長崎2日目。長崎県南島原市にある日野江城にいってきました。
諫早から島鉄バスで2時間の南島原市。長崎の秘境ですな。
日野江城はキリシタン大名・有馬晴信の居城です。
龍造寺隆信が台頭するまでは、西肥前最強の大名といわれた有馬氏歴代の本拠。
日野江城の遠望です。この山に南蛮文化を象徴する石垣がたくさん残ります。
日野江城の大手口。
日野江城の最大の見所のひとつの二の丸大手門。
この付近では金箔瓦が出土しています。
金箔瓦が使われていたということは、相当豪壮な城だったと思われます。
大手の階段遺構。いまは埋め戻されて、ただの土になっていますが、ここからは安土城と似た真っ直ぐに続く石段が出土しています。石の積み方が外国の様式をとりいれているそうです。石段には墓石の一部なども使われています。天正遣欧少年使節の千々石ミゲルや中浦ジュリアンもここを通って本丸にいったそうです。
世界文化遺産にするんだったら、この石段遺構も公開して欲しいなぁと思いまする。
日野江城の本丸跡。せまい曲輪ですが、一番頂上にありここからは海が見えます。
日野江城の記念石碑。有馬氏の家紋が入ってる。
有馬セミナリヨ跡。日野江城下にあり、ここで伊東マンショや中浦ジュリアンが学んだらしい。
北有馬町役場のピロティーセンターに展示してある有馬晴信の像の複製。
有馬晴信といえば1584年に島津の援軍を受けて、龍造寺隆信を討ち取った沖田畷の戦いが有名だ。
龍造寺の圧迫を受けていた苦しい状況で、晴信は南蛮貿易の利益を得るという政治的な目的もありキリシタンとなった。自分の居館を教会にしたり、領内に宣教師の施設をたてイエズス会に寄進したりしている。また、徳川時代に禁教令がでても信仰を貫き、弾圧をうけたキリシタンや宣教師を自分の領内でかくまっていたという。
南蛮貿易で栄えた日野江城のある南島原は現在はさびれてなにもない。戦国時代に外国人などが往来し、南蛮文化がさかえた町とは想像がつきにくい現状になっている。
城主:有馬氏 場所:長崎県南島原市北有馬町戊