44 さようなら、僕のスウィニー

 鉄道にまつわる短編小説集。お話に出てくるのは全部違う電車なのに、線路のはずなのに、ずっと同じ感覚がまとわりついてきた。ひとつの大きな記憶の海の上を走る電車に揺られている気分だった。
 主人公たちは全員どこかノスタルジックな雰囲気を醸し出していて、「何か」を懐かしんでいる。その「何か」はそれぞれ違うのだけれども、電車という繋がりが出来ることですべての物語がひとつに綺麗にまとまっていた。過去を忘れられない者、自分の決断に悩む者、未来を見つめる者。それぞれの人生の大事なパーツのひとつとして、電車が関わっている。電車は、みんなの記憶を乗せて走る。そしてあのガタンゴトンという穏やかに繰り返される振動が、かつての過去をリアルに蘇らせる。まるで追体験しているように、「あの頃」を思い出す。ああ、そういえばわたしもそうかもしれない、と主人公たちの中に混ざってみる。
 わたしが学生の頃、一緒に暮らしていた男性がいた。彼と降り立った駅は数知れないが、彼の実家があった「駒込」と、通っていた大学のあった「高田馬場」、当時入り浸っていた彼の友人の家があった「西新宿」は、今でも通過する度にわたしの中にある彼との想い出を揺り動かす。それも、美化された楽しかった想い出ばかりが込み上げて来て、彼のことが懐かしくなる。だけど、それらの駅にわたしは降り立とうとはしない。だって、それらは今の自分を形成している一部ではあるけれども、もう通過してきたただの過去でしかないから。心のどこかに駅名のアナウンスが引っ掛かって一瞬物思いに耽るけれども、それだけだ。それはきっと過去のこと、と割りきっているから。それでも、確実に今に繋がっている大切な一部だったことに変わりはないから、きっといつまでも忘れることは出来ないのだろう。そういう、自分勝手な想い出の中で、人々はきっと生きていく。
 電車というのは不思議なもので、人が大勢いてもどこか無防備な自分が居る。車体が大きく揺れた一瞬だとか、車窓から外の景色を眺めている時だとか。そういう瞬間にふと、自分自身と向き合う時間が訪れる。この作品は、その瞬間のことを描いた作品だとわたしは思う。
 大崎先生の作品で短編を読んだのははじめてだったが、もしかしたらわたしは先生の作品は短編小説の方が好きかもしれない。またひとつ、大崎善生の世界を知れて良かった。世界に浸ることが出来たのが嬉しい。そう思いながら、電車に揺られながら最後の頁を閉じたのだった。