1001話 大阪散歩 2017年春 第40回

 賀名生へ行く その7


 くねくねとした山道を登っていく。「この先に、尾野真千子さんの実家があります」
 さえちゃんの説明を耳にしているうちに、道路脇に「尾野」「称名寺」などという表示が見えた。そこで車を止めて、坂をあがる。両側は、杉の森だ。右手に福寿草自生地の看板が出ているのだが、ぽつんぽつんと何株かあるだけだ。「盗んでいく人が多くて、どんどん減っているんです。こっちが尾野さんの実家で・・・、ああお母さんが・・」といってさえちゃんが尾野家に近づき、「こんにちは」と挨拶をしている間に、私たちも庭に招き入れられた。「尾野真千子実家観光」という人が少なからずいるようで、お母さんはその対応をするのが日課になっているようだ。
 庭から見えるのは山と谷だ。「下の道路が舗装されたのは、だいぶ前からですか」とお母さんに聞くと、「ええ、すっと前からです。真千子が小学生のときには、すでにこういう道でした」
 舗装されたのはいいとしても、坂の勾配はどうにもならない。「小学校にも、ちゃんと歩いて通ってましたよ」という。下り坂を歩く登校時はいいが、帰りはつらい。寂しく、疲れる道だ。こういう山道で、尾野真千子は鍛えられた。元郵便局長のちかしちゃんは、俳優として目が出る前の娘のために、せっせと仕送りしていたこの母の姿に記憶があるといこういう杉の木立のなかの坂を上っていくと・・・
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 景色が開けてまばらに福寿草が見えてくる。


 
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 家から見えるものは、こういう山々である。

 平地に降りて川沿いを走っていると、「ちょっと寄りたいところがある」とたえちゃんが言った。小学生時代からの友だちの家がこの付近にあり、久しく会っていないので、顔を見せたいという。
 車は店の前で止まり、さえちゃんが中に入り、そこの女主人を連れてきた。たえちゃんは車から降りるのがつらいようだ。「こちら、小学校のときの同級生のけんちゃん。覚えているかなあ」といい、店主は「覚えている」と言ったが、私は彼女の名前も顔も記憶にない。彼女だって、本当は覚えていないだろう。
 もし、あのまま私が賀名生に住んでいたら、その後の人生がどうなったかなどと考えることがある。あの当時、もし高校に行くなら五條高校か御所高校くらいしかなく、そこを卒業したら、進学であれ就職であれ、村を出る。村にほとんど仕事はない。私は都会で暮らし、賀名生で暮らす年老いた両親を心配する中年になり・・・・ということだろう。たとえ村に仕事があったとしても、この退屈さと人間関係の濃密さに耐えられないだろう。私のように勝手気ままに暮らしたいという者は、こういう小さな村では生きにくい。村は美しき田園のままであればいい。住む場所ではない。10年か20年に一度訪れればいい訪問地だ。
 辻内家に戻り、お茶を頂き、帰る準備をした。たえちゃんとさえちゃんは、しっかり抱き合い、別れを告げた。お互いに、それが最後の時間になるかもしれないという予感がある。
 帰りの車では、さすがにたえちゃんは疲れたらしい。口調は弱かったが、いろいろしゃべった。この「大阪散歩」でも書いた、大阪のカツ丼の話などもした。
 娘の愛ちゃんにふたつのことを頼んだ。今日撮影した写真を、私の自宅のパソコンに転送してもらうこと、そしてもうひとつは、明日から入院する病院の住所を私のケイタイに送ってほしいということ。このことを頼んで、朝、車に乗った大阪昭和町の同じ場所で車を降りた。もうすっかり夜だった。朝と同じように、新今宮まで歩いた。長い一日だった。