40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

戦闘美少女の精神分析

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

マニアは一般的に、その趣味がいかに実体として有効であるかを競い合う。コレクターはまさにコレクションの物量の大きさを誇る。ここにはもちろん、「希少価値」という「確率的判断」も含まれる。
おたくにはこうした「実体」や「実効性」への志向がむしろ乏しい。彼らは自分の執着する対象に実体と呼べるものがないこと、その膨大な知識が世間では何の役にも立たないこと、あるいはその無駄な知識が軽蔑され、警戒すらされかねないことを知っている。そして、それを承知の上で、ゲームのように熱狂を演じて見せ合うのだ。


彼らが好きなのは虚構を実体化することではない。よくいわれるように現実と虚構を混同することでもない。彼らはひたすら、ありものの虚構をさらに「自分だけの虚構」へとレヴェルアップすることだけを目指す。おたくのパロディ好きは偶然ではない。あるいはコスプレや同人誌も、まずこのように、虚構化の手続きとして理解されるべきではないか。


コアなおたくというものは、虚構へのスタンスが独特であり、アニメ作品にしても、複数のレヴェルで楽しむことができる。彼らは現実を虚構の一種とみなしている。それゆえ現実を必ずしも特権化しないことが、現実逃避ととられやすい部分なのかもしれない。その意味でおたくは「虚構と現実の混同」をすることは決してないが、「虚構と現実の対立」を、さほど重視しない。彼らはむしろ、虚構にも現実にもひとしくリアリティを見いだすことが出来るのである。


漫画には、ある程度以上複雑な物語を描くことが出来ない。登場人物の性格は、ひと目で了解される程度に単純でなければならない。複雑な性格が描けないということは、複雑な物語が描けないということでもある。このゆえに漫画においては、個々の人格単位は必然的に典型でなければならない。
だから漫画の人物造形に、複雑さや奥行きが足りないと嘆くべきではない。漫画表現においては、しばしば人物すらも書き割りなのだから。つまるところ漫画作品は、作品全体で一つの人格を総合的に表現する。例えばそれは「作家という人格」である。


日本製漫画あるいはアニメの「大きすぎる瞳」と「小さな口もと」の起源は、このようにして成立したのではないだろうか。最小の描線で最大の伝達を可能にする、この技法を洗練したものが、いわゆる「アニメ絵」ではなかったか。


感想
街場のマンガ論」の中で紹介されており、興味を持ったんで借りてみた。この本ではアニメやマンガ等の作品や、そういったものへの興味が突き抜けた「おたく」と呼ばれる人たちの分析を試みている。僕は「おたく」ではないし、特に戦闘美少女に興味もないが、マンガやゲームは結構好きだからな。ニコ動ユーザーでもあるし。多少の適性は僕にもあるし、彼らを知ってみるのも面白いかな、と思って。
「マニア」と「おたく」の違いについて。おたくとはどういう人間か、モノの見方や考え方について。マンガの表現方法について。色々知れて楽しかった。アニメやマンガなんか、特に気負わず楽しんでいるが、色々と洗練されてきているんだな。分析してみると、これまで脈々と築かれてきた歴史や背景がある。日本語の特性や脳の使い方まで関わってくる。どんな分野でも、深めていくと面白い発見がある。知らなかった世界が広がっている。もっと知ってみたいな。
この本は2000年に発売されているんだけど、それ以降このジャンルはさらに複雑多岐に成長している。より鮮明になった特徴や、前には見られなかった新しい傾向もあるんじゃないか?これ以降に発売された関連書もたくさんあるみたいだし、追ってみるのもいいかもしれない。