エドマンド・バークフランス革命についての省察I, II』水田洋+水田珠江訳、中公クラシックス2002-2003


古典です。文体は韜晦ですが原著の文体も韜晦なので、それが当然だろうと思います。原著が韜晦である場合、訳を読み易くしてしまうのは本書のような古典では原著にやはり失礼ではないか、と思うからです。同じ著者の『美と崇高・・』は読み易かった印象があるので、この韜晦な文体にはやはり意味があるのでしょう。原題はThe Reflections・・なので本当は「諸省察」とでもした方がいいのかもしれません。様々な側面から並列的にフランス革命について批判がくわえられていきます。
さて著者エドマンド・バークの『美と崇高・・』はイマニュエル・カントの『美と崇高・・』に影響を与えた本で、それが同じくカントの第三批判に繋がっていっていたのではないかと思います。この点では近代美学はバークに始まると言えるのではないか、とさえ思えてきます。そのバークの美学は本書に示される彼の考えと、やはり不可分のものではないのか、という気がしなくもありません。
著者は「保守主義者」と目されることが多いのですが、本人が本書において自らをそう規定したり呼んだりしている箇所はありません。当時のホイッグの思想家ではチャールズ・ジェームズ・フォックスがフランス革命に同調的で「リベラル」と目されますが、バークは「リベラル」にも「放縦(license)」にも価値を見出さず、しいて言えば「liberty(自由)」に価値を見出しています。フォックスとバークのこの相違は、バークはアイルランド人ゆえその立場が弱かったからである、という説明がなされることがあります。K.シドニー・ロビンソンが述べるように「フランス革命の暴力的平均化にもはや耐え切れなくなったエドマンド・バークは、社会的・政治的複合蓄積をシステム的に破壊するというまさにその点で、抽象的な政治理念を攻撃した。長年の友人であり、議会での同僚だったチャールズ・ジェームズ・フォックスから、この攻撃は彼を隔てることになる。フォックスはフランス革命を支持していたからである。それも臆病な英国人たちが何の手立ても防衛もしなかったときの話ではなく、ずっとたってからもそうだった。ホイッグの二人の政治家のあいだのこの鋭い違いは、混合(mixture)に対する異なるスケールでの彼らの支持に帰されるかもしれない。フォックスはより幅広く、より確信に満ちたスケールで、一方でホイッグの高官のなかでは新参者だったバークは、より狭く、よりびくびくしたスケールで混合(mixture)を支持していたというわけである。個別の現実の出来事がはっきりとした計画なしに蓄積していくというバークの考えは、ピクチャレスクな構成の理念に並行しているように見え得る」「フォックスの確信はシステム的な冷淡へと容易に転化していくものだが、バークのものは、必要でなければいかなる連続性をもたえず断ち切っていけるものだった。フォックスは個人的なレベルではいい友人である。しかし抽象原理へのそうした小スケールでの結合を、バークは喜んで犠牲にできたことを認めるなら、この対極的相違が見えてくるはずである」という、二人の相違がそこにあるかもしれません。
ところで本書の冒頭では、イギリスにおける二つの組織のうち保守的な「憲法協会」をほとんどとるに足らないものと看做し、他方における「革命協会」にバークは批判をくわえています。バークは「革命」を否定するわけではありません。バークにとってフランス革命とは言ってみれば「子供のどんちゃん騒ぎ」にすぎず、イギリス革命(1688年革命)こそが真の大人の革命であった、という彼の考えが冒頭において明確に示されています。
バークの思想については色々なところで論じられているのでここではあまり述べず、美学的な視点からいくつか備忘録的に抜書きを。
「人間の本性はこみ入っているし、社会のものごとは、可能なかぎり最大の複雑さもっている。だから、権力の単純な配置や方向づけは、どんなものでも、人間の本質にも人間の関係することがらの性質にも適合しえない。あるあたらしい政治制度において、装置の単純さがめざされ、ほこられるのをきくとき、私はただちに、その製作者たちが、自分のしごとについてまったく無知であるか、自分の義務についてまったく怠慢であるのだときめてしまう。単純な政府は、いくらよくいうとしても、根本的に欠陥がある。社会をただひとつの観点からながめようとするなら、これらすべての単純な政治様式は、かぎりなく魅力的である。じっさいに、それらのおのおのは、もっと複雑なものがそのすべての複雑な目的を達成するよりも、はるかに完全に、その単純な目的にこたえるのである。しかしながら、全体が不完全に不規則にこたえられるほうが、若干の部分はひじょうに正確に充足されながら、他の諸部分はまったく無視されるかもしれないよりも、あるいは、重視された部分への過多な配慮のために、他の諸部分が実質的に害をうけるよりも、いいのである」(I-112頁)。
「フランスの建築家(ここでいう建築家は国家建築家(State Architectsのことか、引用者)たちは、かれが見出したものはなんでも、たんなる屑としてはきすててしまい、そして装飾専門の庭師のように、あらゆるものを正確に水平にしたうえで、地方と全国の立法部全体を、三つの異なった種類の基礎にもとづかせることを提案する。三種類とは、ひとつは幾何学的、ひとつは算術的、第三は財政的なものであり、その第一をかれらは領土の基礎とよび、第二を人口の基礎、第三を納税の基礎とよぶ。これらの目的の第一のものを達成するために、かれらは、その国を83の、18リーグ平方の正方形に分割した)(II-60頁)。


フランス革命についての省察ほか〈1〉 (中公クラシックス)

フランス革命についての省察ほか〈1〉 (中公クラシックス)

フランス革命についての省察ほか〈2〉 (中公クラシックス)

フランス革命についての省察ほか〈2〉 (中公クラシックス)