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2010-01-13 原因は、tumblr

タンブラーの感性・コラージュ化の果て

|  タンブラーの感性・コラージュ化の果てを含むブックマーク

買ったばかりのiPhoneを移動中ずっと触ってるのも、原因はTumblr

買ったばかりのiPhoneについてを、ブログで書くことができていないのも、原因はTumblr

なんにも生産してないのに、なんとなく表現欲が満たされ(麻痺され)てしまうのも、原因はTumblr

あの思いついたらすぐ呟けるTwitterでさえ、すこし億劫だなあと感じてしまうのも、原因はTumblr

そして、「インターネット楽しいなあ」って心底感じてしまったのも、原因はTumblr


* ニシカワのTumblr

http://magoshin.tumblr.com/


いよいよもって「雑誌」の終焉する時代、その新たな段階の一端を垣間見たのも、Tumblr

ウェブ上のコンテンツについて「著作権」を匂わせることがいよいよ無意味化してきたように感じるのもTumblr

「複製すること」と「編集すること」が、いよいよ「その人そのもの」を表象する時代に移行してきた様を見られるのもTumblr

個人から「言葉」という記号の機能を奪い、メッセージという文脈を用いずに、それでいてこれまで以上に特徴的に「個人」を浮かび上がらせてしまう、ソーシャルブックマークブログ・断片・吹きだまりサービスTumblr


* Tumblr in real time

http://www.tumblr.com/popular



Twitterがその人の思考の流れであったり、ライフログ的なものならば、Tumblrネットサーフィンをした軌跡そのものだ。Twitterには様々なコミュニケーションの可能性や、そこから派生する世界の広がりが感じられるが、Tumblrには、インターネットという構造フラット性そのものを、とにかくただ提示する機能しかない。


ネット上のあらゆるところから拾ってきた、「画像のやりとり」と「引用のやりとり」。フォローとフォロワーの間には、友達になりましょう、も、宜しくお願いします、も無く、あるのはそのコンテンツ未満の断片のみ。その断片はときに、コンテンツ元の作者の意図さえも切り取られた形のまま、Tumblr上で都合のよいサイズとなって、ユーザーからユーザーへ、大玉転がしのように流れていく。広まっていくことでその断片に肉付きがされるわけでもなく、新たな展開・物語が生まれるでもなく、ただ断片として、人伝いに流れていく。

 

Tumblrは、その個人のネットの軌跡、と同時に、そのコンテンツの断片が辿った軌跡をも、どんどん溜め込んでいく。溜め込んでどうするのかといえば、ただとにかく溜め込む、ひたすらに。

溜め込まれたものが視覚化されていると、まるで自分のものになったようで、気持ちがよい。誰かが書き、誰かが作ったものなのに、まるでまるまる吸収できて、刺激を受けて、その引用を済ませた次の瞬間から、新しい自分になっているような気さえする。インターネットフラット構造にどっぷり浸かりながら、断片をかき集めることで新たな自分を再構築しているかのよう。


「何を思うか」が自分を表すと思うならば、ブログTwitterで発言すればいい。

Tumblrでは「何を好きか」が自分を表す。


Tumblrは、個人の思念を殺す。ブログでありながら、個人の発話と距離を置く。そして、その人の中で渦巻く、言葉にならない、ちょっとやそっとじゃ浮き沈み出来ない「感性」を前面に引き出す。ネット上のテキスト引用であっても、そこにはそのテキストに触れて感動したその人の感性が在る。その時に、その人が現実にどういう状況に置かれ、何を書こうとしていたかは、関係が無い。その人がそのテキストにその時出会いその感性共鳴した、という現象そのもののみを、Tumblrは淡泊に映し出す。

その、ただ「好き(Like)」という曖昧かつ唯一絶対の不可侵な基準で、誰かと、誰かが、無言で繋がってゆく。


そこには「荒れる」ことも「絶賛」されることも無い、淡々とした無機質な「うなずき」のような共感の連鎖があり、Tumblrはそれを視覚化しているだけ。

だが、その視覚化をやり遂げ、さらに個人の自意識表現欲みたいなものに囁きかけるような仕組みを構想したことには、僕はこの僻地ブログから、静かな賞賛を送りたい。

 

しかし、自分の持つブログは、結局自分のためでしかないのだ、という事実も、Tumblrは突きつける。なぜなら、誰かをフォローに追加するとき、まるでその相手である個人を、「好きそうな断片を運んできてくれる断片」としてしか見ていない自分が居るからだ。一階層上のメタ断片、つまりフォルダのようにしか。趣味の合うフォルダを結局は集めているに過ぎない。個人さえも、ある個人にとっては溜め込みの対象だ。文章も、画像も、人も、全てがフラットに、Tumblr内で循環し、吹きだまってゆく。


なんのために?


Tumblrは、世間の諸処に左右され見失いがちな自分の本来的な価値観を思い出す墓標として、機能できるかもしれない。新しい何かを生み出すアイデアの芽として、広大な刺激と偶然のフィールドとして闊歩できるかもしれない。自分が「物を言わない動物化」していく様の記録になり、やがて断片の一部として漂い続けるネットの海の藻屑になるかもしれない。


それもまた使い方次第だ。

僕は、限られた時間の中で、多くのサービスの楽しみを吸収して、それでいて全てに相対的な視点をもっていたい。

そのための、iPhoneだ、とも言える、かもしれない、的な、何か。


 

<次のテーマは、Tumblrインターネットミュージックビデオ化する!?です>

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