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RCaO1.0

2009-06-29

承前


「補遺

自分の批評を再読するや、私自身いささか個人的逆説に捉われていることを見出す。批評行為は距離をとって客観的であることを部分的には要求するからであり、私が述べたことのほとんどが無味乾燥で断片的に見えるからである。あるいは部分的には私自身かつてイギリスで暮らしたことがあるアメリカ人として、イギリスのものに敏感にも好意をもって接してしまう、それもいわば高貴な原始人としての立場から突き落とされたというカルチャーショックを持って回顧的に接してしまうからである。だがおそらくより重要なことは、スミッソンらが語っていることと成していることに概して私は同意しないにもかかわらず、彼らが示しているものに畏敬の念を抱かざるを得ないということに、部分的にある。いずれにせよ第二次世界大戦後の建築と都市計画において私からみてスミッソンらが代表している知的・イデオロギー的誠実さに直面したとき、私自身が建築家であり、理念から形態への翻案を試みる者として、私の中立的立場や、彼我の文化的断絶や、彼らに対する私個人の不同意を放棄せざるを得ない。

この時代に固有の経済的、政治的、社会的現実と対面した建築家にとって、とり得る態度は三つあったように見える。一つは極端なナイーブ性とも言うもので、これはつまり最終的には実現の見込みのない建物や計画を提案することである。二つ目は、その時代やその社会が建築をつくるとばかりに、実務における生き残りに単純に身を委ねてしまうことである。第三はシニカルな態度をとることである。前二者をけなしつつ、そこから距離をとるというものである。私にとってスミッソンらはこれら三者に対して批判的な可能的第四の立場とでも言うべきものへと、超越しているのである。

ゴールデンレーンにおいて初めて表現された住居型の回答から20年も過ぎてしまっては、イノセントであり続けることは困難だろう。同じ理念を留め続け、その一つの理想形を実現させようと何度も繰り返し続けることは、決してシニカルなものとは考えられ得ぬものである。あるいは実現することを拒んだり、妥協が足りないとして実現の機会が拒まれることも、決して実務的でもない。それゆえロビンフッド・ガーデンズの些細な欠点が何であれ、あるいはゴールデンレーンの当初の理念の限界が何であれ、ある理念を実現形態として最終的に成就することは、私の批評だけでなく、建物自身をも超越しているはずである。

われわれ一人一人に向かって常識を疑いましょうなどと差し向ける総体的規範を打ち立てるものの、それ自身移ろいやすいそのときどきの最先端なるものに、影響されている者たちを相手に、こうした理念に拘り続け、発展させ、実現させるには、根気のいるこだわりが必要である。第二次世界大戦後の比類ない論文や議論や批評の重みによって確かなものとなったある立場を、スミッソンらは代表している。社会的・歴史的変化の歴史としての建築への感性を彼らは有しているが、だが何にもまして、生活としての建築に全面的に関っているのである。

それが建築をつくっているものなのである。建築が挑戦し続けるとともに生活の希求を反映するのは、そこにおいてなのである。

結局のところこの補遺を本文のように書いてしまった。部分的には彼らの存在に示唆されて書いた自身の批評の結果として、逆説的に対面しつつ書いたということである」


ピーター・アイゼンマン、いい文章じゃないか。

2009-06-28

「1914年のメゾン・ドミノに遡行して近代建築が扱ってきた問題に、住宅〈としての〉建築という問題がある。近代建築が住宅を構想して以来、単に私的な寝食の場としてではなく、その集団性においても、つまり公的なアイコンとしてもそれを構想してきた。それゆえその形態が喚起するものは技術、あるいは寝食に関する単に新しい機能的生活の解法の宣言だったのではなく、そうではなくそれらは・・・社会的そしてテクノロジー的希求のアイコンの・・・メタファーとして意図されてきたものだったのである。その形態が表象してきた理念とは、公的な機能と、この公的な領域において新しいイメージとなる建物の方法についての理念だったのである。建築とは、単なる建物の対極に位置し、このアイコンの機能を与えることを求められるものなのである。ロビンフッド・ガーデンズの建物形態がこの伝統に従うものである以上、最後の分析において、建築・としての・建物として、それは裁かれねばなるまい。

ロビンフッド・ガーデンズには、空中歩廊とそれを自動車レベルに繋ぐ垂直動線が型・形式要素の基本として残っている。敷地に置かれた建物が公的領域と私的領域の分離を文字通りに与えるように、これら型・形式要素も一段小さいスケールで、公的空中歩廊と私的住居のあいだに似たような分節を与えるのに寄与している。ロビンフッド・ガーデンズにおいて分節表現されているこれら要素は、型・形式要素と自動車のあいだで獲得された新しい関係だけでなく、型・形式要素自身のコンセプトにおける変化をも仄めかしているだろう。

以前の型・形式としての空中歩廊はスミッソンにとってもル・コルビュジエにとっても論争的なものとしてあったが、いまやまた別の問題によってさらに込み入ったものとなっている。水平方向の基準となるものは何なのか、という問題がそれである。言い換えるなら、公的繋がりとなるものの主たる象徴と見做されるべきものは何なのか、ということである。空中歩廊なのか、それとも地表から一層分掘り下げられた自動車のレベルなのか、あるいは地上レベルがそうなのだろうか。ル・コルビュジエによる歩行者/自動車・分離の全ての案において決して解決されなかったのは、これである。ルーフデッキと実際の地上のあいだにショッピングデッキ・・・これが主たるものとして強調されているにもかかわらず・・・が挟まれていたマルセイユのユニテでさえ、水平方向の連続がないゆえにこの問題が残っていた。ロビンフッド・ガーデンズにおいてこの問題が再度現れる。いまやこの建物は道路の存在と基準地面を受容しているからである。さらに一つではなく一連の歩廊レベルがあるため、問題は複雑である。ゴールデンレーンのような水平連結がないゆえ、失われた意図へのオマージュのような痕跡記憶のように、ここでの空中歩廊は見える。単に機能的観点から見ても、つまり大きく吹き曝しとなった歩廊として見ても、主たる基準レベルが潜在的問題としてまだ残っている。

この点で、これら空中歩廊がゴールデンレーンのものとアイコン的に同じものとして構想されているとすると、ベルリン中心部計画やエコノミスト・ビルから退行的となり、ロビンフッド・ガーデンズに対してこれらの先行物がほぼイデオロギー的批評として立ちはだかることになろう。ただし都市の基準平面が地上レベルであると見做されるなら、ロビンフッド・ガーデンズは都市の現実から距離をとっている。この意味において地面から一層分だけ高い所にあるとともに、街路と近い関係を保っている歩廊はそれゆえ、この歩廊レベルをもともとの基準平面へと統合するひとつの可能な代案となるだろう。この近接性、あるいはわずかなレベルの違いのおかげで、街路と公共歩廊の理念が対立状態を免れているわけである。しかしながらロビンフッド・ガーデンズが示しているものは、また別のもののように見える。ゴールデンレーンの空中歩廊とは違ったものとして・・・たとえば公的街路ではなく私的なものとして、ゴールデンレーンの屋内街路ではできなかった機能を満たしつつ、それゆえ公的から私的へといたる新しい尺度のヒエラルキーへの挿入物足り得るものとして・・・ロビンフッド・ガーデンズのデッキが構想されているなら、こうしたことは問題ではあるまい。

公私のこうしたヒエラルキー概念が正当であるように見える別の側面は、歩廊に対する室内階段の関係に見出せる。二層フラット内にある室内階段はゴールデンレーン同様に歩廊に並行しているが、ただし歩廊から一歩踏み込んだところ、入口壁に沿ってある。この手つきが二つのことをなしている。第一に、その並行配置が公共領域と私的領域のあいだに防音のための空間を生み出していること。第二に、入口前に公的領域から私的領域への移行領域の空間をも生み出していることである。ゴールデンレーン・モデルの発展型と見做されるべき(またスミッソン事務所の元所員であるイヴォール・スミスによる)シェフィールドのパークヒル住宅での階段/舗道関係と比較すれば、この表現はきわめて重要となろう。パークヒルの内側階段の考えはジョージアンである。中心に位置しており、公的領域からの緩衝領域をなしているわけでもなければ、公・私の移行領域を分節しているわけでもない。

第二の型・形式である塔屋について見れば、ゴールデンレーンとロビンフッド・ガーデンズでは、その配置が異なっている。ゴールデンレーンにおける垂直動線塔屋は建物本体から浮いているように表現され、またその配置は建物が屈曲する位置に対応している。この意味でゴールデンレーンの塔屋は全体をまとめる仕掛けなのである。

建物の連続性が意図されていないロビンフッド・ガーデンズにおいては、そんなことは問題ではない。それゆえ北側では垂直塔が建物端部として表現されている。南側端部で分節されているのはしかし住居単位であり、そこが建物の端部であり、将来そこには何も連結されるものがないかのように、この単位が建物を包み込んでいるのである。垂直動線と水平動線の関係の分節形態に、しかしながらここで問題が付け加わる。イムーブル・ヴィラのどちらかといえば広々として高貴でさえあるホワイエや垂直動線と比較すれば、ロビンフッド・ガーデンズの空中舗道へのアクセスは陰鬱なのである。エレベーター・ロビーに向かって歩廊が狭くなっているのである。この狭さおよびエレベーター塔を建物本体から引き離したことは、ここが主入口というより非常階段であるかのように見せていよう。しかしながら歩廊を狭くしたことが、垂直から水平への移行ではなく、むしろまたもや公共領域から私的領域への移行の理念を示すべく意図されたとすれば、この形態は理念をよく表現しているのである。

公共的アイコンとしてこの建物が最も成功している一方、私的領域はあまり成功していないように見える。公共領域はイメージ豊かだが、私的住居単位はといえば、現時点における単なる生活機構以外の何物でもないように見える・・・この点に関して述べるなら十分でないようにさえ、あるいはニューヨークの似たような公共住宅にある設備と単純比較するだけなら、おそらく基準以下に見える。ゴールデンレーンの住居単位にあった小さな庭と比較してさえ、ロビンフッド・ガーデンズの住居単位はあまり理想的でないように見えるだろう。

さらにまた、建物のファサードにおいても私的単位を表現しようと試みたことが、公的領域・・・型・形式要素・・・と各住戸の表現のあいだにほとんど解決不能の問題を生み出している。スミッソンらがロビンフッド・ガーデンズで試みている独特のファサード処理を、この問題はより顕著なものにしている。

建物表層のイコノグラフィーは、スミッソンらにとってずっと重要な関心事であり続けてきていた。それは彼らの「普遍美学」のたえざる探求、それも規範たるべき普通さの美学の探求に明らかである。同一の多くの住居を「ある種の匿名スタイル」によって収めるという彼らの関心に、それは見られるだろう 。ロビンフッド・ガーデンズにおけるファサードは、各住戸の変化やバリエーションをある程度許容する一般パターンを措定することを試みている 。エコノミスト・ビル同様、ロビンフッド・ガーデンズもまたそのイコノグラフィーをファサードの処理にかなりの程度負っている。普遍美学と内部を反映する柔軟性の双方を満たすという要求のことである。スミッソンはこれを「外皮」の使用によって解決しようとしている。ファサードと異なり、外皮とは、見たところ深みのない丈夫な薄膜として、それが内部のフレームを覆っているかのように見えるものとして考えられねばならない。外皮という考えはゴールデンレーンや、ル・コルビュジエがワインラックのイメージによって伝えようとした考え、つまりそこであたかもボトルのように各住戸が出し入れできるような籠構造より、明らかにミースに近いものだろう。ミースによる外皮使用の本質は、各住戸を表現するイコノグラフィーとして彼がそれを使用しようとしなかったことに、まさにある。ミースはそれを発展させようとも応用しようとも、決してしなかった。彼の外皮使用は、垂直線群〈と〉水平線群との形式的調和を注意深く統御することにあったのである。かくして多くの場合複合化したスクリーンが中性的なものに留まっているミースとは異なり、ロビンフッド・ガーデンズの外皮は、普遍的なものであるとともに、内的要素の配置を機能的かつアイコン的に表現する探求を表象しているのである。

ロビンフッド・ガーデンズの先行物であるマニストリー通り計画の立面を、その過剰な水平性のゆえにあまりに「モダン」であるとスミッソンらは考えていた。これとは逆にロビンフッド・ガーデンズにおいて実現した外皮は、垂直方向の方立が支配的である。この方立は建物表面を縦方向に走りながら、各住戸間の遮音材として働くとともに、大きめの住戸や小さめの住戸の見た目を均すためのものとしても考えられていた。しかしながらこれが実現すると、この垂直方立から「普遍美学」が抜け落ちてしまうのである。方立がとって付けたフィンのように見え、その結果外皮のアイコンとしての意図を失ってしまったこのファサードは、機能の強調などでは正当化できないものだろう。問題はこういうことである。第一に、方立は物としての深みを持っている。ほとんど厚みを待たないまま水平・垂直方向に広がっていくものと想定していた外皮の概念に、それは矛盾しているのである。一方でこれら方立の垂直線が途切れたところでは、柱・楣システムとして見えるようないかなる規範からも逸脱しているように見える。垂直性とは明らかに荷重を支えるものゆえ、その連続性がなければ、貼り付けられたもののように見え、フレームを覆うようにも見えないからである。それゆえ地上レベルから頂部にいたるまで方立が連続している建物南端では、この普遍美学は最も成功しているように見える。中庭に面した建物立面での垂直方立は、狭いバルコニーの内側にある居間の外面から方立の外面までの薄い層部分という、ファサードの一部をなしているように読める。方立がバルコニーによって途切れていてさえ、このバルコニーが狭くそれゆえ陰影もなければその結果としてのボリュームの示唆もないゆえ、方立とバルコニーが一体のものとして読め、かくして方立はその見かけの深みを失うだろう。普遍表面としての方立が最もうまくいっていないのは、スミッソンが私的住戸を公的歩廊からきっぱり分節している外周立面においてである。歩廊の水平ボリュームと読めるものによって切断され、修辞的となっているのである。

最終的問題はしかし、方立がどれだけ修辞的なものかどうかとか、外皮なのかどうかということではなく、意図した象徴にファサードがなり得ているかどうかだろう。これは普遍的問題である。古典美学と表現主義美学とのあいだの古典的対立、そして最終的にはミースとル・コルビュジエの狭間で揺れ動くスミッソンの問題なのである。型・形式要素・・・塔屋と水平歩廊・・・の表現必要性は、外皮の理念とは矛盾する。これら要素を建物内部に押し込むことで、ミースはいつも抑制していた。外皮の普遍美学はこれらと相容れないだけでなく、構造のいかなる水平・垂直表現さえ隠蔽してしまうものなのである。だがスミッソンは各住戸を外面に表現したいだけでなく、中性化の作用子・・・言うまでもなく外皮・・・を用いてこの表現を緩和したいわけであり、さらには塔屋を上に引っぱり上げ、外皮によって形成された薄膜を破って歩廊を横に引っ張り出して公的要素を表現しようとすることで、古典的傾向とル・コルビュジエ的表現性とのあいだに、彼らは捕らわれてしまったように見えるのである。

ロビンフッド・ガーデンズが実作として立ち現れたとき、その失敗点は形態なのではなく、形態が普遍美学と型・形式要素の双方を支持しようとしていることであると、おそらく看取されるだろう。これは個別具体例に留まらず、理念とその実現作というもっと一般的問題へと敷衍でき、とりわけ第二次世界大戦後の建築、もっと特定すればチームXの作品が共有している社会的議論の理念と実現作の問題へと敷衍できるものである。チームXの立場にはつねに根本的な不一致が付きまとっているように見える。言っていることと成していることが釣り合っていないのである。

チームXは部分的にはCIAMの英雄主義と、それまでの量産住宅が「文化的退廃」であることへの反動として登場した 。チームXは社会学的・技術的問題の関心、つまり「型式や、欲求や、人工物や、社会の根本や、現代社会の交通やコミュニケーションを理解すること」へと、もっと積極的に関るものだった。だがそれだけでなく、「機械化された建物に適用する」 美学を発展させることにも関るものだった。

1929年と1959年のあいだにかくも根底的な相違があったとすれば 、チームXが発した言葉よりもその精神に、相違はあったかもしれなかろう。コミュニケーションやテクノロジーへの新しい態度があったとすれば、それに応じた形態コンセプトがあると期待するだろうし、その新しい諸形態はスミッソンが述べたように・・・「快適で、安全で、封建的でない」 ・・・真正な20世紀のテクノロジー的居住のイメージを発するだろうものだったのである。

ル・コルビュジエがイコノグラフィー・・・形態・意味の新しい関係・・・を生産するため、空間のキュビスト的概念を社会的議論で覆ったのに対し、全体を統合する力としてキュビスト的概念に代わる形態や空間コンセプトを提案しているのはしかしながら、ひとえにスミッソンのゴールデンレーンやシャドラック・ウッズによるベルリン自由大学において他にないのであり、それらはいずれにせよル・コルビュジエやデ・スティルや構成主義からは、身を隔てているのである。メーリンク広場ともどもこの二つの計画は、ル・コルビュジエ的空間に対して明確な代案でないとしても、何がしかの進展があるものではあろう。空間要素の関係を構想する建築というより、いまや空間システムの関係・・・あるいは関係の関係性・・・があるのである。表面内部の配列に対する外部のファサードの関係を構想する空間ではなく、いまやそれは建物に外在的な異なるスケールでの関係性として構想される空間なのである。この点においてメーリンク広場計画はそのシステム配置においてゴールデンレーンを超え、だがロビンフッド・ガーデンズでの二列配列ではその「新・古典的な」二棟配置が、自らを過去へと繋ぎとめている。

チームXによる社会性の議論は、人間活動のシステムとスケールを〈繋ぐ〉ことへのより多くの関心において変化したのであると言われている一方、あるいはその外部形態の表現がより人間的で現実的である一方、ほとんどの場合においてその空間概念はいまだ1930年以前のものである。第二次世界大戦後における建築の規範的傑作ともっぱら考えられているアルド・ファン・アイクによるアムステルダムの孤児院さえ、ポスト・キュビスム的であるなどとは捉え難い。ル・コルビュジエが成功したのはおそらく、革命的な空間概念・・・社会的議論を収めるイメージ・・・を喚起したからである。チームXがこの点をまったく理解していないという事実は、「パリ風の」空間をそれが何を意味するかにまったく気付かぬまま、さらにはそれが今日持つ文化的負荷や、あるいは逆にこうした形態に潜在的にある空間組織、それもそうした組織に対応する潜在的意味にまったく気付かぬまま、相も変らず使い続けているという事実に看取され得る 。

・・・あるいは、黄金のレンガ道を辿って行っても、ゴールダーズ・グリーンには辿り着けない。

最終的には中流階級のものでしかない現実に、つまり独特な自動車受容のあり方や公私のヒエラルキーに訴求することで、ロビンフッド・ガーデンズはゴールデンレーン計画にあった革命的理念/理想主義を犠牲にしただけでなく、近代運動の英雄時代にあった傑作をも台無しにしてしまったのである。だが逆説的にも、ロビンフッド・ガーデンズに残っているゴールデンレーンの理念は、決して中流階級的などではあるまい。ゴールデンレーンの建物とオープンスペースの関係には、公的領域と私的領域の新しい概念があったのである。私的オープンスペースとそれを公私のヒエラルキー形成のための装置として使用するという伝統的な態度は、公的領域へと取って代わられ、それがいまや私的領域と直接的に接しており・・・それゆえ私的住居単位は都市構造の多くのスケールと直截に向き合うことになるのである。

労働者階級にブルジョワ的存在を享受させることをよしとしているらしい福祉国家と大ロンドン都市管区(GLC)の要求に沿うことが、ゴールデンーンレーンにとっては適わぬ問題だった。一方では全ての労働者はその心において潜在的に貴族であり得るという考えに賛同するスミッソンのイデオロギーもまた、政治的にも社会的にも、イギリス社会主義のある集団からは到底耐えられず拒絶されるものと見做されることになろう。

ジョージアン・テラスに起源を持ちつつ、公共領域に対応しかつ責務を負うという政治システムにもある新しい型・形式の提示を試みる住宅計画は、一方では、上昇志向のある中流階級の労働者をして中流の収入があるにもかかわらず労働者階級の環境にあると思わせる私的領域を生み出し、これがいくつかの問題を課してしまっているのである。

この問題は二面的であるはずである。第一に、各住戸の快適性が低いこと。一戸あたりの予算はGLCのこれまでの予算配分の優先順位下におけるものとおそらくそれほど変らないものの、公的領域と私的領域双方を十分満たそうとするにはしかし、不十分なのである。第二に、両者ともにではなくこれかあれかを選択するとすれば、スミッソンらは公共領域の観点から選んだように見えるだろうことである。だが問題はまだ残されている。この限られた予算でどこにお金を使うか、である。

スミッソンらの議論はここにおいて矛盾する。一方では住人の現時点での「私的」所有や個人的居住の問題を扱っている 。だが他方ではスミッソンらは建物を、現時点の現実などというものを超越し、あるいは変化さえさせる都市の永続的なイメージや、このイメージの能力のうちにその主要な価値を置く都市構造体の一部をなすものとして、繰り返すなら公共レベルのものとして、公共的アイコン(これは私の言葉であるが)として、見做しているのである。ロビンフッド・ガーデンズの公共領域がこうした変化を示唆している一方、私的領域はそうではないのである。対象/物同様、建物は使用法を示唆するが、現時点での住人がそれをうまく使用せず、対象/物と使用者の関係がまずくなるとしても、それは対象/物の欠陥ではないだろうとスミッソンらが語るのは、この文脈においてなのである。さらにはこの問題を手付かずのままにしているように見えるのは、まさにこの対象/物というレベルなのである。

現代人のための住宅を供給するというGLCの必要性と、スミッソンらによるユートピア的な現在〈とそして〉未来への欲望のこの不均衡が、ロビンフッド・ガーデンズの実施形態における建物単体スケールで明らかとなっている経験的事実と、そして新しい都市計画へのいささか規範的理念のあいだの、不一致な態度を説明してくれるかもしれない。ユートピア的計画者から実際の建設者への、理念を発展させるという基本的関心から建設過程への根本的関心への変化として、この不一致はロビンフッド・ガーデンズにおいて反映されていよう。前者が革命的だった一方、後者は概してちぐはぐなのであり、よくて修正主義的なのである。

大衆の現在における物質的要求にのみ迎合し、未来における可能的救済を示さない住宅を作ることは、まったく住宅を供給しないのと同じくらいに耐えられないことだろう。物質的快適さによって未来の変化への期待を抹殺し、そこにおいて住人がルンペン中流階級になる住宅などというものは、「人々が(その心において)欲しているものを与えよう」という今日の主張には、なり得ぬものである。

近代建築運動における議論の突出したもの、なおかつスミッソンらが育み続けてきたものとはおそらく、「人々がもしも自らが欲しているものを知っていたならそれを欲しただろうものを、人々に与えよう」といったことだった。これはまさに近代運動の逆説でもあろう。ゴールデンレーンの理念とロビンフッド・ガーデンズの現実のなかに残されているまさしく矛盾とは、このことなのである」


ピーター・アイゼンマン『ゴールデンレーンからロビンフッド・ガーデンズへ、あるいは黄金のレンガ道を辿って行ってもゴールダーズ・グリーンには辿り着かない』(部分、拙訳、このタイトルは「ゴールデンレーン」と『オズの魔法使い』に登場する「黄色いレンガ道」をかけていると思われる)

2009-06-24

東京でも熱帯驟雨のような雨が降るのですね。

ずいぶんむかしフロリダのインターステイト・ハイウェイを走っていて、驟雨に見舞われたときのことを思い出します。それは夏の夕暮れ時の、何の前触れもない、文字通りとつぜんの豪雨でした。

路肩に寄せようにも道路はおろかフロントガラスの先10センチも見えず、さらにワイパーもヘッドライトもまったく役に立たず、雨というよりまるで水のなかを走っているよう。万一後続車がいるとすれば止めるわけにもいかず、仕方がないのでそのままアクセルを踏み続けます。時速60マイル、ハイドロプレーニング上の疾走、視界はゼロ。

しばらく走るとまるで何事もなかったようにぴたっと雨が止み、暗い青空が眼前に広がります。

巨大な積乱雲の下でも走っていたのか。

あのとき道が少しでもカーブしていたら。

2009-06-06

アンドレ・ブルトン『超現実主義宣言』生田耕作訳 中公文庫 1999


1924年の(第一)宣言、1930年の第二宣言、1942年の第三宣言のための草稿からなる。

第一宣言では冒頭のポール・ヴァレリー批判、少し後ろのボードレールへのシンパシーにまず目が行く。また当初は「超現実主義(シュルレアリスム)」ではなく「超自然主義(シュルナチュラリスム)」となるはずであったという記述にも目が行く。

シュルレアリスムとしてまず思い浮かぶのは、第二宣言に書かれていることではなかろうか。後ろの方には長いバタイユ批判もあるが、個人的に興味のある箇所をいくつか。


「超現実主義の理念が目指すところは、われわれの精神の力を全面的に取り戻すということただそれだけであり、そのための手段は自らの内部へのめくるめく降下、隠された場所にたいして組織的に光を当て、それ以外の場所を徐々に暗闇の中に沈め、禁じられた地帯の真只中を絶えず歩きまわることであり、人間が動物を火や石から区別できるかぎり超現実主義の活動が終わりを告げるということはまずありえないのである」(100頁)

「超現実主義は現実と非現実、理性と没理性、熟慮と衝動、知識と〈宿命的〉無知、有用性と無用性、等等の概念の告発を企てる方向へ特に踏み込むものではあるにせよ、少なくともヘーゲル理論の「巨大な流産」から出発しているという点において史的唯物論とよく似た傾向を示している。否定と否定の否定にすっかり馴らされている思考操作に、限界を、たとえば経済的枠という限界を設けることは出来ないようにわたくしには思えるのである。弁証法的方法は社会的問題の解決にしか有効に適用できないという考え方をどうして認めるわけにいこうか? 超現実主義の野心は、弁証法的方法にたいして、ちっとも競争的でないやり方で、最も直接的な意識領域においても様々な応用の可能性を提供することである」(104頁)

「超現実主義がいまも標榜して止まない、より組織的なより一貫した努力が、例えば、自動記述とか夢の記録の方向とかに注がれなかったのは残念なことである」「彼らはおおむね紙の上にペンを走らせるだけで、そのとき自分のなかで起こっていることを少しも観察しなかったり—ところがこのような二重性は反省的記述の場合よりも捉えやすく、それに考察して興味深いものである---或いはまた夢の諸要素を多かれ少なかれ恣意的なやり方で寄せ集めるだけでこと足れりとしたり。夢の過程に目をくばることも有益ではあるが、それよりもその絵画的効果を活かすことの方が大切であり、このような思い違いは、当然、この種の作業に見出せるはずの利益をすべてわれわれから奪い取ってしまうことにもなりかねないのである」(128-129頁)

「さらにまた超現実主義は、われわれの言うフロイト的な意味で「貴重な能力」を所有している人々が、今しがた彼らが辿るのを見たのとは逆の途を通って、〈霊感〉というとりわけ複雑な仕組みを新たな観点から考察する仕事にたずさわることを要求するのである」(133頁)

2009-06-03

こちらの(間接)主催するこちらの企画にお邪魔する。平日昼間のフルタイムゆえ、平日昼間から飲酒するような後ろめたさ。普通のお勤め人はこないだろうと思っていたのですが、島田雅彦加藤紘一竹中平蔵のネームバリューを均等に配したゆえか、終始結構な入り。平日昼間のアルコールのような人たちがあるいは結構いたということなのか。

午前中は文学/文化、午後は外交/政治、経済/政治の、三つのパネルからなる。竹中平蔵氏の英語でのしゃべくりに初めてお目にかかる。日本語のときとまったく変わらないしゃべくり。

政治や経済の話は別として、朝一番はけっきょくドナルド・キーンの話から。文学が近代的なものとして、対外的には日本文学の基準点は「夏目漱石」でも「国木田独歩」でもなく「源氏物語」であり、この基準はキーンによって作られたという気がしてくる。また文化研究における”intercultural”な傾向はこんごますます強くなっていくのであろう。

島田雅彦様、別荘を造られるときはぜひとも一声おかけください(揉手擦手)