爆睡というか昏睡〜オペラのこと〜

オペラ 「ナブッコ」 を観た。

Y子さんがチケットをもらったというので、一緒に新国立劇場へ。


なかなか観ることのないオペラ。
フィガロの結婚や椿姫などのメジャー作品の原作は読んではいるがオペラ観たことがない。
観たいと思ったことはあるが、まず値段がやたら高い。
そして当然、何をどう歌っているのかわからない。
芝居を観るのか、音楽を聴くのか、どうしたらいいかわからない。
それが私の中のオペラだ。


今回の演目はヴェルディナブッコ
新発売のお菓子みたいな名前だ。
ヴェルディ生誕200年らしい。アイーダや椿姫の名前を聞いたことある人は多いはずだが、
このナブッコはどうだろう。私は知らなかった。


さて、実際の内容はというと…よくわからない。
実力派のオペラ歌手が集結し、斬新なセットと演出で期待の高まっているものらしかったのだが、
寝ちゃった。
”てへ” である。
開始早々にコックリ、コックリ。
驚くことに休憩をはさんでも寝るという。
チケットを自腹で払っていたら、もう泣くに泣けない状態だ。


というわけで感想を書けるほど記憶がない。
そして、今後もオペラを起き続けて観る自信はない。
が、機会があればまた観たい。椿姫はいつか本当に観たいと思っているのである。。。

ライトではない〜十二国記のこと〜

小野不由美 著 「月の影 影の海 下」 を読んだ。


受難の日々を続け、ついに倒れる陽子の前にネズミに近い半人半獣の楽俊(らくしゅん)が現れる。
人間不信の陽子の心を少しずつ氷解し、一緒に旅する中で陽子は人間的に成長していく。
さらに陽子自身にとって運命を大きく帰る事実が判明し、大きな決断を迫られることになる。


この過酷さ、運命に翻弄されっぷり、ライトノベルというには重すぎる。
細部にまでこだわった世界感にぐいぐい引き込まれる。


ファンタジーではあるが、そこで描かれていることは人間。
個人、そして社会的な意味での人間だ。
十代の感受性の強い子が読めば、大きく影響されると思う。
古典文学ばかりが人を動かすわけではない。


このシリーズが長く愛されている理由がわかった気がした。
私もこの少しずつだがこの世界に触れ続けてみようと思う。

月の影  影の海 (下) 十二国記 1 (新潮文庫)

月の影 影の海 (下) 十二国記 1 (新潮文庫)

濃厚な生〜牧野邦夫のこと〜

牧野邦夫−写実の精髄」展 に行って来た。


戦後の画壇において、時代や思想の流れに全く影響されず、自分の世界を描き続けた男、牧野邦夫
写実的なのに、その世界は幻想。


レンブラントに傾倒し、自画像を多く描いているのだが、自分の姿をただ描いているわけではない。
甲冑を来ていたり、精霊のようなものが見え隠れしていたり。
ファンタジックだが決して軽いものではない、重くて暗くて、クラクラしてしまうほどだった。


若かりし頃の黒柳徹子肖像画を頼んだこともあるのだが、ネットで探して見てもらいたい。
もはや人間とは思えない。。魔女、魔女である。


何を目指して描き続けたのか、美に、そして己の精神世界に真摯に立ち向かい続けた姿勢が伝わってきた。
その愚直な生き方に私は憧れと畏怖を感じたわけである。
私には到底真似できない。


濃厚な生がうずまく作品世界を覗いてみてはどうだろうか。

とにかく聞くべし〜LIFEのこと〜

鈴木謙介、長谷川裕、 Life Crew 著 「文化系トークラジオ Life のやり方」 を読んだ。


TBSラジオで隔月で一回のみ日曜の深夜の放送休止枠で放送する番組「LIFE
社会学者の鈴木謙介をメインパーソナリティに毎回テーマを決めて、様々な人が集まり、徹底的に語る番組だ。


若手論客ブームと言われる昨今。津田大介古市憲寿宇野常寛速水健朗常見陽平、、
彼らはここから始まったと言っても過言ではないと思う。


アカデミックな視点からサブカル的視点まで様々なアプローチで一つのテーマについて話し合うのだが、
そのテーマも毎回面白いのだ。
たとえば、「信じる論理、信じさせる倫理」、「夜遊びのゆくえ」、「ソーシャル時代の"世間"考」
学者、編集者、作家、など出演者も様々で、聞いていて本当に面白い。
私にとっては貴重な情報ソースであり、考えるきっかけになっている。


そんな番組がいかにして作られていったかを紹介している本。
番組の討論の様子も文字に起こしているので雰囲気がつかめると思う。
正直、聞いた方が早いのだが。。。


リスナーとしては、もっと出演者のインタビューなどを載せてほしかった。
毎月から隔月になってしまったのだが、今後も聞いていきたいと思う。
ポッドキャストでも配信されているので、興味をもったら是非。

文化系トークラジオ Life のやり方

文化系トークラジオ Life のやり方

怖いモノ見たさ〜魔性の女のこと〜

「”魔性の女”挿絵」展に行って来た。

弥生美術館の企画展。
明治末期から昭和初期にかけて刊行された日本文学における、
魔性の女の挿絵を集めたもの。


私の大好きな谷崎や乱歩の世界には魔性の女がつきものである。
ビアズリーの影響が多分に垣間見えるものが多いが、
男には潜在的に魔性の女に魅かれる何かがあるのではないだろうか。


現代において魔性の女というのはなかなか成立しにくいように思う。
やはり近代の社会性があってこその魔性なのである。
つまり、現代では魔性の女の素質のある人は自立していってしまう。
だが近代ではそこまでは社会が許さないので、男を現代よりも一層強く振り回す必要があったわけだ。


あまり熱く語ると気持ち悪いのでやめておこう。
メジャーな美術館でもない上に、ややマニアックな企画。
それなのにお客の多さに驚いた。それも男女問わず。


見てはいけない世界を見る気持ちで行ってほしい企画展である。

情動〜フランシス・ベーコンのこと〜

フランシス・ベーコン展」 に行って来た。


ピカソと並んで評される20世紀を代表する画家。
少し前に30億以上の価格で落札されて話題になった。
ちなみに90億ついた作品もある。。



初めてベーコンの作品を認識したのは、二十歳そこそこの頃だと思う。
予備知識もなく触れた作品は衝撃的だった。
性的な暴力性を感じるような恐怖感。だけど美しい。
――やばい。
と直感的に思った。


没後アジア初となる今回の回顧展、これほど大規模なものは生きているうちに無いかもしれない。
今回はベーコン自身の生い立ちなどを予習し、がっつり見てやろうと意気込んだ。
ハードゲイでマゾというかなりハードコアな特徴があり、それゆえに人生もすごいことになっている。。。


知れば知るほど怖くなるベーコン。いろんな意味でビビりながら会場に足を運んだ。
結論からいうと、素晴らしかった。本当に素晴らしかった。
情動、という言葉が一番しっくりくる。
暗く、時にグロテスクで、断続的な作品の数々。
だが切実な生の運動がある。


恐らく、孤独な人間が見たら究極の選択を突きつけられるかもしれない。
生きるか死ぬか。
それほどまでに作品の持つ力が圧倒的だった。


私などは時期がズレていたら、変なことになってたかもしれない。
べっとりと精神にペンキを塗られたような気持になったが、
この気持ちは大事にしたいと思った。


そして、美術は素晴らしいとあらためて思ったわけである。

戦える強さはあるか〜差別のこと〜

野中 広務、辛 淑玉 著 「差別と日本人」 を読んだ。


部落出身者であり、戦争体験者でもあった政治家、野中広務
在日としてのアイデンティティを保ちながら、民族、フェミニズムの視点から人権を訴え続ける辛淑玉
そんな2人が日本が抱える人権問題について対談したもの。


部落問題やハンセン病患者の隔離問題などは言葉は知っていても実感としてはわからない。
人種差別も周囲に外国籍の人がいなければ理解しがたいものもあるだろう。
差別というのは、当事者にならないとどうしても考えにくいものだと思う。


だが間違いなく差別する人がいて、される人がいる。
日本人だけではない、人間の本質として他者との差異を見つけ、区別することをしてしまう。
それは概ね自分の位置を確認するため、次に享楽として、だと思う。
利己的な感情だ。


この作品では2人が実際に受けた差別とそのことにどう向き合ってきたか、喧々諤々語っている。
知らなかったこともあったし、自分なりに裏を取るべき内容もあったが、とても勉強になった。


単純にいじめと同じで、見て見ぬふりをしたら同罪なのだ。
米軍基地に揺れる沖縄、原発で悩む福島、そういった土地に暮らす人々に対して、
しょうがない、で済ますことはもう差別と言っていいのかもしれない。


愛国心というのは土地に根付いたものだと思うが、
私自身のエリアが狭すぎると痛感した。
自宅から、町内会、区、東京都、関東、日本全土と自分のいるエリアを想像しないといけないようだ。


とはいえ当事者意識を持つというのは、言うは易し、である。
さらに自分の中に垣間見える差別意識にヒリヒリしたりもする。
とりあえず、差別の現場に自分がいた場合。
マイノリティの味方になるんだ、という決意はきちんとしなくてはいけないと思った。
そういう強さを育てなければ、と。


それができるか不安ではあるし怖いが、なにかそういうときに人生の意味が変わってくるような気がする。。。
とまぁ、いろいろ考えさせられる本だということはわかってくれただろう。

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)