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2008-02-02 大黒黒客日記

[][][]神経に棲まう少女像を、「lain」から考えてみる。

最近メール等のお返事遅れていて申し訳ないです。楽しんで目を通させていただいております。感謝!

ところで、面白い話題があったので、早速取り上げさせていただきたいと思います。

人の語る少女話は鼻血が出そうなくらい楽しいですね全くもって。

私(男性です)は岩倉レインに対してどういうわけか、他の萌えっ娘とは明らかに異なる可愛らしさとか、ほっとけない気持ちを抱いてしまいます。

 

何か、彼女は特殊なんです。レインちゃんは確かに、ちょっとヤンデレ気質というか、どことなく人間離れした要素があるけれど、そういう要素が引っ張ってくるのかというと、それもしっくりこない。

でですね、私が思うに、萌えや愛着心を二次元三次元問わず感じてしまう要因の一つとして、

その女の子を「過去の自分の異性化」或いは「自分の記憶の異性化」として認識しているある種の解釈が、脳のどこかでなされているからではないか、と思うのです。

An omnipresence in wired 『lain』 画集 serial experiments lain TV-BOX [DVD]

serial experiments lain」に出てくる岩倉玲音は極めて特殊な少女でした。

「あの当時は」じゃなくて、今でもかなり特殊な存在感を放っている彼女。

詳しい内容に関してはぜひ見て確認していただくべきアニメだと思うのであまりここでは述べませんが、男性の都合のいい彫像に収まらず、かつ妙に神秘的な空気と幼さをたたえた不思議極まりないキャラクターでした、とだけ書いておきます。*1

この表紙に描かれている玲音の絵を見るだけで、その雰囲気は分かっていただけるかと思います。

すぐ目の前にいるのに、妙に遠いんですよ。その娘の居場所が。なんだろうこの感覚?

 

●世界とつながる少女●

安倍吉俊先生の作品と聞いて鼻息を荒くするのは自分だけじゃないはず。「lain」「ニアアンダーセブン」「灰羽連盟。現在は「robot」という雑誌?でマンガを描かれています。

ニア・アンダーセブン ― オリジナル・サウンドトラック ? NieA's Loco 灰羽連盟 TV-BOX [DVD]

AB’s HOMEPAGE

独特のくすんだ色合いと、ひょこひょこしたノリの少女たちが安倍吉俊先生の得意技。あとは猛烈な下ネタも真骨頂なのですが、それは別の話。

 

安倍先生の描かれる少女は、奇妙に広がる、しかし枠の中に閉じ込められたような世界の中心にすえられることが多いです。玲音はまさにそういう光景の似合う娘さんでした。

世界の中心にたたずむ玲音。廃墟のような空間で何かを見つめる玲音。ケーブルでぐるぐる巻きの玲音。

この世のものではないような顔をしておきながら、この世のど真ん中にいるというアンバランスさ。生きているのか死んでいるのかすら分からないような表情と存在感。

ストーリーでの存在感もさることながら、妙に神経の部分に巣食っているような感覚に襲われるのですよ。

目を閉じても、そこにいる少女。

そんなイメージにとらわれる経験がまれにあります。

 

●人形少女たちの、神経の中の宴●

ここから、すこぶる感覚的な話になります。

わたくし、男性の中にも、女性の中にも、一人(or複数)の少女が住んでいる、というのが持論です。

ええ、難しい心理学の話とかは分かりません。でもね、自分の鏡のような役割の少女の姿を、かなり多くの人が抱えている気がするのです。少年をたたえている人もいますが、それとは別に。

「好きな少女像」とは違うのですよ。「萌える少女像」とは違うのです。

どうしても消えてくれない、脳の中で一人立ち尽くして何かを見ている少女です。人によってそれぞれ見た目は違うでしょうし、時には自分の中でもコロコロ変わるでしょう。よく話すかもしれませんし、無口でだまりこんでいるかもしれません。もう大人になりかけているかもしれないし、まだ幼児かもしれません。

そんなアンバランスさも、「少女だから」。

まあ、「妄想だよ」と言われたら全くもってそのとおりなんですが、自分の中には言葉で形容しがたい少女がいます。いや、もしかしたら少女のカタチをした何かなのかもしれません。

それが、こっちを見ていることもあれば、こっちを見るでもないこともあります。

そういうのないでしょうか。ないですかそうですかすいません。やっぱ人によりますかね。

 

人形を好む心なんかは割りと近いと思うんです。少女の人形に対して抱く、不思議な恋慕に近いあの情です。

自分も少女人形が大好きで収集していますが、ある人に「そういうので性的に興奮することあるの?」と聞かれました。

ないよ!それはありえないよ!確かに球体間接はセクシャルですが、人形好きの人ならわかってくれるでしょうい!

フィギュアは性的にどきどきしても人形はないよ!

 

KATAN DOLL fantasm―天野可淡人形作品集 (Panーexotica)

大好きな人形作家の天野可淡先生は自作の人形を「神経に棲まう者」という表現をしていたことがあります。

人形は、顔がそれぞれ別物。しかし本当に惹かれる人形を探して、心臓が驚くほどしっくりするものに出会ったとき、それが確かに神経に棲まうことに気づきます。

ああ、この、こちらを見ているでも見ていないでもない視線。ひょっとしたら自分の中の、脳髄にぼんやり見えては消える「あの」少女を人形や絵に投影しているのかしら。だから、セクシャルなのに性を感じないのかしら。そう、女性ではない少女を見ているから。

 

●自分の感覚の少女性化●

一番最初に載せさせて頂いた文章なんですが、非常に共感を覚えたのは「記憶の異性化」の部分。

もっとも、女性でも少女が浮かんでは消える人っていると思うので、「記憶の少女性化」と書かせていただきます。「少女性」の単語は昔本で読んでから魅入られているので使わせてください。

なんらかのビジョンが頭に浮かぶときって、結局は自分が経験してきたことがある程度関係してきます。もちろん今まで全く見たことがないからこそ惹かれるものもあるのですが、キャラクターなどがやけにしっくり肌に合う場合、自分の心の状態や過去の記憶と絡む部分は必ずあると思うんです。今まで見てきたものの蓄積の反映とか。

たとえば生まれてからずっと着物女性ばっかり見ていたら、洋服にホレるかもしれないけれども着物を見てほっとします。日本人が和食を食べたらほっとするようなものです。

少女像も同じ部分があって、反復して見ていることで「どんどん好きになる」というのはあります。それが今の萌え感覚にもつながっていくんでしょうね。ツンデレツインテールが好きでそれを収集すると、別の作品に出てくるツンデレツインテールっ子に「萌え」と同時に「安心」を覚えます。反復による少女イメージの記号化です。

しかしさらに奥に、見ていてグルグル眩暈がするほどに惹かれる少女イメージに出会うことがあります。

それが先ほどの話の場合は岩倉玲音。もちろん玲音が全くイメージの心の溝にはまらない人もいますが、はまる人の場合はもうぐんぐん染み込むでしょう。毛細管現象のように神経をたどって。どこまで細部に逃げ込んでも、彼女は目の前にいるよ。視神経の中にいるよ。

 

色々な記憶に加えて、自分の中の体が感じる独特の感覚、擬似的な思い込み、そのへんを全部ひっくるめて、玲音は非常に鏡のように映し出してくれるキャラクターだったと思います。実際ストーリーの中の立ち位置も、客観的であり主観的、という面白さがあります。

自分の理想を玲音に重ねて。自分そのものの感覚を玲音に同一化して。不思議な抱擁感が心地よいのですが、そのままどっかに引っ張り込まれそうです。

 

オタク文化の面白さは、そんな気持ちをひっくるめて飲み込んでしまうこと、なのかもしれません。

そして、日本人クリエイターさん達はそんな脳髄の中にたたずむ少女を引っ張り出してカタチにするのが極めてうまいことに感嘆します。それはもしかしたら、日本人の感覚や経験を踏まえて作っているから、そう感じるのでしょうか。

 

そして、カタチに出来ない自分の中の「あの」幻想少女。なんとか捉えたいと思いつつ、どんどん逃げていってしまうんだなあ。これはもしかしたら、決して見ることの出来ない「自分」の一つの姿なのかもしれない、なあ。 

*1:ゲームのほうはすこぶる難解だった記憶。