Hatena::ブログ(Diary)

アジア雑語林

2017-09-30

1043話 旅する人数



 2017年春学期の私の授業の成績評価のレポートは、2テーマ用意した。そのひとつは、旅する人数に関するものだ。「ひとり旅とふたり以上の旅の、それぞれ長所と短所をあげて、自分が理想とする旅の人数はどういうものか書いてください」といった内容だ。こういう設問だから、正解というものはない。ひとり旅とふたり以上の旅のどちらを選んでも、評価とは関係ない。評価の基準は文章力だ。自分がしたい旅をどういう文章で書くか、そのお手並み拝見という企画だったのだが、その目論見は、外れた。
 ひとり旅とふたり以上の旅の長所や短所を、誰でも考えつくような視点と文章で書いたら、最高でも「やっと合格するかどうか」という程度にしようと思っていたのだが、ほぼ全員がその程度の文章だった。なにかの例え話を持ってくるとか、映画や小説のシーンを使うといったひと工夫があれば、合格圏に入るという基準を作っていたのだが、そういう文章を書いた学生はひとりもいなかった。10点満点で5点以上が合格だとすれば、すべての学生が3.8から4.8点のなかにおさまる結果になったから、このテーマでの評価はナシとして、もうひとつのテーマで評価することにした。
旅する人の人数に関するレポートは、当たり前の、つまらない文章ばかりだが、いくつかの特徴は読み取れた。ほとんどの学生はツアーに参加するのではないが、「ふたり以上の旅」がいいと答えているのだが、その理由の第一位が、「旅の感動を共有したいから」というのだ。
 それがいいとか、悪いとかいうのではない。「感動の共有」に興味のない私は、「ふーん、そういうもんかねえ」と思うだけだ。これは、同行者どうしで、「いいね」ボタンを押しあうような体験をしたいということだろう。名所旧跡、神社仏閣、風光明媚に興味のない私と、旅の感動を共有したい人はほとんどいないから、同行者を求めること自体無理で、同時に私の興味のない事柄に感動を求められても困る。だから私はひとりで旅をする。
 同行者を求める理由の第2位は、「いっしょにいてくれれば安心」というものだ。
 ●自分が知らない旅行情報を教えてもらえる。
 ●事故、病気などトラブルがあったときに助けてもらえる。
 ●外国語に自信がないから、同行者に助けてもらえる。
 そういう理由を読んで、この種の意見の特徴がわかった。自分が助ける立場になることを想定していないのだ。友人とのふたり旅だとする。旅先で友人が事故や病気になったとする。病院の手配、支払い。保険、友人の家族への連絡、場合によれば、日本大使館への連絡などもろもろの作業を、自分がやらなければならなくなるという想像はしていない。自分が面倒を見てもらう状況しか考えていないのだ。
 生命にかかわる病気や事故でなくてもいい。こういうことなら、誰にでも起りうる。ヨーロッパ5か国旅行を計画していたが、最初の訪問地パリで友人が転んでねんざした。腰も痛めたとする。友人はパリから動けない。あなたも2週間そのままパリにいることになるかもしれない。ふたり以上の旅は、自分が助けられることもあるが、助ける側になることもある。同行者の犠牲で救われることもあるが、自分が犠牲になることもある。夫婦の旅なら、「まあ、しょうがないか」とあきらめるしかないが、友人との旅なら欲求不満のかたまりにもなる。
 あるいは、ラオスとタイを旅行するという場合、友人がラオスパスポートを紛失したとする。パスポートが再発行されるまで、ラオスを動けないから、以降の予定はおおきく狂う。帰国日に間に合わなければ、航空券の手配が必要だ。航空券の予約が変更できればいいが、ラオスから国際電話をかけて、予約変更の手続きがとれるか。変更できない航空券なら、買い直さないといけないが、そのカネはあるのか。安い航空券はどこで買うのか。インターネットで買う技術や知識はあるのか。同行者のために、自分がそういう作業をする気はあるのか、そういう能力はあるのか。そういうことを、「自分がやる」のではなく、「同行者がやってくれる」ことしか想像していない。助けてもらうことだけを考えるなら、旅行社が企画するツアーに参加した方がいい。
 こういうレポートを書いた学生に性別の違いはないが、老夫婦の夫のようなものかとも思った。何があっても、妻が自分の面倒を見てくれると夫は考えているが、自分は妻の介護をするかもしれないなどとみじんも考えていない思考回路と同じようなものか。

 秋は私の旅行シーズンだから、しばらく日本を離れます。いつものように、旅先からブログの更新をするといった芸当はしないので(できないので)、このブログは11月中旬ごろまでしばし休息となる。手持無沙汰の方は、バックナンバーをお読みください。読みでがありますよ。毎日2話分を読んでも、500日分もありますから。

2017-09-27

1042話 韓国食文化と血



 韓国食文化を扱うテレビ番組を見ていると、「あれ?」と疑問に思うことがある。料理の仕方が、常識を外れているのだ。料理の常識というのはそれぞれの民族や地域によって違うことはわかっているが、それでも大筋というのはだいたい決まっている。そう思っていたのだが、これは違った。「常識」という言葉に問題があるなら、「多数派」と言い換えてもいい。
 韓国の食堂で、仕込みのシーンを見た。牛肉料理だ。前夜、大きな肉の塊を大鍋に入れて、水を注ぐ。水量をわずかにして、朝まで流し続ける。肉の血を抜くためだ。翌朝、鍋の水を変えて、火にかける。沸騰したら、肉を取り出し、水洗いする。鍋の湯を捨てて、肉を戻して、水を注ぐ。ここから本格的に煮込むこともあるが、場合よってはまたゆでて、水洗いしてから煮込むことがあるようだ。「こういう作業をていねいにして、血抜きするのです」というナレーションが入る。血は抜けるが、味も抜けるだろうに・・・。
 中国料理でも、豚足を下茹でしてから、煮込むことはある。骨やその周辺についている血などを取るためだ。豚骨でスープをとる時も、一度さっとゆでて、肉についている血や体液やゴミなどをとる作業はある。水からゆでるとダシが出てしまうから、熱湯に入れてさっとゆでるのだが、韓国では水からゆでている。
肉をゆでて、そのゆで汁を捨ててしまうというのが沖縄の豚足料理、「あしてびち」だ。沖縄では汁のだしは通常昆布だ。ヤギ汁の場合は骨付き肉を水洗いして、下茹でしてから煮込む。肉を食べていながら、肉らしさを極力消そうとしているのだ。
 だから、韓国の場合も沖縄と同じように、血や肉の匂いを極力消そうとしているのだと解釈すると、とんでもない。韓国人は血の匂いも好きなのだ。だから、わからなくなるのだ。
 ソンジクックという料理がある。牛の血をプリン状に固めた汁だ。スンデという料理もある。モチ米、春雨、香味野菜にたっぷりの豚の血を混ぜて、腸に詰めたソーセージだ。血のソーセージは世界各地にあるのだが、血の匂いがきついから、多くの日本人は好きになれない。
 http://dilbelau.hamazo.tv/e2794828.html
 https://www.konest.com/contents/gourmet_guide_detail.html?sc=2044
 朝鮮の屠殺技術が低いので血抜きができていないからゆでて血を抜くのだとか、韓国人は血の匂いが嫌いだから、牛肉の塊から執拗に血を抜くという説が正しいならば、血を使った料理などあるはずはないのだから、私の理解を超えている。 
 日本には血のソーセージもないし、血を固めてレバーのようにした食品もない。日本のなかでは肉を食べる習慣が強かった沖縄でも、肉の臭気を嫌う。だから、日本人は血を捨てるのだろうと思っていた。ところが、そうでもないことを知った話を、このアジア雑語林の447話(2012.9)で書いている。その部分をちょっと引用する。

 先日、内容も確かめないまま、昔の番組を放送する「NHKアーカイブス」を見ていたら、その回は「きょうの料理」(1987年放送)の再放送だった。テーマは秋田きりたんぽ鍋。スタジオ収録ではなく、秋田の家庭に行って撮影している。
 比内鶏を使うのが、正式なきりたんぽ鍋なのだという。家庭では肉だけでなく、骨も肉と一緒にたたいて肉団子にして鍋に入れるそうだ。「ニワトリは、くちばしと鳴き声以外すべて食べる」というナレーションが流れた。「でも、羽根は食わないよなあ」と、チャチャを入れた。
 古い家できりたんぽ鍋を食べるシーン。40代後半と思われる主婦がしゃべりだす。
「昔は、トリの血も使ったね。血を丼に入れて置いて、固まったら鍋に入れて食べてました」。

 日本でも獣血を食べることはあったのだが、トリの血なんか大した量ではない。肉を食べることにまったく問題が無くなった現在でも、日本では血の料理はまだ表舞台に姿を見せない。
 東南アジアでは、どうか。タイには血を固めた食材もあるし、豚の生肉のみじん切りの血を混ぜた和え物もある。マレーシアではタイほど血は利用しなくなると思う。インドネシアでは、血の料理は少ないと思う。イスラム教世界では、血は不浄だから、獣血は捨てる。
 韓国では牛肉にしみ込んでいる血はひどく嫌うが、血の料理は食べる。豚の血は大好きという理屈がわからない。
 う〜む、わからん。
 世間には料理研究家は数多くいるが、食文化研究者となるとわずかしかいない。料理のアイデアは「クックパッド」などにあまたあるが、残念ながら「血と食事」といった問題を考える人はとても少ない。

追伸:友人の竹井恵美子さんから、「沖縄にチーイリチャーがありますよ」というメールをもらった。そうだ、沖縄に豚の血の料理があることを忘れていた。詳しくは、次の記事。
http://www.dee-okinawa.com/topics/2016/06/chi.html

2017-09-25

1041話 道路に名前を



 世に「2020年問題」と呼ばれるものがあるようで、ネット検索でも、さまざまな問題があるらしい。2020年東京オリンピックと異文化衝突の問題に限定すれば、世界の常識である「電車内の通話」が、日本の常識とぶつかるとどういうことになる。飲食店などの喫煙問題や、居酒屋などで料金を明示していない「お通し」問題とか、さまざまな異文化衝突があるだろう。
 私が旅行者となって、外国の街を散歩していて「日本は不便だ」とつくづく思うのは、日本には道路の名前がないことだ。
 旅先では、いつも地図を持って散歩をしている。自分が今どこにいるのかわからなくなったとき、交差点に建ち、四つ角の建物か街角の柱についている道路標識を探す。交差する道路の名前がわかれば、自分がいる場所がわかる。今もスマホを持たない私は、そうやって道を探す。
 日本の場合は、ところどころに住居表示がある。「港区〇〇町3丁目28」と表記されていても、その地図で目的地までの行き方を探すのは容易ではない。分厚い区分地図を手にしていないと探せない。道路脇に周辺の地図があれば少しはわかりやすい。地図を見ても、外国でのように、「A通りを右折して、D通りに入り、3本目の路地の奥か」と読もうとしても、道路名がない。番地なんか読んでも、3丁目の隣りが7丁目だったりするから、すぐにはわからない。
 「いまはスマホGPSを使えば、街で迷うことなんかないよ」というかもしれない。しかし、それでも通りの名前がないと不便だろう。試しにバンコクでもバルセロナでもいいから、「市内中心図」から道路名を消した地図を手にしてごらんなさい。デジタル地図に目的地のマークがついたとしても、それが何という道路沿いにあるのか分からないと歩きにくい。
 日本でも、道路に名前をつけるべきだ。すべての道路にいきなり名前をつけるのは大変な作業なので、まずは繁華街や主要道路に名前をつける。とりあえずは、国道や県道などにすでについている番号を表記する。それが正式名であってもいいが、なじめないので「昭和通り」のような通称をどんどんつけていく。道路名称委員会が独善的に命名し、反対が多かったものは後から改称すればいい。
 広島なら、カープの選手名をつけていけば、反対は少ないだろう。問題が起きるとすれば、選手の格と道路の格をどうバランスを取るかだ。広島市のことは市が決められることだから、どんどんやればよろしい。正式道路名ではなく、通称なんだから、いいじゃないか。大してカネのかかる作業ではないから、町おこしの運動として、「道路に命名運動」をやると、盛り上がると思うんだがなあ。かつての、ふるさと創生1億円事業は地方自治体がどれだけアイデアを出せるかという能力の競技でもあった。やたらに黄金固執した市町村があったり、温泉を掘ったりと、日本人の想像力と創造力を試す機会として興味深かった。同じように、町の道路に名前をつけるというのは、それぞれの自治体の教養や発想力が試される機会として、なかなかおもしろそうだ。世界の観光地の名前をつけるところや、キラキラ名をつけるところも登場するだろう。かつての「〇〇銀座」とか「原宿シャンゼリーゼ」なんて、恥ずかしい名も実際にある。地元の人たちが知恵を絞り、方言名にするとか、その土地ゆかりの漫画家小説家映画監督の作品にちなんだ名前をつけるかもしれない。そういうアイデアを見てみたい。

2017-09-20

1040話 夜にノクターン



 ジャズピアニストの名を多く知ってはいるが、その音を聞いたことがない人がいくらでもいる。何もわからずにCDショップに行くのは冒険が過ぎるので、Youtube(以下Yt)で下調べをする。こういうことを、もう何年も前からやっている。
 まずは、「JazzPiano」などと検索して、好きなピアニストが出てくるのを待った。こうして、名前だけは昔から知っているトミー・フラナガンやモンティー・アレキサンダーなどの演奏に出会い、想像通りの音だったことを確認して、店でCDを選んだ。
 ちなみに、ジャマイカ出身のモンティー・アレキサンダーはこういうピアノを弾く。
 https://www.youtube.com/watch?v=ApmNziTwU6g&list=RDApmNziTwU6g&t=5
 そういうYt遊びをしていて、ハンク・ジョーンズに出会った。もちろん名前は知っているが、演奏は知らない。ライブ音源もCDの音源もある。こんなCDがYtのリストにあった。
 “STEAL AWAY spirituals , hymns , and folk songs”
 知っている曲がある。これを聞いてみよう。ベースとのデュエットだ。
 “I feel like a motherless child”
 https://www.youtube.com/watch?v=quwM-5rL8Tk
 少年時代にラジオで聞いたことがある曲だ。私が聞いたのはオデッタだったかマヘリア・ジャクソンだったか。そのラジオ番組のDJは多分、ジャズ評論家大橋巨泉だったと思う。この歌をヒントに、寺山修司は「時には母のない子のように」を作詞して、カルメン・マキに歌わせた。
 https://www.youtube.com/watch?v=hohnr22zTxc&list=RDhohnr22zTxc&t=6
 https://www.youtube.com/watch?v=uHCxfTtUrXE
 CDタイトルの”steal away”とは、”Steal away (to Jesus)”という有名なゴスペルからとった。「そっとイエス様の元に逃れて行こう」という意味だ。
ハンク・ジョーンズピアノもいいが、チャーリー・ヘイデンのベースもいい。いままでベースをじっくり聞いたことがないから、ベーシストの名は何人も知っていても、気にかけたことがなかった。
このCDが気に入った。Ytでかなり聞けるのだが、CDを買うことにした。
ハンク・ジョーンズチャーリー・ヘイデンのデュエットはもう1枚出ていることも知り、それも買った。
 “Come Sunday”
 https://www.youtube.com/watch?v=X8txK8lmzX0
 Ytには、ハンク・ジョーンズのものはあまり多くないが、チャーリー・ヘイデンの演奏はいくらでも見つかる。生まれて初めて、ベーシストを頼りにCD探しをすることになった。そして、その後次々に買うこととなった。
ギターとベースのデュエットなんか退屈で、CD1枚なんか聞いていられないと思っていたのだが、パット・メセニーとのこのデュエットはすばらしい。これはかなり売れたCDなのだと後から知った。
 Missouri Sky(ミズリーの空)
 https://www.youtube.com/watch?v=v98zJfn0Y4g&list=RDfDABaYQ7Ag0&index=6
私が嫌悪しているニューエイジ音楽に近いところにある音だが、夜に聞く音楽としては悪くない。
 そして、このCDと出会った。チャーリー・ヘイデンリーダーアルバムだ。
 Charlie Haden “Nocturne”
 Ytでこういう曲を聴くことができるが、もちろんCDを買った。
 https://www.youtube.com/watch?v=OujUQvCeaOo
 https://www.youtube.com/watch?v=q0RM61ex3C0
 ラテンの曲を集めたアルバムだ。キューバ出身のピアニスト、ゴンザロ・ルバルカバはテレビでライブ演奏を見た時は、テクニックを誇示するような演奏でつまらないと思ったが、このアルバムでは控えめでいい。泣かせるバイオリンザックスは、一歩それると臭くなるのだが、臭くなってもいいじゃないかと思えてくる。ラテン音楽が、日本の歌謡曲の源流のひとつだとよくわかる演奏だ。
 昼間は豪快なジャズR&Bアフリカ音楽などを聞いているが、夜になると、過ぎ去った時間や訪れたことがある場所や、この世界から去っていった友人知人家族などのことを思い出し、コーヒーを飲みながら茫然と音楽を聞いている。スコールの雨宿りをした市場、一面のオリーブの林のアンダルシア、マレー鉄道夜行列車、ナイルの川下りの船、北スーダンの砂漠、ノミや南京虫だらけの安宿で出会った旅人たち、しばらく一緒に旅した人たちとの雑談、ケニアモンバサの暗い宿、それから満天の星や・・・・。
 そういう時間を過ごすのにこのアルバムはふさわしい。ノクターンラテン語の夜noxが元になっている語で、「夜に」が元の意味だ。だから夜想曲という日本語訳がついた。notte(イタリア語)、noche(スペイン語)、noite(ポルトガル語)、そしてnight。

2017-09-17

1039話 CDのダンボール箱セール



 本は、新刊書店であれ古本屋であれ、書店よりもネット古書店で買う方が多くなったが、CDは多分半々くらいだろうか。ブックオフは、本は108円からあるのだが、CDは割高でしかも私好みのジャズワールドミュージックなどのジャンルの品揃え著しく貧弱なので、CDを漁るのはもっぱらディスクユニオンだ。新宿御茶ノ水に何店舗もあるので、酒飲みがはしご酒をするように、店から店へとCD散歩をする。
 よく行くのが、御茶ノ水なら、御茶ノ水駅前店と「ディスクユニオンJAZZ TOKYO」(明治大学のすぐそば)の2店だ。つい先日、御茶ノ水駅前店に行ったら、ジャズCDのダンボール箱セールをやっていた。ダンボール箱に入れて安売りをしているのでそう呼んでいるだけで、正式名称はないと思う。かつては1枚100円のセールはあったが、今は数百円だ。先日のセールは、ジャズのCDに200〜500円の値段がついていた。私は値段で選んだわけではないが、200円と300円のCDを5枚買った。ワールドミュージックなら、対象が世界で、しかも情報がまったくない音楽が多いので、「ええい、買ってしまえ。聞かなきゃわからん」とばかりに、1度に数十枚でも買ってしまう。福袋的な楽しみがあるからだ。ジャズの場合はある程度は予想がつく音楽だから、熟考して決める。
 先日買ったのは、次の5枚だ。
 Sonny Rollins “Way out West”
 よく見るジャケットで、有名なCDだが、聞いたことがないので購入。テナーサックス、ベース、ドラムスのトリオで、いつものように豪快。
 Keith Jarrett、Gary Peacock、Jack DeJohnetteThe Cure
まあ、いつものキース・ジャレット。嫌いじゃないが、特に好きでもない。当たり前と言われそうだが。1975年に聞いた「ケルン・コンサート」の衝撃以上のCDはない。1000円だったら買わないな。
 Junior Mance Trio featuring Alvin Queen “Funky Carnival”
 ジュニア・マンスが見つかる幸せ。私はブルースR&Bに近いジャズが好きで、ボビー・ティモンズ、ジョン・ライト、ラムゼイ・ルイスなどのピアニストがとくに好きだから、こういう音楽はすぐ買う。YoutubeでこのCDの音源は見つからないが、こういうクサイ(いい意味で)ピアノを弾く。
 https://www.youtube.com/watch?v=NbxAIeKdJfg
 https://www.youtube.com/watch?v=Ym6uyJL8kVQ&list=RDEM78Qiua3yUq5EinIecW8TAw&index=5
 ジュニア・マンスのすぐそばにあったのが、次のコンピレーション(寄せ集め)。
 “Touch His Soul Jazz&Funk Recommended”
帯には「70年代のポップヒット曲でなごんでいただきます」と書いているように、おなじみのヒット曲のソウルバージョンカバーである。まあ、本を読んでいるときのBGMとしては有効。定価3000円が200円ならいい買い物だった。
 http://diskunion.net/black/ct/detail/XAT-1245298713
 最後は、ユーチューブで聞いているが、買いたいと思っていたCDが300円だった。
 Tony Bennett & Lady Gaga “Cheek to cheek”
じつは、トニー・ベネットは、フランク・シナトラやデーン・マーチンなどと並んで嫌いな歌手だった。ラスベガスが似合う歌手が苦手だったのだ。金ラメのジャケットを着た大物歌手のショーが嫌いだったのだが、初めてちゃんと聞いて、老境に入ったトニー・ベネットは「悪くない」と思わせてくれたのが、エイミー・ワインハウスとのデュエットであり、
 https://www.youtube.com/watch?v=_OFMkCeP6ok
 そして、レディ・ガガとのこのアルバムだ。このデュエットで、トニー・ベネットを再び見直すようになり、名は知っていてもまともに歌を聞いたことがなかったレディ・ガガの魅力を気づかせてくれることにもなった。
 https://www.youtube.com/watch?v=ZPAmDULCVrU
 https://www.youtube.com/watch?v=zd-PtmdwJK0
 トニー・ベネットとはからんでいないが、レディ・ガガのこんな歌声も紹介したくなった。
 https://www.youtube.com/watch?v=Dj7stWQ4_MA&list=RDDj7stWQ4_MA
 https://www.youtube.com/watch?v=ISOBK0Zhrjw&list=RDDj7stWQ4_MA&index=3
 https://www.youtube.com/watch?v=JxcFcKvjZCk
 こういうのを楽しんでいるので、Youtube中毒になってしまうのだ。