829話 机の上の本の山 その2


 ブックオフで買った『世界の果てまでイッテ食う』ぶんか社、2015)は、流水りんこヤマザキマリら漫画家17人が描く世界の食べ物アンソロジー。いわゆるコンビニまんが。活字の本に疲れたら読もうと思って買ったのだが、まだ読む機会がない。
『英語教師 夏目漱石川島幸希、新潮選書、2000)は、漱石の教師ぶりを知りたくて買ったのではなく、漱石の学生時代の教育に興味があったからだ。私は漱石をまったく読んでいない。経歴も作品もよく知らない。それでも、イギリスに留学していたことは知っているし、帰国後英語教師になったのも知っている。
 明治の初めから、断続的に小学校でも英語教育が行われたらしい。もちろん、一部の小学校だ。漱石は、明治12(1879)年に小学校を終えて、東京府第一中学校に入学するが、それ以前もそれ以後も、英語は学んではいないらしい。この中学を退学し、二松学舎編入したあたりのことはよくわからないようだ。16歳のときに、駿河台の予備校に入学した。ここで本格的に英語を学び始めたらしい。この予備校から、大学予備門(のちの第一高等学校)に入り、明治23(1890)年、帝国大学英文学科に入学した。京都帝国大学が創立されるのは1897年だから、それ以前は日本には大学はひとつしかない。だから、当時の正式な名称は「東京帝国大学」ではなく、ただの「帝国大学」である。通称は「大学」だったらしい。日本に大学はひとつしかないのだから、「大学」でもいいわけだ。もちろん私立大学もまだない。
 そういう時代の大学では、外国人教師が外国語で授業をして、学生はその外国語で、ノートを取り、質問をして、論文を書いた。漱石が留学から帰り、教師になった明治後期には、日本人の教師が日本語で授業をやることもあり、学生の外国語力は一気に下降していったのである。その辺りの事情を知りたくて買った本だ。
 『編集狂時代』松田哲夫新潮文庫、2004)は手元にあるから買ったのは確かだが、読んだ記憶がない。読んだが忘れたのか、まだ読んでいないのか、記憶が一切ない。
 『江戸あじわい図譜』(高橋幹夫、ちくま文庫、2003)は、江戸時代の食べ物を、当時の絵とともに紹介したコラムだ。同じ著者の『江戸あきない図譜』も好きな本だ。「読む」というより「眺める」に近い本で、いつも目の届くところに置いておきたくなる。この手の本や、同じくちくま文庫の落語の本などを年に10冊ほど買い、のんびりと過ごす老人らしい読書生活を楽しみたいとは思うのだが、我が「知りたがり病」のせいで、やたらに本を買い込むことになっている。
 『屋上の黄色いテント』椎名誠+ロール・デュファイ、柏艪舎、2010)に関しては、すでにこの雑語林の615話で紹介している。http://d.hatena.ne.jp/maekawa_kenichi/20140725/1406300134
 もう用はないのだが、捨てる気にはなれず、かといって再読することはほとんど考えられず、何かの参考文献になる可能性も低く、「さて、と・・」と思うまま、いつまでも机に乗っていた。偶然だが、その近くに積んであったのが、同じく椎名誠『奇食珍食糞便録』集英社新書、2015)。私のふたつの関心分、食べる話と出す話の両方のエッセイだ。新聞の連載をまとめたものだが、ほとんど読んだことがある話なので新鮮味もないし、新聞原稿だから掘り下げた話にはならないのはわかっていて、買った。疲れた時の読書用だ。椎名誠の「出す話」といえば、名著『ロシアにおけるニタリノフの便座について』(1987)がある。シベリアで便座のない便器に困り、取材班のひとりが便座を作ったという筋の本だが、その取材中、長期間同行した通訳が米原万里だったことを、同じく椎名誠『寝ころび読書の旅に出た』ちくま文庫、2015)で知った。すでにどこかで読んだが忘れたのか、それを今まで知らなかったのか、自分のことながら不明。それはともかく、発泡スチロール製のあの便座を、米原真理も使っていたのだろうか。
 便所関連書では、『世界のしゃがみ方 和式/洋式トイレの謎を探る』ヨコタ村上孝之平凡社新書、2015)がある。著者の姓は、日系アメリカ人と結婚した時に作った姓で、日本でも正式に認められているらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B3%E3%82%BF%E6%9D%91%E4%B8%8A%E5%AD%9D%E4%B9%8B
 この本、取り立てて新鮮味はない。もはや私はこの分野のすれっからしだから、並みの資料や視点では、感心はしない。よし、次回は便器の話をしよう。