magoza6412の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-02-04 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

国立銀行について



時の大蔵少輔・伊藤博文のもとで制度が創られた。アメリカnational bank(現在では国法銀行と訳すことが多い)の直訳で、国家が設立した銀行ではなく、渋沢栄一三井組などの民間資本が設立したものである。金貨との交換義務を持つ兌換紙幣の発行権を持ち、当初は第一から第五の4行(当時、第三は欠番)が設立された。

1876年、不換紙幣の発行も認められるようになると急増し、1879年までに153の国立銀行が開設された(これ以降は設立許可は認められなかった)。

銀行は設立順に番号を名乗っており、これを「ナンバー銀行」と呼ぶこともある。これらのナンバー銀行は現存する物もあるが、現在存在する八十二銀行だけは第十九銀行六十三銀行合併し、両者の数字の和を取って名付けられた銀行(82=19+63)。

1882年明治15年)に日本銀行が開設されると、国立銀行民営化普通銀行になり、紙幣発行も日本銀行のみが行うようになった(旧国立銀行の紙幣は暫くの間は流通していた)。










ナンバー銀行リスト完成】

1)No1〜No30 東京第一銀行東京第三十銀行

http://www.dik.co.jp/seken/GOGEN/no1.html

2)No31〜No60 若松第三十一銀行東京第六十銀行

http://www.dik.co.jp/seken/GOGEN/No2.html

3)No61〜No90 久留米第六十一銀行盛岡第九十銀行

http://www.dik.co.jp/seken/GOGEN/No3.html

4)No91〜No120 福井第九十一銀行古河第百二十銀行

5)No121〜No153 大阪第百二十一銀行京都第百五十三銀行





岡山関係で 第二十二銀行は 富士銀行

高梁に出来た第八十六銀行は 中国銀行になっていました





今頃 政府発行の紙幣が話題になっています

日本銀行発行の紙幣とは違って 利子は付かないそうで いくらでも発行して良いそうですが 渡辺行革大臣が 私が言い出したと言っていました










渋沢栄一

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徳川慶喜に仕え幕臣になりさらに明治では大蔵官僚になる

京都に向かい、一橋家家臣の平岡円四郎の推薦により一橋慶喜に仕えることになる。仕官中は一橋家領内を巡回し、農兵の募集に携わる。

主君の慶喜将軍となったのに伴い、幕臣となり、パリで行われる万国博覧会将軍の名代として出席する慶喜の弟徳川昭武の随員として、フランスを訪れる。パリ万博を視察したほか、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行する。

パリ万博ヨーロッパ各国訪問を終えた後、昭武はパリ留学するものの、大政奉還に伴い、慶応3年1867年)に新政府から帰国を命じられ、12月に帰国した。



帰国後は静岡謹慎していた慶喜と面会し、静岡藩に出仕することを命じられる。しかし、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため、仕官を断り慶応4年1868年1月静岡にて商法会所を設立するが、大隈重信に説得され、10月大蔵省に入省する。大蔵官僚として民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省事実上統合されていた)を率いて改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし、予算編成を巡って、大久保利通大隈重信と対立し、明治6年(1873年)に井上馨と共に退官した。

退官後間もなく、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任し、以後は実業界に身を置く。また、第一国立銀行だけでなく、七十七国立銀行など多くの地方銀行設立を指導した。

第一国立銀行のほか、東京ガス東京海上火災保険王子製紙秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル秩父鉄道京阪電気鉄道日本郵船東京証券取引所キリンビールサッポロビールなど、多種多様企業の設立に関わり、その数は500以上とされている。


また学校関係の設立にも関係して

  当時は商人高等教育はいらないという考え方が支配的だったが、商業教育にも力を入れ商法講習所(現一橋大学)、大倉喜八郎との関係で大倉商業学校(現東京経済大学)の設立に協力したほか、創立者大隈重信との関係で早稲田大学、創立者三島中洲との親交で二松学舎(現二松学舎大学)、野田(大塊)卯太郎との誼で学校法人国士舘(創立者・柴田徳次郎)、井上馨に乞われ同志社大学(創立者・新島襄)の寄付金の取り纏めに関わった。また、商人同様に教育は不要であるとされていた女子の教育の必要性を考え、伊藤博文勝海舟らと女子教育奨励会を設立、成瀬仁蔵らとともに日本女子大学校、伊藤博文との関係で東京女学館の設立に携わった


彼はノーベル平和賞の候補にもなったそうですが 三井高福・岩崎弥太郎安田善次郎住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などと違って財閥を作らずにただ公のために働いた?





レベルでは渋沢栄一ですが 岡山ではさしずめ杉山岩三郎に相当するかも