本多静六自伝 体験八十五年

本多静六自伝 体験八十五年


先日、古本屋に要らない本を売りに行ってきました。
来月には引越しをしなきゃならないので、今のうちにできることをやっとこうと思って。


売った本のお金で、本多静六の「本多静六自伝 体験八十五年」
買ってしまいました。


まだ途中ですが読んだ感想は、
いやはや昔の人というのは偉いなぁ。ものすごい努力家ですね。


いやまぁ、昔の人がみな著者のように超努力家だったとは思いませんが、少なくとも如何に生きるべきかということを知っていたような気がします。


この本の中で、著者が子供のころ曾祖母と一緒に歌っていたという歌の件があります。


「父母の御恩の深き御恵みを、寝ても覚めても忘れるなよ
 まず朝起きて身をきよめ、元の母父おがみつつ
 親の仰せをそむきなく、手習いぬい針精出して
 その身その身に備わりし、家のつとめを怠らで
 夫婦仲よく睦まじく、兄を敬い弟を、憐れむ心深ければ、友と交わり誠あり
 世のよしあしを振りすてて、われさえ勤め行くならば
 天の冥加にかないつつ、子孫も栄ゆくことわりを
 幼な心に忘れなく、生い立ちたまへ御子達よ御子達よ。」


昔の人はこういう風にして育ってきたんですね。



今の時代に生きる自分はなにか根無し草のような感じがしています。とりあえず生きていくにはそんなに困らない時代だからでしょうか?


一方、つい数十年前までは、人は如何に死ぬべきかをを求められた時代もありました。


学徒出陣した特攻隊の手記などを集めた「きけわだつみのこえ」を読んでいると、彼らなりに戦争を考え、疑問を感じながらも、信念に沿って行動していたのが分かります。その深い見識にとても僕と同じ年頃の学生だとは思えません。


生きがいや死にがいは社会通念によって作られる虚構であり、そこに意味はないと、「Simple -憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記」さんの「死にがいの喪失」という興味深いエントリーで述べられています。


ですが、生きがいであれ、死にがいであれ、なにかしらそこに信念を持つ人間は強いと思います。僕が出会ってきた大成した人たちは、学問であれ武道であれ、その人それぞれの強い信念を持っていました。
その人たちが自分の信念を語るときは、迷いがなく、そのためとても魅力的に見えたのでした。


数学や英語といった勉強も大事ですが、自分の芯となる部分を教えてくれる道徳はもっと大事だと思います。


道徳のように社会的に伝えられてきた美徳もあれば、生きているうちに見出す信念もあるでしょう。


そのどちらも未だ不透明な僕は、まだまだ子供なのだなと思いました。

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