イラク戦争とイラン大地震で気付いた面白いこと〜偽善の自覚

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031229-00000050-mai-int

死者が1万人とも2万人とも発表されておりますが。
怖いですね、地震

さて、国は違えど、同じ中東で起き、たくさんの死者を出した今回の地震と戦争。
漠然と眺めていて面白いことに気付きました。

それは他ならぬ、私が観察している個人サイトでのことなのですが。
今回の地震、ニュース系のところがちょこちょこと拾ってる以外、誰も話題に出してない。私を含め、もう完全にスルー。

イラク戦争のときはというと、皆さんも記憶に新しいでしょうが、開戦前などはその話題に触れてないサイトを探すことの方が困難でした。しかし今回のイラン地震。死者としてはイラク戦争の約10倍近い人が死んでいる()にも拘わらずスルー。ほとんどの個人サイトがこの時期話題にしているのは「クリスマス」&「お正月」&「忘年会」。

いやー、参りましたねー。皆さん。
イラクの何の罪もない人々が死ぬのは忍びない」って理由で戦争に反対していた方々、これで中東の人間が何人死のうが実のところは関心はなかったって事実がはっきり露呈しちゃいましたね。
あちゃー。

もちろん単純には比べられない

もちろん、「自然災害」と「人為的な殺害」ですから。
これらを同列に比べようとは思っておりません。
戦争は我々がもっと声をあげれば、ひょっとしたら避けられたかもしれない出来事です。
しかし地震は突然起きるし、誰かが意図的に起こすものでもありませんものね。予報技術もまだ発展途上の段階だし。避けようがありません。

だがしかし、そこで問いたい

「命の重さ」って何でしょうね。
戦争の爆撃で死んだ民間人の命は重くて、地震で死んだ被災者の命はそれより軽いですか?だから皆関心を持てないのでしょうか?

「人命は地球より重い」なんて誰か言いましたね。嘘ですね。
現に私たちは人命を屁より軽いものとして扱い、流すことも珍しくありません。実際に貴方が「地球より重い」と感じている人命なんて、自分自身、そして近しい人々くらい、範囲を広げても同じ共同体で生きる他人、自分の共感できる他人ぐらいまででしょう。
地球の裏側で全く関係ない人が死んでも貴方はいちいち悲しまないはずです。だってこの瞬間もどこかで誰かが死んでいるのですから。

汝の偽善を自覚せよ

私は、そう思い生活することが悪いと言っているのではありません。
むしろ普通でしょう。
大切なのは、「どれだけ自分が偽善的か」という自覚。
だから偽善が悪いとも思いません。

何が悪いかと言えば、それは「偽善を偽善と認識しないこと」でしょう。