40歳アリリタ(早期退職)達成者のブログ

メインは書評(自分語り)。色々と経験する中で自分の生き方が固まり、2014/11/02の記事を集大成に方針確定。2020年3月末、40歳にてアリリタ達成!

人生論

人生論 (新潮文庫)

人生論 (新潮文庫)

自分のために生きるべきだろうか?だが、自分の個人的な生命は悪であり、無意味ではないか。家族のために生きるべきだろうか?共同体のためにか?いっそ祖国か、人類のためにか?しかし、自分個人の生命が不幸で無意味だとすれば、あらゆる他の人間個人の生命も同じように無意味なわけだから、そんな無意味で不合理な個人を数限りなく寄せ集めてみたところで、一つの幸福な理性的な生命をも作ることになるまい。


人間の真の生命は、動物的個我の幸福に対する否定のはじまる時になって、やっとはじまる。理性的な意識のめざめるその時こそ、動物的個我の幸福に対する否定がはじまるのである。


真の愛は、動物的個我を否定する際にのみ可能となる。愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛なのである。



感想
勢古さんの本「結論で読む人生論」で紹介されていた本。「座右の古典」で紹介されていた本でもあるのでちょうどいい。


トルストイの思想の出発点は、「個人的な幸福を求めても、それは達成できない、不可能なものである」ということ。人の欲望に際限はないし、他人との対立を生み出すものでもあるし、何より死によって全ては無意味になってしまう。そこから、どのようにしたら幸福を得ることが出来るか、人生に意味を見出すことが出来るか。それを考察している。


トルストイは、人生の無意味に耐えられなかったんだろうね。ショーペンハウアーのような厭世哲学者に対し、「人生を否定しながら、そこからぬけだす可能性を提示していない、きわめて不誠実な解決だ」として非難している。僕からすれば、解決策なんてそもそも無いし、別にその状態でも耐えられるから、その道を提示していないだけだと思うけどね。無意味を受け入れ、そこから一種開き直って生きる。むしろ自由であり、僕にとっては居心地がいい。


それに耐えられない人は、ここから理屈を捏ねて自分を納得させられる理論を構築しなければいけない。僕からすれば、トルストイの論理は信じるにはだいぶ苦しい。飛躍があるように思える。別に僕も、完全な理論を、真理を求めているわけではないけど。
ただ、妄信はしたくない。自分で自分を騙したくはない。そういう鎖・制限から、自由でありたい。分からないものを無理に分かろうとして、分かった気になるために、自分を変質させたくはない。とはいえ、人は自分の気付かぬ内に、変わっていってしまうものではあるけどさ。


そして、そうやって妄信に見えるような信仰が悪いというわけではない。人は、それぞれ自分に合った生き方をすればいいと思う。人生に意味を見出し、積極的に生きられるのならば、その方がいいだろう。こうして全てを相対化してしまうと、僕の思想ももうこれ以上進みようもないように思うけどね。


まあ、これまで色々な人生論・幸福論を読んできて、そろそろお腹一杯になってきた。とりあえずこの方向は一旦終了にするかな。