めて、万事に珍しいということが大事だという原理を、自分からさとる以外には、花を知る方法はない)167頁

「ただ時にとりて用足るものをば善きものとし、用足らぬを悪しきものとす。この風体の品々も、当代の衆人・所々にわたりて、その時のあまねき好みによりてとりいだす風体、これ用足るための花なるべし。ここにこの風体をもてあそめば、かしこにまた余の風体を賞翫す。これ人々心心の花なり。いづれをまこととせんや。ただ、時に用ゆるをもて花としるべし」96-97頁

(この申楽の風体の色々も、現代の大衆・各地において、その時の一般の好みによって取り出して演ずる風体は、これは、その時に効果を挙げるから花になるのだ。こっちでこの風体を喜ぶかと思えば、あっちではまた他の風体を楽しむ。これは各人の気持ちで「花」が違っているということだ。どれとどれが本当の花なのか。どれもみな本当のなのだ。ただその時々に効果があるのが「花」だと知るがよい)167頁

2009-02-04

ものの本によると、街路の幅と建物の高さの快適な関係は1/1から6/1なのだそうです。日本語の本ではないので、そのままでは日本には当てはまらないのかもしれませんが、これほどゆとりのある街路は日本では珍しいのではないでしょうか。

まず道路斜線による高さ制限は住宅系で1/1.25、それ以外では1/1.5です。単純に考えるとこの段階で日本の街路(道路)はほぼすべて快適ではないことになってしまいます。

すこし話はずれますが、建物の高さを制限するのに斜線を用いるのは、基本的には天空率という考えに基づいています。天空率とは魚眼レンズのように全天空を円としてみた場合、空の占める割合が何パーセントかを見るものです。まわりにその地点より高いものが何もなければ天空率は100パーセントになるはずです。最近でこそパソコンが普及して天空率計算そのものを、ただし多くは高度緩和として用いることも可能となりましたが、複雑な計算を瞬時にできなかった以前は基本的にすべて単純な斜線制限として用い、また今日においてもまだこの方法が主流だと思います。

斜線制限を含め天空率で建物の高さを規定しようとするのは、20世紀、それも後半以降のことだろうと思われます。それ以前、つまりエレベーターのない時代では、実用的な建物の高さはせいぜい5-6階が限度で、それ以上高い建物が建てられることはまずなかったからです。古い街並みはそれゆえだいたい軒線が揃っていて視覚的に統一感があり、逆に天空率という考えでパソコンを使用して可能最大高さを割り出して造られる最新の街並みは、この点では乱雑なものに見えます。また高さ制限には建築基準法によるものと都市計画法によるものの二種類があり(法体系上は後者が上位法)、その緩和手法(たとえば後者は総合設計制度などによる)の相違によって、さらにばらばらとなるのは今日では比較的知られてきていると思います。

日本の建築基準法は戦後にできていますが、アメリカの法がモデルになっているのでしょう。高さに関する考えだけでなく、難燃、不燃、防火、耐火といった安全上の概念も、おそらく戦後アメリカから輸入され、準用されてきたのではないかと思われます。乱暴な言い方をすればこんにちの日本の街並を規定しているのは、アメリカで生まれた考えともいえます。日本の風土や伝統はアメリカと異なるゆえ独自の法律の制定を、などと言っても、それはもう無理ではないかと私は思います。悪名高いシックハウス対策法/建築基準法第28条の2(失礼)のように、あとから日本の官僚さんがお造りになられた法律の方がなんだかひどいような気もします。

東京だと下町の方は道路が碁盤目状に走っていますが、山手の方は概して高低差があるからか、獣道のようなものがほとんど整備されずに、だいたいそのまま今日にいたっているのですね。そのうえ工事をすると第二次世界大戦末期に造られた旧日本軍の地下要塞が出てきたりして「あの話は都市伝説ではなかったんだな」と、思うこともあります。こうしたところの一方通行の狭い道路は車が一台通り抜けるたびに歩行者は端によけねばならず、そしてその端には電柱が立っていたりします。目的地に速く事故なく着くことを考え、道を歩くのが楽しいと思えることは、まぁあまりないのではないでしょうか。

もっとも適度に曲がっていることは変化があってピクチャレスクで面白い、という考えもあるでしょう。

新しく区画整理されたところでも、道を歩くのが楽しいと思えることはあまりないような気がします。地権者の方々を調停し減歩率を抑えと、気の長い地道な作業は大変だろうと思います。とはいえ発想が土木「街路」というより「道路」なのですね。


いい都市だなと思える都市は、道を歩いていて面白いと思えることが多いと思うのですが、いかがでしょうか。

2009-02-03

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チャールズ・ダーウィン種の起源(上)(下)』八杉龍一訳、岩波書店1990


チャールズ・ロバート・ダーウィンを読んだ。

18世紀のひとの書いたものはほのぼのしており、それに対して19世紀のひとの書いたものは世知辛いという印象があって、ダーウィンは後者の典型ではないかと考えていたのですが、かならずしもそうではない。

19世紀は生物論モデルの時代で20世紀は機械論/構造論モデルの時代であった、といった説明がなされることがある。その19世紀生物論の代表とされる言説と、20世紀の機械論/構造論の契機となった言説を比較すると、じつはよく似ていることに目がいく。

モンジャン・フェルディナン・ド・ソシュールの一般言語学はのちに構造主義と呼ばれる思潮の基となったと言われる。フンボルト流の言語有機体説を退け、それまでの比較言語学と言語史を共時態と通時態として一般化/構造化した、とまず説明される。このときにソシュールが樹木の幹の比喩を用いたのは19世紀生物論モデルや有機体モデルの残滓を引きずっているのではないかという指摘は、しばしばなされてきた。ダーウィンの『種の起源』前半の種の説明を読んでいくとしかし、残滓というより、より多くの点でそこに共通点を見出すことができるように見える。

まず種と個体概念と、ラングとパロール概念の並行性である。ダーウィンの説では種の変化は個体の遺伝とその自然選択による蓄積からくる緩徐的変化とされるが、ソシュールにおいても、ラングの変化はパロールの偏差の蓄積からくる緩徐的変化とされる。

ダーウィンの種に起こるのは分岐、絶滅、変化(進化)である。また種の上位概念として属、さらにその上位概念としての科、種の下位概念としての亜種や変種、また種/属の通時態としての綱、その綱から分岐した種による群などによって、系統樹形が描かれる。種と属を同クラスで用いたり、科と属を同クラスとして用いている箇所もあるのでどこまで厳密なのかしかし、だいたいこう体系化できる。一般言語学においてはこうしたことは、ラングの上位概念としての語族や下位概念としての方言として敷衍できるし、明確には述べられないが、言語にも分岐、絶滅、変化(進化)はあるだろう。

もっとも生物にあって言語にはないもの、つまり大きな相違に生殖がある。ダーウィンはミミズのような雌雄同一体においても生殖において二つの個体の交接があるとしている。ところでソシュールの一般言語学のパロールの説明においては、糸電話で繋がれたような二人の人物の挿絵が登場する。発話者の言葉が受話者に聴覚映像として受けられ、そののち了解されることを示した図である。パロールとパロールが交接するわけではないが、パロールの偏差が生じるのはここにおいてである。つまり発話者が聴覚映像に変換する過程、および受話者が聴覚映像から変換する過程において、その内容がまったく同一であるとは限らない。

ダーウィンの学説は天地創造説のような種を固定したものとする考えを、まず否定するものだった。あらゆる種は緩徐的に変化、分岐、絶滅してきたのであり、つねに何らかの種があり続けたのであり、いまこの時点もその過程にあり、いま見ている諸種はある時点における状態、つまり共時態であるとする。自然は飛躍しない、種は緩徐的に変化していくというダーウィンの種に対する根本認識は、言語に革命はない、言語は緩徐的に変化していくというソシュールの言語に対する根本認識とほとんど相同的である。

ところで日本語版の『種の起源』では「進歩(進化)」という言葉が登場するのは三箇所、どれもスペンサーの「生存闘争」という言葉が導入される1/3以降である。種の緩徐的変化や自然選択が述べられる冒頭各章では、種が環境に適応し、存続していくことが主眼であるように述べられるが、1/3を過ぎたあたりから種は同群他種に対して有利な位置を占めようとする、より積極的な変化をしているような記述へと変わっていく。「私の想像では、カッコウのひなが義理のきょうだいを巣から押しのけるのも、アリが奴隷をつくるのも、ヒメバチ科の幼虫が生きた毛虫の体内でそのからだを食うのも、これらすべてを個々に付与された、あるいは創造された本能とみなすのではなくて、あらゆる生物を増殖させ、変異させ、強者を生かし弱者を死なしめてその進歩にみちびく一般的法則の小さな結果であるとみなすほうが、はるかに満足できるものである」(上、315頁)、「第二紀の動物相あるいは植物相は、まちがいなく、負けてほろびてしまうであろう。この改良の過程がより新しい、勝利をおさめた生物の体制を、古い、うち負かされた生物と比較して顕著に変化させたということを、私はうたがわない。しかし、こんなふうな進歩をどうやってしらべたらよいのかは、私にはわからない」(下、77頁)、「自然選択はただおのおのの生物の利益によって、またそのために、はたらくものであるから、身体的および心的の天性はことごとく、完成にむかって進歩する傾向を示すことになるであろう」(下、261頁)。

種は緩徐的に変化するとすれば無数の中間種が見出せないのはなぜかという疑問への説明が、この生存闘争と絶滅説に求められる。

またこの同じ疑問を説明するのにダーウィンはチャールズ・ライエルを引きながら、まるまる一章を地質学の説明にあてている。たとえば「おなじ岩層の上部と下部にある二つの種類のあいだにおける完全な段階的際をみとめうるためには、堆積は、変異の緩徐な過程がおこるに十分なだけのひじょうにながい期間にわたって、たえずつづけられていたのでなければならない。それゆえ堆積は一般にひじょうに厚いものでなければならず、変化をこうむる種はおなじ地域に全期間をつうじて生存していたのでなければならない。しかしわれわれはすでに、化石の豊富な厚い岩層は沈下の期間にのみ堆積されうるのであることを知った。そして、おなじ種がおなじ地域で生活できるためには深さがほぼ一定にたもたれることを必須とするが、そのためには沈積物の供給が沈下の大いさとほぼつりあわねばならない。ところが、この沈下運動そのものが沈積物ができるもとの地域をしばしば水面下にしずめることになるから、低下の運動がつづくかぎりその供給はへってくる。事実として、沈積物の供給と沈下の大いさとがほぼ正確につりあうということは、たぶんまれにしかおこらない偶然である」(下、26-27頁)といった感じである。一見この唐突な章はダーウィンの考えが地質学/博物学から発展してきたことを反照するようであり、もっといえば19世紀のこうした思考の前提にはたとえばミシェル・フーコーの『言葉と物』でタクシノミアとか分類学と呼ばれている18世紀の思考があったように見えなくもない。このおなじ章のうしろの方では、またこうも述べられる。「ある生物を何か新しい生活の道に、たとえば空中を飛行することに適応させるには、ながい時代を必要とする。しかし、いったんそれに成功し、少数の種がそれによって他の生物にたいして大きな利点をえたなら、わりあい短い時間でそれから変化した多数の種が生じ、そしてそれらの種類は急速にまたひろく世界中にひろがっていくことができる」(下、35-36頁)。

種の変化は緩徐なものではある。しかしいったんある閾を超えると、そのごの変化は劇的となるのだろう。

ところでここで種の変化と呼ばれているものの根底には、ワトソン=クリック・モデルとして表現されるDNAがあることは今日ではよく知られている。生物現象と呼ばれているものは裏を返せばDNAの言語活動の結果であるのかもしれない。むかし読んだ『DNAと遺伝情報』(三浦謹一郎、岩波書店、1984)では、DNAの二重螺旋は生殖に際していったん開いて全部で四重螺旋となり、そのご再び閉じて新しい二重螺旋を形成するとされていたように思う。DNA情報のこの組換えは順列組合による偶然の産物であっても、それが種に有利であれば緩徐的に変化し、蓄積されていくことになるのだろう。単純な複製、クローンではもちろん、そうした緩徐な変化はない。さらにこの情報を人為的に書き換え得るとしたら、どうだろう。あるいはクローン牛が生産可能ということは、技術的にはいずれクローン人間も生産可能ということになる。あるいは成長や老化のプログラムを探し出し、その情報を書き換えれることができれば、成長や老化の速度を調整することも可能なのかもしれない。さらに「自然死」とは概念であるとすれば、身体の可塑性/可逆性を一定水準以上劣化しないようにしてしまえば、死なない/死ねない動物/人間も生産可能かもしれない。19世紀の育種家がやったことを新しい方法で効果的に行うこと。

もしも少子高齢化対策として、強壮でよく働き老化もしないクローン人間を21世紀のどこかで生産したとすれば、20世紀における核兵器の使用に匹敵するほどの価値観の転倒をもたらすことになるかもしれない。


とまぁ、さいごは与太話となりましたとさ。

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