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2016-03-30

聖地巡礼−世界遺産からアニメの舞台まで

| 11:49

宗教を機能的に定義した場合、寺社や教団といった形態にとらわれずに宗教を考えることが可能になる。人生相談や占いによって生き方を考え直したり、ヒーリングや癒しの実践によって活力を取り戻すと感じられることがあれば、それらを宗教的な側面を持つものとして論じることができる。そして、自分探しの旅やリフレッシュのための観光も、場合によっては宗教的なものとしてとらえられるのである。


現代の大半の巡礼者は、従来のような信仰を持っていない。だが、歩くことを通じて、異界への没入感、精神的な浄化、「生かされている」という認識などを得ている。こうした体験や気付きは、本人たちが認識していなくとも、これまで宗教的体験と言われてきたものと変わりがない。


巡礼者が語る自分自身だけの巡礼の物語は、実はどれも似ている。特に目立つ共通点は、先に挙げた一連の精神的な気づきに加えて、シンプルな生活の快適さ、水や食事のありがたみ、他者に優しくすること/されること、新しい身体感覚の目覚めなどである。


趣味嗜好や価値観が細分化した現代では、集まりそのものが貴重に感じられ、比喩ではあれ、聖地という言葉が用いられると思われる。現代ではメンバーの流動性や一過性を特徴とするイベント的聖地が、私事化によって損なわれた共同性を補うように増加しているのである。



感想

宗教との関連、現代の共同性が失われた中で生まれた流れ等、かなり納得の行く論で、なかなか面白く読むことが出来た。「本物でない」ことへの忌避感ってのは、物事の一面を見すぎというか、もっと多様な見方を心がけないとと思わされた。占いやスピリチュアルをバカにしてきたけど、僕がしている観光だって似た面はある。実際、神社の神なんか信じてはいないわけで、そこに訪れることにどんな意味を見出しているというのか。そこが集積してきた思い・歴史を感じているとは言っても、それにふさわしい知識を取り入れてきたわけでもない。ほとんどスタンプラリー様相。それを卑下ばかりするのでもなく、それぞれ個々人が持っている価値観を認めていかなくてはいけないよな。自分の趣味含め。


イベントごとの一過性の盛り上がりも醒めた目で見ていたけれど、一体感ってのは、実は僕もニコ動で得ていた感情でもある。人はやっぱりそういうのを求めるもの。地域に得られなくなった代わりを、みんな求めている。孤高を気取るのではなく、ありのままを受け入れ、ストレスなく生きていきたい。求めるのは、楽しさ・幸せの追求。自由がそれに資するのならば目指せばいいけど、支障になる部分があるならそこまでストイックに追求するものでもない。バランスを取らないとな。

2016-03-06

ひとりぼっちを笑うな

| 11:37

そもそも、「友だち」がいることのメリットってありますか?たとえば、「悩みを相談できること」でしょうか?でも、僕の場合、自分の悩みは、すべて自分で解決することにしているんです。というのも、誰かに悩みを相談して、「なるほど」と思ったことが、ほとんどないから。だって、その悩みについて誰よりも詳しいのは自分ですよね。だったら、誰かに話すよりも、とことんまで自分で考え抜いたほうが、きっといい結果が出るような気がするんだけどなあ。だから、自分の悩みを他人に話すということを、僕はまったくしません。


自分を低く見積もっておく。最初から自分でそう決めつけておけば、ちょっとやそっとのことにも動じない人でいることができます。自分のプライドみたいなものを、必要以上に高く持ち過ぎていると、そのプライドがへし折られたときのショックが大きいじゃないですか。人間、上には上がいるし、プライドなんてものは、どこかで必ずへし折られるのがオチです。


僕は場合によっては誰かと話していたいタイプの人間なのかもしれない。これまで散々ひとりになりたいと書き続けてきましたが、ときには矛盾したっていいんですよ。そう、我慢するのが一番よくないんじゃないかな。人って適当にわがままに生きていていいように思う。


この世に生まれて一番の喜びは、自分の考えていることを実現することだと僕は考えています。考えて実現した、その瞬間こそが、生きていて一番楽しい。それを妨げるものは、たとえ友だちだろうと世間だろうと、まったく気にする必要はありません。ひとりぼっちでもいいから、そのやりたいことに向かって、一歩ずつ近づけばいいんです。



感想

最近話題になっている本。前から近しいものを感じていたけれど、まあ予想通りの一致っぷりだったな。共感は出来たけど、既に実践していたり考えていたりすることだったんで、収穫というのは大してないわけだけど。「悩み」については本当にその通りだよな。「話すだけで楽になる」なんて、正直理解できない。何も解決していないじゃないか、と。


「自分を低めに見積もる」ってのは、アドラーの言う「勇気の無い状態」なんだろうな。諦めてしまった状態。そこから奮い立てば、また別の展開があるのかもしれない。でも、底辺でもそれなりの生きやすさがあるからな。人と接しないことを選択すれば、底辺にまつわる不都合もあらかた避けられるし。僕はもう、それでいいなあ。


「矛盾していい」とあるけれど、蛭子さんは結婚しているし子供もいる。正直、何が「ひとりぼっちがいい」だよ、とも思う。昔だったらそういう都合のいい発言には抵抗があったけれど、今となってはそういうのも受け入れられるな。所詮、人間ってのは首尾一貫しておらず、その場の流れによってどっちにも転びうるもの。支配的な傾向があるだけで、それが全てなわけではないからね。それを認めないと、生きていて辛くなるだけ。主張を一貫させることよりも、楽しく生きていくことの方がよっぽど重要だからな。


僕も一人が好きだけど、だからといって一生独身でいることを固く決意しているわけでもなく。無ければ無いで全く構わないわけだけど。自由に、楽しく生きていきたい。自分の望むことを、制限なく実現していきたい。