たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

ロリコンとロリータ愛好者とU15アイドル

  • レッドゾーンすれすれのU15アイドル

過激Jr.アイドルブーム最前線 愛娘を売り出す親たちを直撃1/その2/その3(シャブ壱inDeep)
雑誌の書き方がいかにもゴシップなので、そのへんはまず眉唾で。
ここしばらくの間になぜか急成長し、大ブームなU15(15歳以下)アイドルたち。
児童ポルノは規制されたわけで、当然ヌードは一切ナシな小中学生たちなんですが、どうも最近雲行きが危ないです。元々わかっていたとはいえ確実におかしな方向にいっているようです。
うん、これは悪い意味で泥沼に間違いなく足突っ込んでますネ。
怖いもの見たさでちょっとU15アイドルの表層を見てみます。
 
「超メイドさんS」
ふっと思い出したのがコレ。小学生と中学生と声優とAV女優と着ぐるみのユニットという冷静に考えなくても狂った組み合わせ。AV女優とユニット組む小学生ってカオスだなあ。これはセーフなのか?とりあえず着ぐるみにどうしても目が行ってしまいます。着ぐるみでAV出たりするそうですね。シュールすぎです。
 
「業界初 U-15 ジュニアアイドル専門店」 おいも屋本舗 開店(アキバBlog))
おいも屋本舗
15歳以下の写真集・DVDのみで構成されたお店みたいです。パッと見わりとキレイですネ。
どんなのを売ってるのか、もうちょっと興味本位で見てみます。
U15系写真集色々
うん、わかってたけど水着だらけ。しかもかわいらしくではなく性を強調したものばかり。
うーん・・・なんでしょこの「かわいい」と「エッチ」をずばぬくかのような背徳感は。
見てはいけないものを見てしまったかのようです。いや、確かに脱いでないし、セーフなのかもしれないけど。でもなんだこの感覚?
このへんにいたっては、
こんな撮影をしていたようです。
(  д ) ゚ ゚
こら大人!何させてるの大人!
こんな格好でアキバの街を歩かせて撮影って・・・アウト!
 
ちょ、これは思った以上に事態は深刻だなあ?
U15アイドルって子供たちをポルノからセーブしてかつアイドルとしての需要も満たす妥協ラインかと思ったのですが、これならいっそきれいなとこでポートレート的に脱いじゃった方が全然健全な気がしてきました。
エスパー魔美みたいに。ねえ。

手ブラの写真を撮る父
パパ「女性はキレイかどうか、で見るんです。でも、自分がほしいと思うものを男は求めていると思うから、そういう画をとろうとはします。売れないと困るし、かといってやりすぎるのもどうかと思うし。…その中間点を探しています。」
Tバックの娘を撮る母
ママ「売れるものを作ろう、と頑張っているんです。本人も。それが、ちょっとセクシーなものだとしても、ステップとして上がっていくんだという気持ちがあるので」

・・・と、顔出しで親は語る。
顔出しちゃったよ。いいんかい顔出しちゃって。やらせだったらまだ救いがあるんだけど。
 

うーゎー。ちょっと衝撃的すぎて、どこから整理すればいいかわからなくなってきました。
とりあえず「いやらしいですわ!」とPTA的に反抗したくなる気持ちもありますし、「だめだろう、常識的に考えて」の一言ですませちゃいたいところですが、「ロリータ愛好」そのものがそんな単純なものじゃない気がするので冷静に考えてみます。
 
とりあえず見聞き知ってる範囲での「グレーライン」だけど自分的には「芸術だろう」をあげてみます。
昔出版されていた篠山紀信が11歳の栗山千明を撮影した「神話少女」や「少女館」なんかは、「少女をいかに美しく描くか」を主点においていたため、芸術的作品として成立していたと思います。
撮影者も出演している少女もこの時点で立派な思想表現者で、いかに売り込むかではなく「いかに自分の思っている少女像を描くか」が追求されていたと思うのです。実際新潮社はこれと前後して少女美学特集本とか出してたと思います。空振りっぽかったけど。
あとペヨトル工房の「夜想」にも載ってましたが、「少女アリス」はいい写真集だったなあ。あれもステキな作品でした。
一応ヌードシーンもありますが、ヌードを見せるものではなくて「少女像」を見せるものだったと思います。ルイス・キャロルが「ヌードは洋服の一種」と書いてたことがありましたが、あれを見て納得した感じ。
 
そして、「ラブやん」でカズフサがオカズのために読んでいてビミョーな気分になりました orz
結局それらも、児童ポルノ法で芸術と認められることなく、さようならしてしまったようですネ。でもナチュラリスト達を撮ったジョック・スタージスや少女を異形と捕らえたヤン・サウデクの写真はまだセーフなのにね(一部はアウトっぽい)。「少女館」もセーフ。そのへんの境目がわからんですヨ。
あ、アラーキーの方の少女写真集はどうなったんだろう。あっちはなんかエロ視線だったけど残ってそうです。
しかし今アマゾン見て思ったんですが、「少女館」のプレミア額がスゲエ・・・。「神話少女」もプレミアがすごいってはてな先生に書いてあるなあ。
とりあえず、どういう形であれ子供たちを脱がして写真撮るのは、心に傷残す可能性あるし搾取してる気がするのでやっぱアウトだと思います。念のため。どこからが芸術かというラインについては、ここの判断によるところが多いと思うので明言は避けておきます。
 
それ以前は「第一期ロリコンブーム」と呼ばれ、数多くのロリータ雑誌や写真集が氾濫していました。シャブ壱inDeepさんで書かれているプチトマトとかですネ。
そのへんは宮崎勤事件で、よきにしろあしきにしろ魔女裁判にかけられ、撤廃されたんでしょうかね。
事件で、というと少し語弊があるかな。事件を皮切りに、ロリコンへの視線が冷たくなったというか。そのへんはまた別の機会に詳しく調べてみたいとこです。
 

しかし、今のU15のアイドルたち、うん、確かに脱いでないよ。神話少女のようなヌードはないですヨ。
だけど、この親たちの「売り込みっぷり」が、それ以上に非常にキモチワルイのですヨ。
決して少女たちが自然体で水着でいるところを見せてダメではないとは思うし、それを規制しはじめたらキリがないとは思うのですが、どうにもこうにも、いくらなんでも「男の欲情をかきたてる」のを親がわかって撮影してるわけです。
自分が親ならこれは、絶対できないです。
いくら言葉でうまく包んでも、結局エロ妄想かきたてるような映し方をさせるのはなんか狂ってる気がしてなりません。
ああ、そうだ。あれだ。
この子たちはジョンベネなのかもしれない。
 
加えて、本当のいい意味(?)での「ロリータ愛好者(自分の中の性癖に気づき、それに向き合っている人たち)」は、こういうTバックとか手ブラとかにはあまりいい感情を持っていないような気がしてなりません。
(いい意味ってむずいけど、ようは本当の意味で少女美を愛する人という感じです。)
うまくわけること出来ないんですが、ロリコンとロリータ愛好者は別だと思うのですヨ。
 
何度も引用しちゃう渋澤達彦の名言。

「美しい少女ほど、コレクションの対象にするのにふさわしい存在はあるまい。蝶のように、貝殻のように、押し花のように、人形のように、可憐な少女をガラス箱の中にコレクションするのは万人の夢だろう」

それは少女の持つ儚さや美しさ、生と死を同時に包含かしたもの記号化されたものを永遠に心の中に持ち続けることなのかもしれませんし、もしかしたら人形愛なのかもしれません。決して、物のように扱って自分の思うがままにしなさいという意味ではないと思います。むしろ逆。

ロリータ治療塔
こちらのサイトは苦手な人が見たら苦手かもしれません。そういう人はご遠慮ください、と書かれているのも納得。
それだけ、真摯にロリータ(ニンフェットとも言い換えられる、少女像)を愛し、いつくしむ、そんな気持ちが真正面から描かれているので、一人の人間の考えとして非常に好感が持てます。
ある点「少女」という記号化されたものへの美学なので、対象の人格的な部分で悩んじゃう女性が見られるとウームな人もいらっしゃるかもしれませんが、逆に女性だからこそわかる少女美への憧れの強さもうまく拾っていると思います。

巷では、そういう人達は、ロリコンとか呼ばれていて、裏路地あたり、背を屈め足音を忍ばせて歩いているような冴えない男というイメージがありますが、本当は、そうではないのです。ロリータ愛好者は、繊細な芸術家の魂を持った、本来、やさしい愛すべき人々ばかりなのです。

不毛だ、とか、儚すぎる、とかわかっていながらも、ただ憧れの前に手を出すことすら許されないロリータ愛好者の切なる祈りのようだと思いました。ペドフィリアロリコンってくくりでまとめちゃやっぱダメだと思うのですヨ。
ルイス・キャロルが少女の人格を尊重し、決して手を出さず、写真を撮るときも親の許可を得たように、そしてアリス・リデルとの結婚を望み、うまくいかなかったときも彼女を人間として愛し続けたように。そういう人々もいるんだなと思いました。それは、かなり茨の道ですネ。妥協すれば楽なんだろうけど、辛いだろうなあ。
 
そういう意味で、心から真摯に少女美を愛する人たちにしてみても、U15アイドルの今の異常な台風は、心地悪いものなんじゃないかなあと思ってなりません。ある程度のかわいらしさならともかく、Tバックとかのような「大人のエロス」を子供に押し付けるのは、ほんとの意味でのロリータ愛好者が望むものじゃないんじゃないかなと。
んじゃ欲しているのは、搾取しているのは、売っているのは誰なんだ?と考えたときにもう一度最初の記事のインタビューを見てみます。
これらは、少女を愛するものではない大人と、娘たちを道具にしている親たちの操り人形にしか見えません。

  • 一番の難点

そして、最終的にこれ考えたくないんだけど、子供視点からして、撮られている子供たちの将来はないかもしれないということ。
これらの子供が大人になったとき、自分たちの、芸術性を失い男の性欲をかきたてる姿を見てどう思うのだろうかとか。モラル差があるとこなので一概にはいえませんが、撮影者自らが芸術ではなくインパクトを求めているのを認めて、小中学生を撮っていることを理解できてるのかな。できてたりしたら怖いなあ。
 
ムリに潰す法律が出来たら弊害が、とか色々考えるとこあるので、U15アイドルそのものについては絶対反対とはいえないのですが、何を目的にしているのかは切り分ける必要があると思います。
性の対象として、エロの過激さを求める方向はマイナスの要素ばかりしか発生しません。それなら自由のきく2次元にすればいいです(そっちも今危ないですが)。
少女美をきちんと追求するのも、また別のものとして芸術方面に伸ばすことはできます。ここで芸術か卑猥か論議でまたもめそうなのでとりあえずスルー。
 
加えて、親と娘が本当にそれで正しいのかを見ることのできる客観的な目を育てることと。やっぱ親の考えがアレすぎです。
価値観の違いなのかなあ。色々考えてみたけど、やっぱわたしにゃ理解できません。
なんか事件でもおきてブームが終わるのかなとか、きっと法律で余計なものまで巻き込んで叩かれるんだろうなあとか、ネガティブなことしか思いつきません。
このまま加速し続けることだけはモウ出来ないとは思いますが、こうする親達がい続ける限り、悪化の一途をたどる気がしてなりません。
なーんかうまくまとまらないなあ。モヤモヤとイヤ気分ばっかり生まれる割に「こうだ!」と突きつける言葉が浮かばないんですヨ。子供にかかわってる仕事なので「そういうムーブメントから守りたい」という猛烈に拒絶する気持ちと、そういう欲求があり需要があるんだな、ムリにつぶしたらまた同じ繰り返しだなという理解とがうまくかみ合わない。子供の人権を侵すようなものだったら断固反対だし。でも親・・・。オランダみたいに、教育環境そのものを根本的に変えないとクサイものにフタなのかなあ。どーもすっきりしないなー。
いずれまたちびちびと、このへんのこと書きたいです。
 
蛇足として、こういうのをルイス・キャロル澁澤龍彦が見たらどう感じるんだろう、といかにもサブカル本オタが考えそうなことを妄想しつつ閉じます。
 
関連手前味噌リンク
オランダのペドフィリアについてしらべてみた。