たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「かげふみさん」に見る、意識のハザマ、感覚のハザマ、性のハザマ

本屋で見かけた、超簡素な表紙。

激シンプル。
そして、存在感ありすぎなのに存在感なさすぎなこの少女。
なんじゃろな?と思って広げてみると。

なにごと!?
 

●どこだかわからない世界の、なんだか分からない人たち●

異彩を放った独特の空気あふれるこの作品、小路啓之先生のかげふみさんというマンガです。
名前を聞いてアフタヌーンの連載を思い出した人なら、この人の描く70年代と未来をごちゃまぜにしたような空気がピンと繰るのではないかと思います。
そんなわけで、どんなマンガなのかという以前に、この作品の特殊な空気を簡単に説明しておきます。
まず、1P目の1コマ目がこれ。

いきなりどこかに行ってしまった感満載です。
といっても、エロいマンガかというとそういうのを求めているでは全然ないです。
なんせこのキャラ、3P後に死にます。
ネタバレとかそれ以前の問題です。

この流れが、この作品の価値観がいかにズれた所にあるかをよくあらわしているのではないかと思います。
 

描きこまれた背景もいい具合にレトロで未来。
無国籍でアジアじみているような、でも窓から眺めたらすぐそこに広がっていそうな世界の、命の重みやものの見方のねじがちょこっとばかりおかしな、そんな物語です。
 

●気づこうとしなければ気づかれない少女●

こんな世界ですから、見ているものや感じているものの感覚も大きくズレが生じ始めます。
そこがこの作品の面白いところ。やっと本題です。

気になることがあると、常に鼻血がだだ流れになってしまう少女、めぐみのメグ。
彼女のそんなところもかなり特殊ではあるのですが、それ以上に特殊なのが、「気づこうとしなければ、気づかれないこと」
すさまじく微妙なニュアンスの設定ですが、ようするにドラえもんの「石ころ帽子」をややこしくしたみたいなもので、消滅しているわけでも透明になっているわけでもないんですが、意識しない限り全く気づかれない、というものです。
考えてみたら、確かにそれが存在しているか否かというのは、相手が意識しているかどうか、にかかっているんですよね。相手が認識していない=存在がない。

それは非常に便利に見えますが、機械を通してみたらやっぱり「本体はある」わけです。また、どんなに愛し合っている人がいたとしても、気づかれなければその存在は認識されません。なんかえらく厄介な気がします。
が、自分がその体質になったら、まず何をしようか考えるだけでにやけてしまいますが何か。
 
便利なような、不便なような。
UFOみたいなもので「あると思えばある」。でもこの場合は逆でしょうか。
もちろん彼女の存在はというと、実際にはそこに「いる」わけです。見えていない、意識されていないから、存在は感知されません。
そんな彼女が至って明るくポジティブなのが面白い。決して息を潜めるわけじゃないんです。そりゃもうイキイキと画面内を駆け回り鼻血吹きまくります。通常なら完全に目立ちキャラな子が意識されない、というギャップはなかなか新鮮です。
その性質をいかして、殺し屋稼業の情報屋をやっているわけなのですが、読者から見たら激しい存在感、キャラクターから見ると誰もいない、というバランスは今後どう描かれるのか楽しみなところです。
 

●気にしても仕方ないことを気にする少女●

さて、気にされないほど存在感が消えてしまう少女メグですが、この子逆に、本当にどうでもいいことをえらく気にするキャラでもあります。

ありそうでなさそうで、あるある。トイレの水って突然気になりだすと、最後まで流れきったか見ちゃうことある。・・・いやどうかな。
こんな感じで毎回毎回、本当にどうでもいいことを気にしては、強迫性症状状態で鼻血をだらだら流します。
鼻血っ子好き*1としてはそれだけでも満足この上ないのですが、この対比実はかなりうまいのではないかと思いました。
「気にされなければ見えない」ものが事実上存在している、ということ。
「どうでもいいけど気にしてしまう」ものが、本当には価値がないこと。

だからこそ、この子は真剣。ものすごく滑稽で空回りなんですが、明らかに自分をごまかしながら生きているイヤミな人間だらけのこの作品では、彼女のそんなゆらぎが、逆にリアルだったりします。
もちろん、彼女の不安は、本当にどうでもいいことばかりなので、共感できなくとも全く問題ないと思います。が、そこに「不安があった」ということ自体が、希薄な存在の彼女の、存在の重みになっているのかもしれません。
 
とか書いてみるとえらいややこしいんですが。
しかし、この珍妙な世界で、珍妙なキャラたちすべてが、一体なにを考えて生きているのかは、ちょっと考え始めるとドツボにはまるほどややこしくて、そこが魅力なんだと思うのです。
まあ、実際は何も考えていないのかもしれないけどネ。何やらそれぞれ脳天気な分、裏を考えさせるような行動もまた多いのです。
それが、胃にもたれずにサクサク楽しめるのは、やはりメグのポジティブさのおかげ。

鼻につっぺんかってる*2滑稽さこそが、悩んだりバカやったりする人たちの姿のアホらしさとダブります。
 

●性は特に思考が曲がる●

ところでですよ。
完全に気配を消して気づかれない状態で、四六時中見張っていたら、どうしても見えてしまう人間の最高に恥ずかしい部分があります。
それはなんでしょう、と聞かれて「エッチですか?」と言いたいところですが、いやいや、さらに恥ずかしい部分が。
自慰ですよ。オナニーですよ。マスターベーションですよ。

そりゃ、この子じゃなくとも気にしだしたら止まりませんわな。
もっともこの世界の住人は、それをあまり気に留めてはいないようです。

かっこいい。
 
どうしても性の部分は、自分の意識や価値観がむき出しな分、はっきりとカタチを描けないところ。
この作品でもそれはやはりぼんやりとした、見えずらいものになっています。
そこで、メグが気にしすぎてくれるおかげで結構救われていますが、この作品も含めて小路啓之先生の作品で描かれる「性」はかなり特殊なので、ゼヒ見て、変な気分になっていただきたいところ。ちょっと痛めかもです。
なんかこいつらの価値観変だな、と思わされたときに、自分の性が映し出される鏡になるのかな、と自分は思って読んでました。
 
全体の物語の流れは、「尾行のプロのメグに依頼⇒殺し屋が殺しに行く⇒話が発展」の繰り返しなので、わりと脳みそからっぽにして、おかしなキャラたちの価値観の中で酔えます。
だからこそ、じわじわとその違和感を何度も読むことで楽しめる作品になっていると思うのです。
その違和感こそが、まさに表紙の希薄さと、濃さにあふれているのだな、と。
 
  
同時発売の短編集はまだ読んでません。
かげふみさん」本編もシュールで面白いのですが、その後に収録されている「甘い運命」は、さらに上記のような感覚のズレが楽しい作品。もしかしたらこちらの方が好き!という人も多いかもしれないなと思わせられる、秀作です。
イハーブの生活 1 (アフタヌーンKC) イハーブの生活 v.2 (アフタヌーンKC) イハーブの生活 v.3 (アフタヌーンKC)
自分で割礼*3するシーンが強烈に印象深かったこの作品。無国籍で不特定な時間は、この作者の持ち味として、最高の魅力です。
 
〜関連リンク〜
GENZO かげふみさん
まるまる1話が読めます。ちょっとこの妙な空気嫌いじゃないかも?と思われる方なら、ぜひ。

*1:鼻血を流している女の子っていいよね、という極めて単純な嗜好のこと。結構愛好家は多いです。多分。

*2:北海道弁で、穴をふさぐこと

*3:チンコの皮を切除すること。