昨日は9:41のはやてで仙台へ。野草園で東北植研30周年のシンポ。米倉さんの、標本ラベルについての超マニアックな話を聴く。すごく勉強になった。夜はみんなで旅館に宿泊。
今日は各県5人の、標本庫や標本についての話。自分も30分で話をさせてもらった。他の人の講演がすごくためになったし、たくさんアイデアを頂いた。最後に、大橋先生の長めのコメントが、しみじみとしてとても良かった。
午後は東北大の標本庫を見学させていただいて、15時頃に解散。15時40分に仙台駅に着き、切符を早い列車に変更して、16:38のこまち。18時過ぎに帰宅。
仙台は近いのに、不思議とほとんど行く機会がない街だ。でも、標本を見るためだけにでも、もっと頻繁に行くべきだと思った。

大橋先生は色々なことをおっしゃっていたのだけれど、特に印象に残ったのは平和についての話。標本なんてものについて皆が一生懸命になれるのは平和が続いているからで、戦争が終わってからまだ65年しか経っていない、今はまだ発展途上。若い私たちにとっては、そのことはふだん認識の外にあるのだけれども、先生にとってはそうではないんだという当たり前のことに思い至った。

研究会などで人が発表する時に、スライドが1枚1枚変わるごとにデジカメをかざしてスライドの内容を記録する人たちがいるんだけれど、あれは正直言って本当に止めてほしいと思う。ほとんど1分おきに繰り返されるシャッター音やストロボが、話す人・聴く人たちの集中をひどく妨げているということに、撮影者が全然気づいていない。ひどい時には、デジカメの動作音を止めることさえしないで、スライドが変わる度にピロピロと音を立てる人もいる。皆そういうのに慣れてしまっているみたいだけれど、うるさくて仕方がないので、もっと気を遣ってほしいです。誰も撮影する人がいない時は、発表を聴くことに集中できて本当にホッとする。
ちょっと前まで、口頭の発表では記録に残らないからこそ話せることがあるということを、学術的な場では皆が認識していた。そういう貴重な話が聴けるからこそ、みんなわざわざその場に集まっているのであって。来られなかった人のために撮影したいって言う親切な人もいるんだけど、基本的には、その場に来られない人はそれまで。そういう「消えもの」感が、口頭という発表形式の意義として、かつては暗黙のうちに了解されていたはず。小さな研究会とかで大目に見てもらえることはあったけど、今のように堂々と騒々しく撮影する人はいなかった。最近、ネット中継とかが当たり前に行われるようになって、ますます「その時その場にいること」の重要性が薄れているんじゃないかと思う。
話者としては、スライドを撮影した写真やハンドアウトだけで話の内容が分かると思われるのもつまらない。それに、時々は記録には残せないような話もしたい。最低限のマナーとして、口頭発表や講演を撮影したい人は、事前に主催者と話者に了解を得るべきだろう。