4/12 おはようございます


55歳と139日目の朝です。
今朝は起こされるまで目覚めませんでした。
相方は「仕事に行かなきゃいけないんだから、目を覚ませ」・・・
とかいっていたはず。
もう、補聴器がなくっちゃ、わからない。
聴こえないんです。


でも、目が見えるから表情で、
苦情を言われているんだと察しがつきます。
だから、言葉は要らないんです。
褒め言葉は大きな声で・・・と願います。


お年寄りの悪口を
小声で、顔をしかめていってはなりません。
なぜなら表情で自分のことだと思い違いするからです。
それでもいいたい悪口は『大きな声で笑顔で』となります。
自信がある方はお試しを。
それができたら、
あなたは地震にも揺れない強い自信ができるでしょう。


今日も仲良くしてくださいね。
139日は100と39の合算。
サンキュウをたくさん言う日です。
いのちの恩人の先生は海外でお仕事、がんばってみえます。
情熱のあるお方ですから現地の人は手放したくないでしょう。
でもよい後輩の方に引き継ぎされ、ご帰国されますよう、
祈っています。
どうか、お身体を大事にしてくださいね。


まほも先生に助けていただいた命、
大切に使わせていただきますから。。。



「いのり」


神さま・・・
あなたにお祈りする人が
たくさんふえました
だから自分自身のことを
お祈りすることは止めました
もう私のねがいは
心の中にしっかりと根付いたから
神さま・・・
あなたが下さったいのちを
大切につかっていること
ちゃんと見ていて下さいますか

親切とおせっかいは紙一重かも?


わたしたち人間は、
悪意があってすることは、
たぶんないんですね。
ただ、その行為が善意と受け取ってもらえず、
相手のこころを不快にしている場合が
あると思うんですね。


それは、経験や知識に基づいて、
繊細におこなっていることであっても、
受け取る相手も、
自分の経験や知識の中で感じるため、
こころがすれ違ってしまうことがあります。


誤解が生じ、誤解を解くために言う言葉も、
むなしい結果に終わることも少なくないですよね。


これは歳を重ねるほど、
多く経験されることだと思うんです。
人との交流が増えるからです。
当然衝突が増えます。
特に女性は男性に比べ、
弁が立ちますから、(口だけは達者と言われています)
わかってもらうために、
必死でしゃべります。


余談ですが、
若い頃・・・と言っても病気する前ですから、
40歳ごろですね。
後輩に説明していると、
ついつい熱が入るんです。


それを見ていた若い男性が、
「まほさんに怒られているのかと思ったよ」と
まじめな顔で言われたことがあります。
後輩女性(20代)は「被害者」で、
まほが「加害者」にみえたようです。(苦笑)



親切とおせっかい。
ありがたい想いと迷惑な想い。
これらはどちらも紙一重なんです。


なんでも度を超すとだめなんです。
親切も度を越せば、おせっかい。
ありがたいことも度を越せば、
ありがた迷惑という言葉があるように、
迷惑になるんです。


しかし、人間って優しいですからね。
おせっかいはやめてとか、
ありがた迷惑よ・・・と
はっきり言う人は少ないでしょう。


だからこそ、注意したいのは、
自分の思いが相手に押し付けになっていないか、
考えることが大事になってきます。


お若い方はできなくて構いません。
あたまの片隅に入れておくだけで、ずいぶん違うはずです。
50代にもなれば、自然と気付きます。


だって、足し算も出来ない子どもに、
掛け算を教えませんよね。
その年齢のこころの成長ってあるんです。
10代の人が50代のまほと
考えていることが同じだったら、怖いです。
まほが80・90代の人の
きもちになれないようなものです。


あなたの周囲の人生の先輩を頼ってくださいね。
辿ってきた道ですから、
きっといいアドバイスがもらえますよ。


まほが「紙一重」で伝えたかったのは、
境界線を越えたときって、
まほの経験から行くと、
相手のためが自分のために、
すり替わってしまっていて、
相手のきもちより、自分のきもちに
重点がいっていたときのような気がします。


相手のきもち対自分のきもちは
6対4がいいかもしれませんね。。。




>人の顔色に関係なく、
>プライドを持って伝えたいことを
>伝えれば良いと思う。
>魂の樹は何時か考えられないほど
>素晴らしい果実を人の心に生み出すだろう。
>(もう愛の唄なんて詠えない、さだまさし)

ちょっとしたことであなたも太っ腹になれます


ブログを始めたのは40代最後の年、
腹まわりに比例し、太っ腹になりましたよ。(わらい)


いい意味で、物事にこだわらないというか、
ながせるようになったというんでしょうか、
・・・これは歳を重ねられたお陰だと思うんですね。


10・20代の若いころには考えられないことでした。
一番よくわかったのは、
人は変えられないということでした。


若いころは自分は正しいと思いこみ、
「なんであの人はわからないんだろう」
「そんなこと気づけよ」って、不満を抱いていました。


病気になり、自分と向き合う時間も増え、
誰でも自分のことをわかってほしいんだ。
そういう自分は相手のことを
わかろうとしているのかと自問したとき、
気づいたんです。
なんにもわかっちゃいなかったと。


景色でも、立つ位置が違えば変わりますね。
わたし=あなたと思っていることが
そもそも間違いだと思いました。
自分と違う考えの人を認められないからです。
人と自分は一緒の考えというところから
スタートするから、相手を尊重できなかったのですね。


>自分のことは
>なんとかなっても、
>他人のことは
>どうしようもありません。
>どんなに他人が必死になっても、
>人は自分の思うように生きるんです。
>(生きててもいいかしら?、田口ランディ)


50代になった今なら、
上記言葉がよくわかります。
あなたのことを想って言うのよ・・・の
40代までの自分とは違います。
人さまをわたしは変えることなどできないし、
なぜわたしの気持ちをわかってくれないのかと
叫ぼうとも、相手のこころが納得しない限り
無理です。自分自身の気持ちを相手に
押し付けただけの、自己弁護でしか
ありませんでした。(まほの場合)


生きてと叫んでも、叶わないことがあります。
本人しか選択は出来なかったという
無力さに泣きました。
だから、悲しい、辛いというあなたの気持ちを、
「うんうん」と受け止めたい人が
あなたの周囲にいることだけは、信じてくださいね。。。



あのとき失敗してよかったのです ほか
http://mahonoai.exblog.jp/d2011-04-12/
覚悟っているんです
http://mahocchi.exblog.jp/13364520/