たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

死んでいるお姉さんは好きですか? はい。セクシーキョンシーバイオレンスアクション「ネクログ」

どうも。ゾンビ大好きたまごまごです。
そんなわけで、早速見逃すわけに行かない作品を紹介します。
キョンシーものです。
厳密に言うとゾンビとキョンシーは違います。まあそういう細かいことはいいです。
幼女道士+熱血青年+お姉さん最強死体という組み合わせが楽しくて仕方ない、熊倉隆敏先生の「ネクログ」が面白いのです。
ネクログ(1) (アフタヌーンKC)
 

●憧れのお姉さんが死にましたと思ったら動いた●


主役になるのがこの3人。表紙と同じです。
手前にいるのが道士の胡。見た目は童女です。目付きが悪くていいよねー好みです。
後ろにいるのが普通の人間の宗。報道関係の仕事をほそぼそとやっているフリーライターみたいな人です。彼は普通に年をとります。普通の人間だから。
そして真ん中が……問題のお姉さんです。
宗が子どもの時に、お姉さんはこの姿でした。
宗はお姉さんが大好きでした。子どもの時ね。
 
で、お姉さんは、不幸にも死んだ。
 
それをキョンシーにして連れて歩いているので、年をとってもしぶとく追いかけ続けている……という凸凹三人組です。……いや、一人死体だから2.5人?
まー、端から見たら仲よさそうな一行ですよ。特に道士が幼女の姿を取っているので、パッと見保護者(お姉さん)と子どもに見えるのがうまい。
しかし道士の胡の考え方がすっごくつかみどころないんです。面白いことはやるし、興味のあることには首を突っ込むし、頭もすごく賢いんだけど、お姉さんの死体を使ってむちゃくちゃなことばっかりするからもー宗にしてみたら「勘弁してくれ!」なわけですよ。
 
なんつーか難しいとこですよね。ゾンビ・キョンシーものに通じる部分ですが。
姉さんは死にました。本当に不幸なしかたで。
じゃあそのまま放置して埋めて供養したほうがいいのか。
それとも意思を失ったままこうやって生きているかのように操られて暮らしていくほうがいいのか。
宗にしてみたらやっぱり「生きているかのようなお姉さんがいる」ということに困惑を覚えるんです。いつまでも年を取らずにこやかにほほえむ、大好きだったお姉さん。でも自分の意志ではなくおもちゃのようにふりまわされているお姉さん。
どうしたらいい。
 

●ネクロお姉さん・ジ・アクション●

この作品の最高の面白さの一つが、死体姉さんによる残虐アクションです。
もうさー、死体だから痛覚ないでしょ。力の制限とかないでしょ。術によって強化されるでしょ。恥じらいとかないでしょ。
だからこそ、なんでもできちゃうというのがすっげーいいんですよ。見た目はほら、綺麗なお姉さんだし。

この作品ページ全体を使ったアクションシーンの出来が本当によいのですよ。
もうね、力加減を知らないで流れるように攻撃しまくるとこうなるんだ、ってのを見事に描いてます。
まさに「誰に求められない状態」というのはこういうことなんだと。普段ニコニコしているお姉さんの超高速化がさいっこうに気持いいんです。
まーざっくざっく殺してくれますね。まさにキョンシーのあるべき姿というか、「みんなのお友達」的なキョンシーではなく「殺戮を繰り返す畏怖すべき存在」としての動く死体が描かれているのが本当に爽快。
爽快って言えちゃうのは、お姉さんは絶対的にこっちで制御できているからでもあります。絶対にこっちに向かってこない、強力なこちらを守る力だ、と読者側が安心して読めるから。これ敵に回したら洒落にならんですよ。

このページもいいですねえ。
通常の人間では到達できない強さにたどり着くにはどうすればいいか?という疑問はよく問われるものですが、究極的に「生きて理性がある限り無理なんじゃないか」となっていく。
理性をなくし、すべてのものを攻撃対象とするバーサーカーになり、かつ痛覚や羞恥心をすべて失った状態になり、かつ自分の筋肉の限界を超えた力をフル稼働させることが究極の強さじゃないか?
となるとやっぱり「死体」じゃないとあかんのです。

終わったあとにしれっと元に戻るのもたまらんですね。
血まみれでで、内臓まみれの部屋でたたずむ、大好きだったお姉さん。
うーーーん。宗さんにしてみたら「マジ勘弁して」でしょうけど、この光景の面白さは満更でもないです。読者的には。
 

●凶暴死体お姉さん●

キョンシー - Wikipedia
キョンシーの定義って結構曖昧なんですが、元は死体を搬送するために道士が操って歩かせた、というのが起源だと言われています。これちゃんと作中で再現されています。
その後土地伝説として、腐らない死体が血に飢えて襲いかかってくる、という話題が広まります。
死体に対しての恐怖心が生んだ伝説でしょうけれども、やはり中国の風土を考えると乾燥してミイラ化するため腐らないことがあるというのもあるかもしれません。
キョンシーがメジャー化したのは「霊幻道士」「幽幻道士」以降。あのキョンシーがぴょこぴょこはねるのは死後硬直で硬いからですが、「ネクログ」はそういうのすらありません。
このへんきちんと設定があって、道士胡がものすごい術の持ち主だから。この世界でも普通にキョンシーをつくろうとするとやっぱり死体っぽさが出てしまうらしいです。「生気がないのに気づかなければ生きてる者と見紛う出来」と称されます。
けれども、キョンシーであることには違いないわけで。

大好きなお姉さん(だったもの)が人を食ってる!
いやー。このへんのエロティシズム意図的に盛りこんでますよね、熊倉隆敏先生?
 
今作めちゃくちゃエロティックです。
もっけ」のころも少女と妖怪のエロティシズムを確信犯的に盛り込んでいた作者ですが、今回は割とストレート。そのとおり性的な描写もありますし、このように人を殺して物のように扱うエロスも練りこまれています。
あとは胡もそうですが、道士達が童女の姿を取っているというのも……いいんだよねー。

もう一人の道士。後半登場します。
二人ともなぜか童女の姿です。他の姿も取れるんです。
なんで?って聞かれてもかなり気まぐれなようです。
まあなんだ。
読んでるこっちとしては可愛いほうがいいからOKなんですな。
 
しっかし物語以前に「死んだお姉さんがめちゃくちゃ強い」ってだけで面白すぎて、それを延々と見ていたくなってしまいます。
一番のハッピーエンド?はお姉さんが生き返ること・・・反魂なんですが、果たしてそれが幸せかどうかはわかりません。
この3人の凸凹トリオのロードムービーが見たい気もしますが、どうなることやら。

「何かを禁じる」ことで自分が有利になるように事を運ぶ、という「禁術」の仕組みはなかなか面白いです。能力バトル的な楽しみ方もできますが、やっぱりキョンシー姉さんがガンガンに殺しまくるのが楽しいってのが本音。もっと殺っちゃえ。ビバゾンビファンタジー。