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mailonesghの書評

2014-08-24

知的生活

| 10:58

知的生活

知的生活

真の教養とは、思考力を練り、その高貴な能力の活動源となる材料を提供するものでなければなりません。このふたつのはたらきをしないような知識はわれわれの教養にとって無益です。


時間を節約する一番いい方法は、なにかを学んだり行ったりする時には、必ず、完全にものにするのだという強い気概をもって臨むことです。そして、一方、どうにもならない限界がみえた時にはいさぎよくそれを認めてしまうことです。不完全な習得に費やされた時間は、大部分は無駄に費やされたのです。

断念せずこれからも研究を続けていくことになった対象について、次に決断すべきことは、どの程度まで研究を押し進めるか、その厳密な限界を設定することです。


孤独の悪影響ばかり見て、悪影響と引き換えに孤独がもたらす利点を見ようとしないのが人々の年来の傾向です。孤独で生活する人は、自分の時間を、自分の財産を、君主のごとく思うままに使えます。見栄を張る必要もなく、質素に、心のままに、ゆったりと暮せます。

「世の中にある者は、己が時代を生きる。孤独にある者は、あらゆる時代を生きる。」


幸福な生き方というのは、自分の中の一番すぐれたものを絶えず磨き、伸ばしていくような生き方なのです。



感想

座右の古典」で紹介されていた本。僕も、知的生活に憧れ、目指していたように思うけど。この本で言っているようなものとは、やっぱり違うよなあ。知識のつまみ食いに過ぎなく、本当にモノになったものなんてない。歴史、哲学、政治、等々。その時々の好奇心を満たしてはくれたけど、それを自分の核として形成できているわけではない。それら全てが合わさって今の自分が形成されているとは言えるけれど、明確に「コレ」として提示できるものではない。


そして、今後は知的生活を目指そう、と考えているわけでもない。一つ二つに熱中し、そこから大いなる成果を引き出そう、なんて。それよりは、世の中の進歩の恩恵に与ろう、という立ち位置。さっさとリタイアすることなんて考えているくらいだから、当然ではあるけどね。


知的研究に邁進している人たちのおかげで、今があるというのは分かっている。でもそれは、そういうことをするのが好きだったというだけの話だろう。好きの方向性がたまたま世の中に貢献できるものだっただけ。そうではない人たちが、無理に道を変える必要は無い。人それぞれ、自分の道を進めばいい。本当、多様性ってのは素晴らしいね。

まあ、タダ乗り側の人間として、別に今以上を求めているわけでもないしね。


自分の生き方を達成するため、その障害となるものを排除するため、そのためにこそ思考力を磨き、必要な知識を手に入れ、行動していきたい。見栄なんて気にせず邁進する姿は、知的生活者のものと似ているのかも?

2014-08-17

定年後7年目のリアル

| 19:43

わたしは十年一日のような「なにもない」生活にまったく飽きない。たぶん、このような生活は「お米」のようなものなのだ。いつ食べても美味しい。シラスやおかかや梅干し昆布をちょっとのせるだけで、味が一層ひきたつ。生活もおなじである。これが基本だ。「なにもしない」静かな生活コシヒカリのように滋味があるのだ。


前作『定年後のリアル』をお読みいただいた方には、よし、この男は相変わらずだな、なにも変わってないな、死ぬまでそのままでいけ、と思っていただけるならば喜ばしい。


「生きがい」は不要だといいたいのではない。充実も充足も達成も要らない、そんなものはないといっているのではない。あるに決まっている。そんなものは一番筆頭にもってくる必要はないといっているだけである。そんなものはいらない、ではなく、なくても全然かまわない、というだけである。ちょっとした希望がある。愉しみがある。夢中になれる。することがある。そういうものがあれば十分である。なにもなければしかたがない。なにもしなくてもいい。なにもしないことを楽しむことができればいいのだ。



感想

前作「定年後のリアル」の5年後の現状を綴った本。本屋でぶらぶらしていた時に見つけ、早速購入。前作の著者の語り口が軽妙で愉しく読めたからな。その後の変化などあれば知りたいってのもあったし。


相変わらず愉しくは読めたけど、だいぶ内容が薄かったような。読んだ本からの引用やら、近所でよく見かける人たちの観察やら。言いたいことは前作にほとんど詰めたってことかね。まあ確かに、5年で劇的に生き方や思想が変わるわけはないよな。著者自身、積極的に動く人間ではないし、何も無い、あるがままを受け容れる人だったし。当然の結果だった。

まえがきにも書いてあるけど、相変わらずの様子が確認できただけで、まあ良かったかな。著者の思惑通りすぎてちょっと笑ってしまうんだけど。


僕もこういう生き方には共感できるな。もちろん、リタイア後にやってみたいことは色々あるし、著者ほど「何もしない」を極めるつもりもないんだけど。ただ、そういう生き方も有りだ、という最低限のベースを持っていれば、それ以上のことは全てボーナスとしてありがたく得られそうだし。まあこれも、有用生活術ってやつかね。考え方一つで生き易くなり、それが自分と相性がいいとなれば、さっさと取り入れるに限るよな。まあ、元々持っていた思想ではあるんだけど。それで問題無さそうだ、というのが確認できたのは良かった。

2014-08-10

自助論

| 13:18

人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。

人間の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力してきたかで決まる。骨身を惜しまず学び働く以外に、自分をみがき、知性を向上させ、ビジネスに成功する道はない。


時間は、学ぶべき価値のある知識を吸収し、すぐれた信念を養い、よい習慣をしっかり身につけるために使われるべきである。実りのない生活を続けて時間を浪費するなど断じて許されない。


金を倹約して使うというのは、すぐれた人格者の基礎となる資質−すなわち分別や先見性や克己心を備えている証拠だ。衣食や生活上の満足はもとより、自尊心や自立心など人間に有意義なものを与えてくれるのは、やはり金の力なのだ。貯蓄によってわれわれは生活の足場を固められるし、暮らし向きが好転するまで希望を失わず快活に生きていける。節約とは、自助の精神の最高の表現に他ならない。


わずかな知識でも、それが正確かつ完璧なものであれば、上っつらの博識より現実的な目的にははるかに役立つ。人間は、勉強量や読んだ本の冊数で賢くなるのではない。勉強法が自分の追求する目的に適しているか、一心不乱に勉強に取り組んでいるか、勤勉が習慣となっているか−このような点こそが問題なのである。

頭に断片的な知識を詰めこむことはできても、精神を豊かにするには至らない。当座の間は精神を刺激し、知的喜びを与えたとしても、楽しみ以上の高い目標を植えつけはしないから、結局は無益な気晴らしに終わる。

「おもしろ半分の乱読は、煙草と同じように精神の力を衰弱させ、人を無気力に陥れる。それは怠惰の中でも最悪のものであり、人間を完全に去勢してしまう」

着実な努力を嫌うようになり、精神力の低下と衰弱が進む。



感想

座右の古典」で紹介されていた本。150年以上前に書かれた本だけど、現代でもそのまま通用する自己啓発本。いつの時代でも人はこういうものを求めているんだなあ、と思ってしまった。我ながら、かなり擦れた思考だけど。

提言されている点で自分に足りないことは多かったけど、相変わらずお金の項だけはかなりの水準にあるなと、我ながら思う。読書の弊害についての指摘はよく心に留めておこう。


勤勉・努力は確かに必要だろうけど、その前に一歩引いて、どの方向に努力するのか、努力の果てに得られる成功・成果は何なのか、ってところから考えていきたいよな。努力の例としてミケランジェロも出てくるんだけど、彼の生き方そのものが、それを促しているように思う。

まあ、「われわれは、自分が『いかにあるべきか』、そして『何をなすべきか』を自分自身で選び取る必要がある。」とも言っているんだけどさ。


著者は、「人生の最高の目的は、人格を強く鍛えあげ、可能な限り心身を発展向上させていくこと」だと言う。ここが一致していなければ、著者と僕の結論が異なるものになるのは当然だよな。僕は人格の完成なんて求めていないしね。それが幸福に繋がると思える人は目指せばいいけど、単に手段の一つだろう。まあ、多くの人に訴えるにあたっては普遍的で間違いのない提言だとは思うけど。


とは言いつつ。人は、自分が求める提言を受け入れ、求めていない提言には反発する。自説を強化するだけの読書にそれほどの意味は無いと思うし、抵抗を感じるもののほうが触れる価値がある。得てして、そこに自分が避けている・逃げている現実があるものだし。それをしっかりと認める勇気は常に持っておきたいものだ。分かっていてなお、ならば、それは自分の選択だからね。それに、反発を感じるもののほうが、より多く考えるきっかけになるし。

2014-08-03

ミケランジェロの生涯

| 18:40

ミケランジェロの生涯 (岩波文庫 赤 556-3)

ミケランジェロの生涯 (岩波文庫 赤 556-3)

ミケランジェロは力を持っていた。闘って勝つようにできている稀な幸運を持っていた。そうして彼は勝った。だがそれが何だ?彼は勝利を望んではいなかった。彼が望んでいたものはそこにはなかった。悲愴な天才力とそうでなかった意志力との間の、やむにやまれぬ熱情とあえて求めなかった意志とのあいだの切実な矛盾である!


彼ほど天才の餌食となったものはかつてない。それは彼に襲いかかって屈服させてしまった征服者なのであった。それに対しては彼の意志もどうにもできなかった。彼の精神力も彼の心情もどうにもならなかったとさえ言えよう。これは熱狂的な激昂であり、それを支え保つにしてはあまりに弱すぎる肉体と魂のなかに巣食う恐ろしい生命であった。

彼は間断ない激情のなかに生きていた。はち切れるばかりの力の氾濫に悩まされて、ひとときの休息もなく絶えず行動せざるを得なかった。


彼の天才力はそれを裏切る魂と結びついていた。人はよく執拗に彼につきまとって彼の雄大な計画の実現を皆邪魔してしまった宿命の事を語る。この宿命とは彼自身であった。これは彼の性格の弱さ、意志の欠如から来ている。

彼は芸術においても政治においても、彼のあらゆる行為あらゆる思索においても不決断であった。二つの制作や計画また二つの派の間にはさまってどちらを選ぶかを決めかねた。幾度もやり直して結局完成しなかった。彼はしようと思いまたしたくなかった。一度事を決めるとすぐそれを疑いだした。晩年には何にも仕上げていない。すべてに嫌気がさした。



感想

座右の古典」で紹介されていた本。ミケランジェロといえば、ルネサンス三大巨匠の一人。その作品はあまりにも有名。この本ではミケランジェロの人となりについて描く。このミケランジェロ像が本当にそのままなのかは実際のところ分からないけれど、こういう「成功」ならば要らないなあ、と思ってしまうね。


前に読んだフリードリッヒ2世なんかは、中世真っ只中の13世紀の人だけど、時代の空気に染まらず自由に生きた。ミケランジェロはそれから約300年後の、ルネサンスも終盤の人。宗教改革なんかによって教会の支配もその絶対性を失ってきていた時期だと思うけど、ばりばりに縛られて生きていたんだなあ。

これが、芸術家として生きるのでなかったのならばまた違ったのかも。当時芸術で生きていくには教会なり商人なりの庇護下にいなければ難しかった。独立して生きていけないってのは辛いよな。まあ、どんな分野にせよ自由が得られるようになったのは近現代になってからのわけだし、今が恵まれているってことなんだろう。


いくら才能があって「成功」したとしても、本人がそれを求めていないのならば全く意味がない。「成功」がそのまま「幸福」と結び付いているわけではない。才能が人生の足を引っ張ることもある。まあ、凡人の僕には関係の無い話だけど。

それにミケランジェロの場合、その性格が生き辛さを助長している。つくづく、才能よりも気質のほうが大事だと思うね。流されるままでは望む生き方は出来ない。それが、最大限の成果が得られる道だったとしても。今の時代も、自由に生きるための枷となる状況や世間の風潮は周りに溢れている。それに盲目的に従うのではなく、よく生き様を考え、抗っていきたい。

2014-07-21

森の生活

| 15:36

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

私が森に行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。


たいていのひとは、単なる無知と誤解から、しなくてもいい心配や余計な重労働にわずらわされて、人生のすばらしい果実を摘み取ることができないでいる。働きづめの人間は、毎日を心から誠実に生きる暇などもたない。

贅沢品とか、生活の慰みと呼ばれているものの多くは、単に不必要であるばかりか、かえって人類の向上をさまたげている。

われわれの人生は瑣末な問題にかまけて浪費されている。なにごとも簡素に、簡素に、簡素に、と心がけるべきだ。

余分な富をもてば、余分なものが手にはいるだけである。魂の必需品を購うのに金はいらない。


迷子になってはじめて、つまりこの世界を見失ってはじめて、われわれは自己を発見しはじめるのであり、また、われわれの置かれた位置や、われわれと世界との関係の無限のひろがりを認識するようにもなるのである。


私は、森にはいったときとおなじように、それ相応の理由があって森を去った。おそらく、私にはまだ生きてみなくてはならない人生がいくつもあり、森の生活だけにあれ以上の時間を割くわけにはいかないと感じられたからであろう。われわれはそうとは知らぬ間に、いともたやすく一本のきまった道を歩くようになり、自分の道を踏みかためてしまう。世界の幹線道路はさぞかしすり減ってほこりだらけとなり、伝統や習俗には深い轍が刻まれていることだろう!



感想

座右の古典」で紹介されていた本。森に小屋を建て、自給自足生活を始めた著者。前に読んだ「Bライフ−10万円で家を建てて生活する」を思い出しながら読んだ。著者の思想にしても、アリリタ志向者のものとかなり近しい。いつの時代、場所においても、同じようなことをする人達はいるんだなあ。これもまた人の普遍的な感性、なんだろうね。これに共感し、読み継がれてきたからこそ、古典として残ってるんだろうから。


なのに、それを実現できるのは少数派。世間の繋がり・関係性に絡め取られ、気付いた時には身動きできなくなっている。道を変えるには強い信念が要る。道連れがいるとしたら、その難易度はさらに何倍にも跳ね上がる。幸い僕の環境は整っているんだから、是非とも実現させてやろう。

著者が求めたように、決まりきった機械的な道を歩むのではなく、様々な人生を生き、色々な経験を積んでいきたいもんだ。