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mailonesghの書評

2014-11-09

弱いつながり

| 11:25

弱いつながり 検索ワードを探す旅

弱いつながり 検索ワードを探す旅

ぼくたちは環境に規定されています。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。自分を変えるためには、環境を変えるしかない。環境を変える=移動するしかない。


ネットには情報が溢れているということになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと思うものしかネットに書かないからです。


人間は弱い。欲望をコントロールできない。ときに愚かな行動もとる。しかしだからこそ社会を作ることができる。旅に出るとは、そういう愚かな可能性に身を曝すということでもあるのです。(性の欲望も人生に「ノイズ」を入れるもの)


人生はいちどきり。何度も繰り返せるわけじゃない。だから統計には惑わされず、偶然の連鎖を肯定し、悔いなく生きようというのがぼくのメッセージです。



感想

9/19にニコニコ生放送で、「ちきりん×東浩紀」の対談番組があった。有料放送で、視聴に823円もかかるんだけど、一度ちきりんさんを見てみたかったんだよね。まあ、いつも通りお面はしてるんだけど、声や仕草なんかは見れるので。

第一印象としては、想像よりも声が高いな、と。あと、結構痩せてるっぽい感じだった。Twitterでいつもダイエットと言っているわりには。2時間の対談予定が、延びて4時間にも。お徳。まあ、これはいつものことらしいけどね。対談の序盤は真面目に。


哲学は人生の引き延ばし、人生の雛形。物事を複雑に考えるためにある。

・お金は経路の確保、時間の短縮のためにある。それによって他に使うものがなければ意味がない。

・物事に意味はない、欲望があるだけ。その蓄積が市場・歴史を作る。

・人生は設計できない、機能しない。偶然の積み重ね。

・ゲームやアニメは蓄積がない。パターンが分かる。文学・美術のほうがカードが多い。


僕の好物だったんだけど、こういうのってちきりんさんは得意ではないとのことで、話題はどんどん俗な方向へ。聞いている分にはそれなりに面白かったけど、何かが残るという点では前半の内容の方が良かったんだけどなあ。まあ、そういうのをちきりんさんに求めても仕方ないんだけどさ。

こういう体験には僕もお金を使っていこうと思っているので、今後もこういったプログラムが増えていくといいなあ。といって、東さんのチャンネル月額会費は高すぎて入る気にはならないんだけど。



そういうわけで今回の本。対談でも話に出てきていたので、せっかくだから読んでみた。一つの環境に閉じてしまうことの危険性について。これは僕も常に意識していること。その解決法として、この本では観光旅行を挙げている。そこで得られる偶然性と、考える時間の確保。まあ、確かにそういう面もあるだろう。僕自身、旅行は好きなんだし、そういう効用があることを否定するつもりはない。


でも結局は、意識の持ち様だと思ってしまうんだよね。ネットは今の関係性を強化するツールだと言うけれど。それこそ使い方次第。自分を拡げる手段としても十分使えるし、匿名だからこそ表明できる意見や情報ってのもある。僕としては、最も可能性のあるツールだと思っている。その活用にもっともっと習熟していきたい。

2014-11-03

一神教の起源−旧約聖書の「神」はどこから来たのか

| 10:13

一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか (筑摩選書)

一神教の起源:旧約聖書の「神」はどこから来たのか (筑摩選書)

一神教は自分たちの価値観や考え方と異なるものを排除しようとする点で不寛容で独善的であり、自己の立場を非妥協的に主張する点で攻撃的・暴力的であると否定的に見られることも多い。たしかに、一般的に見て、指摘されるような傾向が一神教に存在することは必ずしも否定できないし、世界の紛争や戦争にユダヤ教キリスト教イスラム教が絡んできたことも少なくない。しかし、それらの衝突や紛争の多くは、実は宗教戦争ではなく、宗教以外の要因によるものであり、ただ宗教が対立の「旗印」に利用されたとも見られることを忘れてはならない。

(⇒多神教国家も同じ)


古代イスラエル人がもともと砂漠の遊牧民であったという発想は、ほぼ確実に間違っている。イスラエルという民族も彼らの一神教も、「父と蜜の流れる地」と呼ばれるカナンの地自体の中で成立したのである。


人が大きな苦難に見舞われた場合、それが不条理であればあるほど、受け止めたり耐え忍ぶことが困難になる。しかし、その苦難の理由や意味が何とか納得でき、「腑に落ちる」ような場合には、それを耐え忍んだり克服することがより容易になるのである。それは同時に、破局と苦難の責任をすべてイスラエルの側に帰すことにより、ヤハウェを免罪しようとする弁神論でもある。その究極の目的は、言うまでもなく、前586年の破局ヤハウェの敗北や無力さを示すものと見る「誤解」を打ち砕き、ヤハウェのみへの信仰を保たせること、すなわち信仰の危機の克服である。



感想

巡回しているリタイアブログ40代リタイアを目指す男の節約・投資ブログ」の中で紹介されていた本。もともと宗教・思想関係には興味あるんだけど、それが僕のもう一つの興味対象であるリタイア系から紹介されたのがちょっと嬉しくなり、読んでみた。考えてみたら、読書とリタイア親和性が高そうだし、意外でも何でもないんだろうけどね。


決別しておく必要のある俗説として、「一神教が砂漠とそこに住む遊牧民の文化の産物であるという見解」が挙がっていた。「過酷な環境下だからこそ、絶対的な権威を持つ唯一神の観念が生まれた」ってやつ。

僕も前に聞いたことがあり、「なるほどなあ。確かにそういうものかもな。」なんて納得していたんだけど。見事に否定されてしまった。安易に流されない、結論付けない、ってのはいつでも意識しているつもりだったんだけど。まだまだだなあ。こういう勘違いを正していくためにも、常に情報を取り入れていくってのは大切だな。


あとは、旧約聖書の成り立ちについての裏話等々。そこで描かれる時代の背景とか、記述の裏側にある事情や思惑とか。旧約聖書についてはそれなりの知識を持っているため、すごく楽しく読むことが出来た。こんなに知的好奇心が刺激されて読むのが止まらない読書は久しぶり。それにしても、こんな大昔のことを、数少ない証拠からよく描き直せるよなあ。研究者ってのはすごいね。


旧約聖書の筆者たちについて。彼らは、自分たちの信仰を守るため、文書に手を加え、思想を発展させていく。裏事情を知らない人たちはいいとして、その操作に携わっている人たちは、それが事実ではないと分かっているはずなのに、それでも問題ないのかね。一番大事なところさえ守れれば、その手段は問わないってことかねえ。「見たいものしか見ない」。こういう人間性ってのは興味深いね。まあ、傍から見ているからこそ言えることで、それに巻き込まれる身としては堪ったものではないだろうけど。

2014-11-02

【番外編】読書・ブログについて

19:42

約3週間ぶりの更新。今日の更新も、読書記録ではないんだけど。それにしても、だいぶ期間を空けてしまったなあ。ブログ開始以来、これだけ空けたのは初めてだな。旅行していたわけでもないのに。週に2,3回更新していた時期から、最近は週1回が定着し、そうしてさらに頻度が下がって。別に、このままフェードアウトするつもりではないけれど、現状についてここで一度まとめておこうかと。本当は年末に総括しようかとも思っていたんだけど、その時にはまた感じ方が変わっているかもしれないし。今の思いをとりあえず。


読書について。自分自身、趣味の一つだと思ってきたし、実際に本を読むのは好きだ。ただ、突き詰めて考えてみると、読書は趣味というよりは、目的達成のための手段の一つ、という面が強かったのかもな。

目的の第一は、成長・向上すること。生活をするためにはお金を得る必要があり、そのためには働く必要がある。既に就職はしているわけだから、それを続けることがその手段となる。就職難の世の中、今の会社を放り出されると、今の条件を上回る会社に再就職できる見込みはかなり薄い。となると、放り出されるような事態にならないよう、社内で自分の有用性を示す必要がある。

だからこそ、僕の読書履歴の多くはビジネス書やノウハウ書が占めてきた。発想の元を増やせるよう、一般教養や雑学の知識を仕入れたり。知ること自体が楽しいって思いはもちろんあったけれど、自分の価値を上げるためって思いもかなりの部分あった。


目的の第二は、今後どう生きていくかを考えること。未来志向は僕の特性でもあるしね。世界情勢や政治に興味を持ったり、歴史や哲学に触れたり。過去を知り、現在を知ることで、未来に備える。経済を勉強したり、投資をしたりってのもこれに含まれるのかな。



そうした中で得られた一つの結論が、「早期リタイア」という選択。これは、第一と第二の二つの目的にそれぞれ応えるものとなっている。

まず第一。この結論に至った時にも書いたけど、よく考えたら、別に定年まで働かなくても十分なお金が得られることが分かった。それどころか、今現在の生活レベルで良ければ、後5年10年で達成可能。となると、"クビ"や"周りのレベルとの乖離"なんかを恐れる必要がないんだよな。その程度でよければ、現状レベルで十分対応ができる。逆に、出世してしまったら今以上に時間と労力を取られ、費用対効果に見合わないと思う。上司を見ていても、中間管理職なんて割に合わないからな。まあ、その上に行けるのならその苦労に見合ったものになるのかもしれないけれど、早期リタイアまでに回収することなんて不可能だからね。それと、これまでを振り返っても、本で得られるような知識や意欲程度では、ステップアップにはなんら効果がないってことも分かったし。僕にとって、上を目指すために必要な要素は、そういう種類のものではなかった。


第二。これはもう、「早期リタイア」ってのがそのまま答えとなっている。自由を、自立を求める僕にはぴったりの生き方だろう。その場限り、その年限りの持続性・方向性のない目標ばかり掲げてきた僕にとって、初めて一本芯の通った目標。達成の時を考えるとすごくわくわくする。



第一、第二の目的が叶えられたことで、「手段」としての読書にも一つのケリがついたんだろう。もちろん、知らなかったことを知るのは喜びだし、今後の情勢は常にチェックし備える必要がある。だから、読書は今後も続けていく。ただ、今後は娯楽の一環、楽しみの一つとしての面に重きが置かれるようになるだろう。何より、コストパフォーマンス最高の活動だしね。

最近のブログ更新が滞っているのはそれが理由。読書自体は前と変わらずにしている。読書量ということでは大して変わらないだろう。ただ、ブログに書こうって思えるような題材ではないだけで。もともと、小説なんかの感想を載せるのは極力避けてきたからな。「考える」というより、本当に単なる感想にしかならないので。

このブログの主旨も、だから変えていく必要があるのかもな。読書に限らず、考えたことを綴るとか。まあ、この文章自体、そうなんだけど。それか、どんな種類の本でもとりあえずタイトルだけ紹介していくとか。定期更新に拘る必要がなければ、書きたいと思える本を読んだ時だけの不定期更新にしてもいいし。変化は悪いことじゃない。年末にかけ、どうするか考えていくかな。