2013-05-19
勝ち続ける意志力
生き方 |
- 作者: 梅原大吾
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2012/04/02
- メディア: 新書
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自分にとっての特別な何かを見つけなきゃ、と考えるようになったのは、確実に父の影響だ。父は、自分自身がやりたいことをやり切れなかったという無念と後悔から、「もしお前が本気でやりたいことがあるんだったら、いくらでもサポートしてやるから、何か見つけて徹底的にやれよ!」そんなことを言う親だった。ただし、その何かを勧めてくれることはなかった。だから、僕は迷った。
僕にとって何が自信につながったかと言えば、それはゲームの上手さや強さではなく、苦手なものを克服しようとしたり、あえて厳しい道を選んだりする自分の取り組み方、高みを目指す姿勢を貫けたという事実があったからだ。手を抜かず徹底的に追求することが、自信を持つ何よりの糧となったのだ。
あえて厳しい道を選択しなくてもいい人は、それはそれで幸せだと思う。毎日の生活が充実していると感じるのなら、あえて厳しい道を歩むことはないだろう。しかし、誰にも認められなかった僕の場合は、ガムシャラに頑張らざるを得なかった。自分に自信を持つため、つらいけど荒療治をするしかなかった。
僕にとっての正しい努力。それはズバリ、変化することだ。昨日と同じ自分でいない−。そんな意識が自分を成長させてくれる。ゲームの世界においては、変化なくして成長はない。良くなるか悪くなるか、そこまでは誰にも分からない。しかし経験から言うと、ただ変え続けるだけで、最終的にいまより必ず高みに登ることができる。
昔は、感情の振れ幅が大きい人生に憧れていた。すごく楽しいことがあり、その楽しさを手にするためにすごく苦しいことを我慢する。そういう人生が格好いいと思ったし、そんな人生を送っている人が偉いと思っていた。けれども、そんな人生は疲れるだけだと気がついた。いまの僕は、そんな人生にはまったく魅力を感じない。上がっては下がりの人生を送ってきた僕だから、日々の小さな幸せを敏感に感じることができる。ようやく、自分が生きていくペースをつかめたような気がする。
無理をせず、背伸びもせず、毎日毎日、自分にできる範囲の精一杯を繰り返していく。そんな単調になってしまうかもしれない毎日だからこそ、自分を変化させることを怠らず、小さくてもその変化を心から楽しみ、一日一日を味わい深く噛み締める。だから、「このときまでに何かをしなきゃいけない」なんて目標は立てない。ただ、目の前のことに集中して粛々と歩んでいく。
感想
「Chikirinの日記」で4月いっぱい特集されていたプロ格闘ゲーマー・梅原大吾が書いた本。僕自身、格ゲー歴はストZERO2までなんで全然詳しくはないんだけど、梅原については、ニコ動で一時期盛り上がっていたことがあって知っていた。その時はそれ以上深く追わなかったんだけど、今回のちきりんの特集で興味を持って読んでみた。一読し、そのゲームに向かう姿勢に圧倒されてしまった。ゲームというより、その生き様か。
まず、小学生の頃から「やりたいことを見つけなくちゃ」と焦っていたという話。親の教育方針というのは、改めて恐ろしい影響があるよなあ。子どもの自主性を尊重するのはいいけれど、何の指針もないところでそんなこと言われたって困るだけ。思考力や知識がまだ不十分な時期に、そんな重荷を背負わせるなよ。これも、親の押付けの一種だと思った。このことが、梅原少年の精神の安定を損なった面もあるんじゃないかと思う。まあ、何がどういう結果を招くのかなんて事前には分からないし、僕の一方的な意見ではあるけどさ。「考え続ける」という点においてはプラスだったんだろう。
そして、勝負の世界の厳しさ。ここまでのストイックさを要求されるのは、勝者総取りの世界ならでは、なのかな。僕は絶対にそういう世界は目指さないよ。効果・効率なんて言っている人間だからね。
ビジネス界も、トップを目指す争いにおいては同じように熾烈なものがあるんだろう。でも、それを目指すのでなければ話は別。基本を押さえるだけで、ある程度のところまで行ける。ビジネス書だって結局、その基本についての話ばかりだからな。それだけ、基本も出来ていない人が多すぎるってこと。もちろん、僕も含めて、だけど。
極端なことを言わせてもらえば、なんでそこまでして上を目指さないといけないのか。それを目指す過程にも意味・価値があるってのは分かる。でも、手に入らないものを目指して鬱屈を抱えるのが、本当に幸福に繋がるとは思えない。
「考えない練習」って本の中に、「『苦』からの解放を『快楽』と感じているだけ」という仏教の思想が紹介されていた。まさにこれなんじゃないかと。苦を求めたって、プラスマイナスした幸福度は変わらない。必ずしも成功しない分、マイナスになる可能性大。
僕は「成長」それ自体にはそれほどの価値を置いていない。僕にとっては、成長することでどれだけのものが得られるのか、ということのほうが重要。もちろんそこには、すぐに得られる効果だけでなく、長い目で見て回収できることや、最悪を避ける保険の意味も含めているけれど。「成長」そのものが目的ならば、結果まで求めるべきではない。
こんなところが僕の考え方。ちょっと否定的な感じになっちゃったかな。全力で生きていない自分に対して、過剰防衛に走ってしまった面もあるかも。でもまあ、人の考えなんて一定したものじゃないからね。様々な出来事に触れ、立ち位置が揺れ動く。この本にしても、前半で否定したことが後半で肯定されていたり、その逆があったりと、著者の考え方の変化が描かれていたからね。
まとめとしては、「成長」までは求めないとしても、「変化」は肯定的に受け入れていこう、って感じかな。著者の最後の立ち位置には同意できる。
2013-05-12
超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略
- 作者: 岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2012/12/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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スキルが高い人なんて、外注で充分です。数十億人にいる世界中の人の中から、優秀な人間を選べばいい。それも必要な時に、必要な数だけ。本当に必要な人間は、周りの人の仕事の邪魔をせず、楽しく協力し合える人というわけです。結局のところ、他人と仕事をやっていこうとすると、問題は人格に収斂するのだと思います。
ブログやTwitterやfacebookといったメディアは、個人のプライベートな情報を映し出すものです。今後、私たちはプライベートな情報を晒し続けていくことになるでしょう。そして、この情報公開の波はもう止めることができません。情報公開しない人ほど信頼されにくくなるでしょう。
私たちがこれから本格的に迎える評価経済社会というのは、決して楽園ではありません。互いが互いを格付けし合う競争社会ですから、全ての人から「いいひと」と見られるよう常に気配りしなくてはならず、心理的・精神的コストが高くなりがちです。誰もが「人格者」になることを要請される時代ともいえます。
是非、いいひと戦略を実践して、新しいコミュニティにコミットしてみてください。生きやすくて住みやすい環境を手に入れてください。
感想
「評価経済社会」で生きるための最適戦略について説明する本。あらゆる情報がネットで見れる情報化社会においては、評価の高さが生きやすさを決めるようになる。そのために、本当に「いいひと」になる必要はない。テクニックでもって、自分に無理の無い範囲で評価を獲得していけばいい。その方法について指南する本。
まず、本当にそんな世界が来るのか・続くのか・発展するのか?ってのがあるし、そんな「戦略」でどうこう出来るようなものか?ってのも引っ掛かる。あと、「戦略」が通用したとして、それって費用対効果に見合うものなのか?って問題もある。
まあ、上記が全てクリアされるっていうのなら、対応せざるを得ないんだろうね。意地を通して不便を受け入れるつもりはないし。その場合でも、なるべく周辺部にいられるようにするだろうし、出来る限り影響を薄め、脱していけるように行動するだろうけど。
それに今現在でも、ある程度は周りを意識して行動するって部分はあるからな。多かれ少なかれ、僕自身も実践していることだからこそ、反発する気持ちもあるんだろう。飲み会の席で部署の人に、「敵を作らず、全ての人と等距離で付き合えているのが凄い。長所だ。」って言われたことがある。それをテクニックだとは思いたくない。けど、あえて言えば、「極力少ない労力で、いい人であることを保つ」ってのが僕の戦略なのかな。
出来れば厳密な「評価経済社会」なんて来て欲しくないけど、心構えだけはしておこう。今はまだ、参加する必要を感じない。
2013-05-11
中身化する社会
- 作者: 菅付雅信
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/02/26
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「お互いに検索し合う」時代に、僕らは生きている。そういう社会において、もはや外見の第一印象はそれほど重要ではない。なぜならすでにネットの検索結果が、その人の第一印象を与えているのだから。その人の言動、興味のあるもの、活動、職歴、評判、交友関係というものは、ネットの海にある程度、露呈している。
いまや外見やイメージの情報よりも、個人や集団の「中身」がネット上であらわになる社会が、紛れもなく到来している。そしてそれは、善でも悪でもなく、いろんなことが見えてしまっていることを前提に、僕らは生きていかなければいけない。
「ネット上で生き様が見られている、情報化されている以上、生き方を作品化しないと人々は評価してくれないのです。『人生の作品化』。しかし、人が生きるということ自体が編集行為そのものだとも言えるわけです。何を食べて、何を着て、何の仕事をして、誰と付き合い、どこで生きるか、には無限の選択肢があります。その無限の選択肢のなかから、自分で可能な範囲で選んでカスタマイズして人は生きているわけです。言い換えれば、人は常に『人生を編集している』のです。ですから、あなたの人生があなたの最高の編集物なのです。そう胸を張って言えるよう、より良い企画を立て、より良き人を集め、人生をより良く作品化していくことが、この大情報時代=大編集時代を楽しく生きる術ではないかと思います」
感想
本屋で色々と物色していた時に見つけ、興味を持って読んでみた本。岡田さんの「評価経済社会」でも描かれていたような世界だし、他の人はどう考えているのかを知りたくて。と思ったら、「評価経済社会」が引用されていた。他にも、「動物化するポストモダン」とか「ワーク・シフト」とか、今までに読んだことのある本が色々と。この本自体が、編集で成り立っているのか。著者が「人生の編集」を勧めるのと合わせて、ってこと?読んだ本が出てくるのはちょっと嬉しくはあったけど、著者独自の視点ももっと色々知りたかったな、とか思ったり。
著者は「中身があらわになる」って言うけれど、それへの対処法は、人生の編集・作品化、とのこと。でも、そんなに単純なことなのかなあ。ネット上の情報をコントロール出来ると思っているかどうかが、著者や岡田さんの楽観的な見方と、僕の懐疑的な見方の差なんだろう。
僕は著者のようには思えない。編集を許さないのがこれからのネット社会なんじゃないかと。打算も試行錯誤も失敗も全てが可視化され、拡散し、削除は効かない。これが加速していくと、管理社会・監視社会になる。恐ろしいことだ。
まあ、行き過ぎはそのうち是正されるだろうけど。それまでは大人しくしておくのがいいよ。ネットには極力情報を晒さない。匿名を貫く。このブログのように。知り合いがここを見て僕を知るなんて、想像するだに恐ろしい。別に過激なことを言っているわけではないけど、それでも何も書けなくなっちゃうよ。人って、そんなに他者に理解されたいのか?そんなに繋がりを求めているのか?僕としては、ある程度の距離が必要。それが保てないくらいなら、一人を選ぶだろうな。まあ、人それぞれだし、別にいいんだけどさ。
2013-05-02
未来改造のススメ−脱「お金」時代の幸福論
- 作者: 岡田斗司夫,小飼弾
- 出版社/メーカー: アスペクト
- 発売日: 2010/07/26
- メディア: 単行本
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岡田『学生たちが、カネを出しているのは、手に入れているモノのごく一部ですよ。タダのコンテンツを浴びるように見られる。何かを好きであるということに自信がないから、有料のコンテンツには手を出しづらいんだね。』
小飼『タダのコンテンツがあふれていると、痛い思いをした上で、もっといい思いをしたいというインセンティブが働きにくい。』
小飼『普通の人は、普通の人が作るものでは満足できなくなっています。このハードルは皆さんが思っている以上に高くなっています。はっきり言って、ちょっと名の知れた大学を出ました、くらいじゃ意味がない。買ってもらえるモノやサービスは、儲かるから働くと思っている人には作れません。徹底的に何かを好きでたまらない人でないと無理。「これくらいでいいじゃないの」ではダメで、「誰かと刺し違えても俺はこれを作る!」という人でないと。考えてもみてください。スティーブ・ジョブズのような天才でないと、みんなが買ってくれるケータイを作れないわけですよ。』
感想
小飼さんと岡田さんの対談本。僕にとってはどちらも知っている人なんで、ちょっと嬉しい企画だった。ただ、内容としてそこまで深いものではなかったかな。まあ、対談ってのはそういうものかもしれないけど。部分部分面白いところはあった。
モノを買わないことについて。僕もあまり使わない方だからなあ。その理由として、「何が好きかに自信が無い」ってのはあるだろうね。そこにお金を注ぎ込むだけの価値があるかどうか、考えてしまう。そこまで入れ込めない、というか。これだけタダのものが溢れていると、有料のものに対して、費用対効果での目線が厳しくなるよね。お金を使うためのハードルが高くなっている。それがますます不景気を呼び込むんだから、困ったもんだね。
ただ、いつかのタイミングではカネを放出することになる。さっさとリタイアするつもりなら別だろうけど、いずれにせよ、溜め込んだまま死ぬつもりはないんだから。その時点でお金を使うことと、今のうちにお金を使うことの、どちらがより費用対効果が高いかってのも、合わせて考えていかないとな。
「普通の人が作るものでは売れない」ってのも、その通りだよな。そして、その程度はどんどん進行している。恐ろしい話だ。うちの会社は今のところ、それなりに安定しているけれど、今後どうなるかは本当にわからない。その時にも通用する、新しい、価値あるものを生み出せるのか。開発セクションの人間だからこそ、より強く感じる。まあ、そういった「危機感」で太刀打ち出来るようなものでもないんだろうけど。
2013-04-28
動物化するポストモダン
雑学 |
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/11/20
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筆者は、決して、オタク系文化の出現が日本独自の現象だと考えていない。それはむしろ、20世紀半ばに始まった文化のポストモダン化という大きな流れの、日本における支流のひとつだと捉えるべきだと考えている。だからこそ、オタクたちの作品は国境を越えて支持されているのだ。
90年代のオタクたちは一般に、80年代に比べ、作品世界のデータそのものには固執するものの、それが伝えるメッセージや意味に対してきわめて無関心である。逆に90年代には、原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が自分で勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動が台頭してきた。この新たな消費行動は、オタクたち自身によって「キャラ萌え」と呼ばれている。
そこではオタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している。
いまや、個々の物語が登場人物を生み出すのではなく、逆に、登場人物の設定がまず先にあり、そのうえに物語を含めた作品や企画を展開させる戦略が一般化している。そしてこのような状況では、必然的に、個々の作品の完成度よりもキャラクターの魅力のほうが重要になるし、またその魅力を高めるためのノウハウも急速に蓄積されることになる。
データベース消費のなかにいるオタクたちは、ひとたびある作品に捕まれば、あとは関連商品と二次創作を無限に消費してくれる。彼らが前にしているデータベース型世界では、その情熱を鎮めるための「大きな物語」が存在しないからだ。
感想
ニコ生で、岡田斗司夫さんとの対談を見て、興味を持ったので読んでみた。本書は、東さんの代表作とのこと。2001年に発売された、哲学者・思想家の立場から見たオタク論。僕は両者にそれなりに親しみは感じているけれど、それほど詳しいわけじゃないからな。本作が、オタクの本質を突いているのかどうかは分からない。Amazonでも程々の評価だったしね。ただ、自分自身に当てはまる部分や共感できる部分もあり、色々と考えるきっかけになったのは楽しかった。
世の中に溢れている作品について。これは分かるなあ。そこで伝えられるメッセージは既に陳腐化していて、「もう分かってますよ」ってなっちゃってる。確かにまあ、本当に大切なことってのは、そんなにたくさんあるわけじゃないからな。物事の本質を突いた名言も、そのうち出尽くす。そしたら後は、それをどうやって伝えるか、って部分に凝る以外、やりようがなくなる。
僕自身これまで、作品の細かい設定は重視せず、そこで展開されるシナリオこそを重視してきた。シナリオ至上主義。そこが良ければ他には大体目をつぶる。でも、シナリオに含まれるメッセージが大事なんだとしたら、これほど新しいものばかりを求める必要はないんだよね。結局はシナリオも、作品を包む設定の一つ。同じことだったんだな。
まあ、この傾向はオタク作品に限らず、だけど。小説でもドラマでも、音楽でも舞台でも。およそ全ての娯楽作品に当てはまる。結局、同じもので我慢できないのが人間なんだろう。著者が主張するほど、今の時代特有ってわけでもない。ゲーテも言うように、結局は「新奇なもの」しか求めてないんだよね。ただ、最近は色んな作品が溢れるように誕生しており、その傾向がより鮮明に現われているってことなんだろう。ネット社会・データ社会になって、より簡便に参照できるようになったし。
結構面白かったんで、また別の本も読んでみたい。