たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

大槻ケンヂ、絶望先生とコラボ

絶望先生アニメ化はかなり度肝を抜かれるニュースでしたが、まさか主題歌が大槻ケンヂだとは思わずまた度肝を抜かれました。たまごまごです。
まじで?しかも声優さんとコラボ!?いやもう、これ以上ないくらい個人的にはうれしいコンビネーション技なのですが!声優に全く興味がないフリを気取っているけど実は野中藍沢城みゆきが大好きな自分はひそかに、オーケンと何をしてくれるのか楽しみでなりません。
これ、筋肉少女帯名義じゃないってことは、大槻ケンヂオンリーなのかな?橘高の名前もないし。なんとなーくイメージとしては、「コボちゃんグルー」みたいになるのか、あるいは「ハッピーアイスクリーム」みたいになるのか、あるいは対自核バージョン「カーネーションリーンカーネーション」みたいになるのかなあ、なんて妄想してます。楽しみすぎて鼻血出る。
それにしても、曲名が人として軸がぶれているだというセンス。たまりませんね。天才だわ。
 
できればEDは人間椅子で一つ。ほら、文学ネタだし。

「天空の城ラピュタ」の初期構想と、アニメへの思い。

テレビ再放送の「天空の城ラピュタ」を、DVD持ってるのに見ました。何度見てもラピュタ最高だな!
恐ろしいことにセリフを全部空で言えること気づきました。いやいや、みなさんもそうだと思いますが!
今になって改めてみると、フラップターのデザインとか、ロボットの登っていく塔の見せ方とか、シータのヒロインオブヒロインっぷり、本当によくできてるなーとじわじわ感心します。ラピュタの住人達もどういう設定なのか気になるなあ。
一番好きなのはシータ奪還シーン。絵と音楽と演技の調和があまりにもすごすぎて、もう間違いなく100回以上見ているのに泣けて仕方がない。音楽が少し声より大きめになっているのがうまいもので、まさに血沸き肉踊りまくり。
ああもう!アニメって面白いな!最高だな!
しかし、シータもかわいいけれど、最萌えはムスカですよね、やっぱり。こんなにときめく悪役なかなか描けないワ。
 
さて、そんなムスカ大佐ですが、初期設定ではあんなキャラではなかったようです。
湯川さんから「wikipediaでムスカってコナンとつながりあるって書いてあるぜ」という話を聞いて「まじでか!?」とさっそく掘り出したロマンアルバム

今でも手に入るんですねー。ちなみに自分が買ったのは1989年。
設定資料と背景美術が存分に楽しめる傑作本です。正直ラピュタ好きなら必携書だと思います、って断言できるくらい内容濃くて面白い。
 
この中で、初期のラピュタの設定が載っています。
さて、その中でのムスカ大佐の原型はというと。

1984年のパズーとシータ。後ろが「チック大佐」。こうしてみると閣下とムスカ大佐って最初は分かれていなかったんですね。野心家で、二人を執拗に追うという設定はムスカ大佐に受け継がれていますが、王家などの細かい部分はまだできていません。
とりあえず自分が読んだ範囲では先ほど噂に出ていた子孫のいるって話、載ってました。キャラクター覚え書きに「レプカの先祖」って書いてますね。ほんとに奥さんいたようです。(あるいは親戚かも?この一文しかないので不明)
あと、「NHKアニメとして作られた」という噂は違うっぽいです。最初から映画の予定だったようです(この本の情報が全てであれば)。

とにかくパズーが、勇気、希望、夢に満ち溢れている、というのはラピュタのテーマだと思いますが、それはもう初期の初期から決まっていたようです。このトランペットのシーンを見てトランペット始めた人も、かなり多いと思います。あるいは、トランペットふける人なら一度は吹くよねあの曲。
そして、すごく面白いのがこちらのイメージボード。

クリックで拡大。シータめっちゃ強そうだ!
宮崎アニメの戦うヒロインといえばやはり「ナウシカ」だと思いますが、少しその血をひいていたようですね。実際にはこのイメージはラピュタでは全く没。しかし宮崎作品全体に流れている血脈のようなものを感じてちょっとニヤニヤしちゃいますネ。

元々は劇場用90分の「少年パズー」という作品の予定で構想されたもののようです。気づけば2時間超の大作へ。
この企画文を読んで、すごくグッときました。読んでるだけで血沸き肉踊りました。
一部抜粋。(画像クリックするとちょっと読めるようにしてます)

パズーが目指すものは、若い観客達が、まず心を解し楽しみ、喜ぶ映画である。笑いと涙、真情あふれる素直な心、現在、最もクサイとされるもの、しかし実は観客達が、自分自身気づいていなくても、最も望んでいる。心のふれあい、相手への献身、友情、自分の信ずるものへひたむきに進んでいく少年の理想をてらわずに、しかも今日の観客に通ずる言葉で語ることである。
(中略)
そして、多くの潜在観客は、心を幼くして解放してくれる映画を望んでいる。多数の作品が企画されながら、対象年齢が次第に上っていく傾向は、アニメーションの将来に繋がらない。マイナーな趣味の中にアニメーションを分類し多様化の中で行方不明にしてはいけない。アニメーションは、まずもって子供のものであり、真に子供のためのものは大人の鑑賞に充分耐えるものなのである。
パズーは、本来の源にアニメーションをとりもどす企画である。
ロマンアルバムエクストラ 天空の城ラピュタ 130Pより)

この当時のアニメ状況を知っておられる方なら、この言葉は当時のアニメ状況と比較できて、さらに面白いものになるでしょうね。自分は当時はおこちゃまだったので全然わからないのですが、この魂のこもった熱い文章。アニメへの愛と情熱であふれていますよね。前半が読点だらけで熱がこもっているのがイイナア!
ラピュタショックでアニメ好きになった人ってものすごく多いと思います。ナウシカは難しくて子供時代はなあ、という人もいるかもですが、ラピュタとトトロで一気に「アニメ面白い!」という子供の数は爆発したと思います。自分も多分その渦の中にいたと思います。
そして何がすごいかって、今でも子供達が初見でみて「ラピュタは面白い!」って興奮できることですよ。
すれた意識で、やれ○○がどーのこーの、というウンチクは(あったらさらに面白いけど)むりに掘り下げなくても楽しめる。そして、潜在的に、普段は恥ずかしくていえないけれど、純粋に心の底から欲しているものを「動く絵」として表現しようじゃないか。それががっちりまっすぐに伝わってくるからラピュタはすごい。本当にすごい。
笑いや興奮って、なかなか狙って出せません。特に子供達はそのへん正直です。しかし、映画館から出たときに「大人も子供もただただ興奮できるアニメーション」というポリシー、多くの人が求め、多くの作家が挑んだテーマな気がします
 
フラップター(パズーたちが乗っている高速羽ばたき機)がその象徴なんだと思います。元々はこれもモチーフになっているのはオーニソプター(パズーが最初に作っていたやつ)で、名探偵ホームズなどでも出てきたもの。これがジェット機じゃダメなんですよ。パタパタと必死に羽を動かすという無駄すら感じる動きを、自分の体の一部のようにして動き回る快感が必要なわけです。だって、少年パズーが歩んでいた道は全力で腕を伸ばして愚直に突き進んでいたものだから。全力で飛び回る機械が必要なんですよね。
全力で飛び回るフラップター、全力で走り回るパズーとシータ、全力ではげるムスカ。人の全力を見たときの興奮度・燃え度は半端ではすまされませぬ。
 
「子供のため」だからこそ、子供だましではなく大人が掘り下げても面白いものでなくてはいけない。だけど、頭をからにしてただ笑い興奮できる活劇。
それが本当に最初の構想から考えられていて、作品として20年以上たつ今でも多くの人を魅了している。
この事実だけで、何度も言える。「ラピュタは面白い」と。「ここのディティールが」とか「ここの演出が」というのは後回し。「面白い」よね。
 

周りの人がみーんなラピュタ見てたのが印象的。共通語として通用するってこともまた楽しいナ。
ラピュタについてはほんと、いくら話しても飽きないくらい言いたいことがいっぱい。
 
 天空の城ラピュタ [DVD] 天空の城ラピュタ サウンドトラック 飛行石の謎
 
〜関連リンク〜
天空の城ラピュタ祭(USO800 6/11分)
「パズーとシータのまぐわいがあればいいのに!」という話がロマンアルバムのなかに載っていて当時びっくりしました。
ムスカ大佐の世界征服の部屋
 
おまけ。
 

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買ったものメモ


ナルミさん愛してる その他の短篇(山川直人
金魚屋古書店芳崎せいむ)3〜5巻
おたくの娘さんすたひろ)第2集
みつどもえ桜井のりお)2巻
24のひとみ(倉島圭)3巻
 
サナギさんはサブリミナルです。
大好きだった「おたくの娘さん」の新刊が出たってだけでもうクラクラ満足です。感想は後ほど。

実は「ハレ晴レユカイ」を聞くと涙が出る。

年取ったのかなあと思いました。
いやね、おかしいなあとは思うのですが、ハルヒのEDの「ハレ晴レユカイ」を聞くと、最近じわじわ泣いちゃうのですよ。
ここしばらく聞いてなかったんですが、明日は秒ナビたまごまごラジオでNHKハルヒの二人が出るしなあ、と思って聞き直したら、なんか妙に泣けてならなかったんです。なんか、猛烈にノスタルジックな何かに襲われてしまって。
もちろんたった1年くらいでノスタルジックもくそもないですが、この歌詞のとこで毎回つい、うっ、とくる。

明日また会うとき、笑いながらハミング
うれしさを集めよう 簡単なんだよこんなの

ハルヒのこの歌の歌詞って、ただひたすらにポジティブじゃないですか。そんな歌詞を、BPMはやめの曲に乗せてポンポンと流すわけです。しかもこの部分、いったん間をおくその、ジャンプの溜めみたいなところがズルいよね。
10台の頃に、信じて疑わずひたすら「明日は笑いながらハミング」と前を見ていたそんな気持ちが、スピードに乗って気づいたらジャンプして通り過ぎてしまうのです。
もちろんそう感じていたかといわれたら、一部そう感じて信じていたものもあるし、一部ハルヒ達みたいには暮らせないんだよなという失望もありました。どっちもありつつ、漠然とよく見えないものに手を伸ばしていました。
 
ハルヒという作品については、自分もアニメの絵の動きに感激して入ったクチで原作も全部は読んでないので、ストーリーの深い部分に対する共感はあまり深くないです。しかし、そこになんだか漠然とした「うらやましさ」と「恥ずかしさ」を同時に感じるのですよ。
彼らの生活やSOS団って、すごいぬるま湯的で「うらやましい位置」です。しかし逆に性欲あふれる高校生が手に入れるにはぬるすぎるし、目的も見えずどちらかというと、中に入ったら日々よけいなこと考えてどんよりとしてしまうんだろうなあという、通り過ぎたからこそ感じる現実的な気持ちもわきあがります。
だから、あんな終わらない日常のようなぬるさに「うらやましく」あり、あれをよしとしてニコニコ明日を楽しむのが「気恥ずかしく」あります。
それら全部をひっくるめて、学生期の情熱や鬱憤が、「ハレ晴レユカイ」を聞いていると湧き上がってきてしまうのです。それを通過した自分が懐かしくて泣けるのか、喪失してしまった感覚に泣けるのか、分かりませんが。
 
今、現在進行形でそれらを経験し、楽しんでいる学生も多いんだろうな、と思うとまたなんだか胸がキュンとなる。年取ったのね自分。
最初はネタとして面白いなあと思っていたネットラジオでのNHKハルヒのゲストでしたが、そういう意味で「ハルヒをやってみよう」と思った彼女達のパワーや力強さに強烈にあこがれもあったりします。なんだか話すのが楽しみになってきました。
 
 
余談ですが、「らき☆すた」のDVD1巻の表紙でまた泣きそうになりました。

これは意表をつかれました。こういうノスタルジック路線でくるとは思わなかったです。
過ぎ去った高校時代、それが楽しいものだった人も忘れたい思い出の人もいるかもしれないけれど、アニメでそこをさりげなく刺激されると、何かに必死に手を伸ばしていた瞬間が確かにあったことを思い出すのではないでしょうか。
 
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