スカイツリー

 朝。電話に出ると私のお父さんだった。
 数日前にメールがあって「スカイツリーに登りたいからいろいろ調べておいてくれ」という件の催促だった。「電車の乗り方とか、そういうことなら前日に調べればすぐじゃないですか」と、いつもよりはっきり告げると、そういうことではなくて「当日に券を買って入場しようとすると並んで何時間も待つから、インターネットなどで他の方法がないか調べて欲しい」という意味だったらしい。さっそくインターネットを見てみると、公式サイトにて「二ヶ月先から先着順で予約出来る」とかで、わざわざご丁寧に「予約カレンダー」などというものまで用意されていた(いついつに予約すると二ヶ月後のこの日から先着順で予約できるという、ものすごく当たり前なことが書いてあるカレンダー)。そしてそこで予約をするにはまず、なんちゃらというメンバー登録が必要らしい。たかがスカイツリーごときで随分めんどくさいというか勿体ぶってるというか、人気なのか知らないけれど、わざわざそこまでして登らなくていいだろうにと思うと同時に、「こんなもん有り難がって登りたがる連中にはこの程度でいいだろ」というふうな態度に思えて、偉そうにしやがって地震かなんかで根もとから豪快にぶっ倒れればいいのにと思った。
 夜に改めて電話をかけなおそうかと思ったけれど引っぱるのも面倒くさそうで、結局すぐ折り返して説明し、とりあえず今回は諦めるということになった。
 お父さんは急にスカイツリーに登りたくなったことについて「深い意味はないんだけど」とか「ふと思い立って」とか、このことに他意はないみたいな点を電話の向こうでずっと強調していて、そういうことをいちいち言うもんだから、私は逆に何かあるんじゃないかと、そのことばかりが気になった。

 当たり前なのだけれど、私のお父さんは私という人間を作って育てた人で、私が今こうしてここにいることの発端となった人である。そんな私のお父さんが「深い意味はないけれど、私とスカイツリーに登りたい」と私に相談している。そして、お父さんの体の微細なかけらから生まれて大きくなった私が今こうしていろいろとああだこうだと考えている。なんだかとても不思議というか変な感じがした。

 また「スカイツリーに登ろうとして、いろいろ調べてみるんだけど結局面倒くさそうなので諦める」という一連の営み、気分みたいなものの推移が、インポテンツというか(もっと大きな意味での)不能感ということを象徴するようにも思えるし、そこに父性やら、父と子の関係性のようなものがきわどく交錯し、折り重なった一点になにか隠された意味があるような気がしてしょうがない。
 そういえば数年前に「僕と悪寒と東京タワーがなんちゃら」とかいう小説だか映画だかが流行ったそうで、どんなものだか未だに知らないけれど、ひょっとして塔みたいなところに登ろうとして面倒くさくなってやめたりする話なのかな。(10/17)